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糸の証 ~22~ 

Category『糸の証』
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「中学受験は自分でもよく合格できたと思う。あの頃は全部が全部、最悪だったから。…家の中はバタバタしてた。優大が生まれて、大輝もまだ小さくて、毎日うるさかった。あの人達とはほとんど口をきかなくなってた。
加寿子先生との文通も途絶えてたし、学校でもピアノ教室でも孤立してた。…変わらないのはさなちゃんだけだった。

寂しいっていう感覚はもう麻痺してた。…でも、受験に合格すれば何か変わるんじゃないかっていう希望は持ってた。環境が変わって、ピアノにもっと集中できるようになればって…」


なずなさんが合格した私立中学は中高一貫校で、市内でも上位クラスの進学校だ。ストレス過多の状況下にあって、受験を勝ち抜いた実力は確かなものなのだろう。


「真尋も受験組だった。第一志望は同じ学校だったみたい。でも不合格だった、あいつは公立に行くんだって聞いた時は心からホッとした。進学先が同じになるなんて絶対に嫌だったからさ。…正直、ザマーミロって思ったよ」


それだけ相手と不仲でありながら、なずなさんは中1の秋まで同じ講師に師事していた。どうしたって真尋さんと顔を合わせる機会はあったはずだ。なぜピアノ教室を変わらなかったのかという質問に、彼女はこう答えた。


「先生の指導に不満はなかったし、教室を変えるには親の了承が必要だったから。真尋とのトラブルのことはあの人達に絶対に知られたくなかった。のけ者にされてかわいそうだとか、あたしにも悪いところがあったんじゃないかとか、そんなこと1ミリだって思われたくなかった。

あいつから逃げないでいることがあたしの意地だったんだよ。つまらないことかもしれないけど、嫌がらせに負けない姿勢を保っていくことが、自分なりの闘い方だった」


相手が多勢だからと理不尽には負けたくない。その気持ちはよく分かる。かつては自分も同様の気概でもって、集団での虐めに立ち向かったことがあったから。
なずなさんの場合は、肉体的苦痛を伴うものではなかったことがまだ救いだと思えた。…暴力は、時に、形を歪めて襲いかかることがある。



「Ruiのことはテレビで知った。あたしはまだ小学生だった。初めて見た時は、モデルみたいにカッコいい人だと思った。でも、それ以上に、Ruiのバイオリンに鳥肌が立ったんだ。コンクール優勝の時の演奏は本当にすごかった。あんな綺麗な音色、それまで聴いたことがなかったよ。

ファンレターを書こうと思ったのは、あの時に感じた自分の感動を、直に伝えたいと思ったから。返事は来ないだろうけど、ただRuiに読んでもらえるだけでよかった。その時はまだ公佳さんとも仲良かったから、送り先は調べてもらってさ。…あの手紙がちゃんと届いてたんだって、知ることができて良かったと思う。

最初のファンレターには、いつか同じステージに立ちたいって書いたのを覚えてる。あたしもプロのピアニストになって二重奏がしたい、とか。その後もRuiの活躍を目にするたび、自分も頑張らなくちゃと思えた。ずっとリスペクトしてた。そういう大切な存在だった。

振り返ってみれば尊大な夢だよね。プロの世界がどれほど厳しいか、知りもしないでさ。……でも、本気だった。お母さんとの絆を信じてた。あの時までずっと」


話が核心に迫ったことを知り、胸が不穏に高鳴った。
“あの時”は中学1年の秋、コンクールの時期を指すのだろう。
なずなさんは、いったん言葉を切り、私をじっと見つめた。
小さく頷いて先を促すと彼女も頷き、話を続けた。


「中学校は想像してたよりずっといい環境だった。同じ地区から進学する子は少なかったし、あたしも慎重な付き合い方をしてたから友人はすぐできた。勉強は進度が早くて大変だったけど、ついていけないほどじゃなかった。私立に進学してよかったと思えた。

ピアノは続けてた。それまで以上に熱心に。真尋の存在はもう気にならなくなってた。……だけど、やっとピアノに打ち込める環境になったのに、あたし、急に、ピアノが弾けなくなってしまった。右手が、自分の思い通りに動かなくなっていったんだ…」


フォーカル・ジストニア。


その言葉がすぐに思い浮かんだ。
手指を酷使する人に多いとされる神経性疾患の名称だ。同じ動きを繰り返すことで起きる筋肉の異常な緊張が、本人の意図しない不随意運動へと繋がってしまうという。

類はすでにその可能性に言及していた。なずなさんはピアノを弾かなくなったのではなく、弾けなくなったのではないか、と。


「夏休みの終わりに秋のコンクールで弾く曲を決めて、練習は順調だった。だけど、いつからか、曲の終盤になると右手の薬指と小指が動かしづらくなることが増えた。最初は練習のしすぎだと思って練習時間を減らした。レッスンで失敗した時は、練習不足だって言って誤魔化した。でも、指のもつれは日増しにひどくなって…。

ジストニアっていう病気のことは知ってた。本屋で調べたら、自分にあてはまる症状がいくつもあったから。治療には長い時間とお金がかかる、完治しないこともあるって知って、目の前が真っ暗になった。

あたしにはピアノしかないのに。ピアノを続けることでしか、お母さんとの絆を感じられないのにどうして?って、何度も思った…」


誰かに相談しなかったのかと問うと、なずなさんは首を横に振った。その返答は容易に想像できた。彼女の性格上、相談したくてもできなかったのだろう。コンクール前に塞ぎ込んでいる日が多かった、という公佳さんの証言を思い出す。

だが、根本的な部分で人に頼ることができなくなっていた彼女は、目の前の困難に一人で立ち向かおうとした。それまでもそうしてきたように。



「コンクールの本番が迫ってきても、指の動きはよくならなくて…。ギリギリまで出場を見送るかどうか迷ってた。思い切って1週間、練習をやめてみたら、再開した日にスーッと曲の最後まで弾けて。これなら大丈夫かもしれないと思って出場を決めた。

本番の前日、家の中はバタバタしてた。優大が肺炎で入院することになったから、公佳さんも付き添いで病院へ行って。大輝の面倒を見るためにおばあちゃんが呼ばれて。あの人がコンクール会場には自分だけ行くって言うから、別に来なくていいって答えた。でも、必ず行くからってその時は言ってたんだよ」


当日のことを千石社長はこう振り返っている。
『なずなのピアノコンクールは必ず見に行くようにしていました。私達の関係が冷え冷えとしたものになっても、それだけは絶対に欠かしませんでした。…でも、あの日だけは行けなかったんです。急な仕事が入ってしまって、どうしても…』


「その日のあたし、ものすごく緊張してた。ステージの上で手が動かなくなったらどうしようって、そればかり考えてて。…だから油断してた。真尋が近づいてきても気付かないくらいに。

真尋は、あたしにだけ聞こえるように言ったの。
“家族が見に来てないって本当? それって、あんたがあの家族のお荷物だから?”って。“右手の調子が悪いんでしょ? そんなんじゃ優勝は無理よね。でも、一番じゃないあんたには価値がないのにね”って…。

本番前だから揺さぶりをかけてきたんだって分かってた。真尋も優勝を狙ってたから。だから、話なんかするべきじゃなかったのに、そうできなかった。あいつが言ったことはあたしも考えたことがあって、でも考えたくはないことで、自分でも驚くくらい動揺してしまったんだ…」


なずなさんは、佐竹田真尋さんの悪意に触れた。
相手は、なずなさんの心の不安定な部分を確信的に狙った。

“一番ではない自分には価値がない”

実父との繋がりを見失い、亡母との繋がりをピアノにのみ求めてきたなずなさんにとって、これ以上はない打撃となっただろう。


なずなさんの右手は小刻みに震え出し、もはや制御できなくなった。彼女は講師に出場辞退を申し出た。そして、二度とステージに立つことはなかったのだ。






いつも拍手をありがとうございます。
今週は類の出番が…💦 来週に乞うご期待です!
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