FC2ブログ

糸の証 ~24~

Category『糸の証』
 2
「…ねぇ。本当にあたしも行っていいの? 何かの間違いじゃないの?」
類が待つコンサートホールに向かう間、なずなさんは何度もそう確認した。
コンビニエンスストアに立ち寄り、お握りを買って空腹を満たすと、彼女は少し元気を取り戻した。両目はまだ赤く充血していたが、一人で抱えこんできたものを吐き出してすっきりした様子だ。声にも覇気が戻っている。

お握り片手に運転を続けながら、私は笑って応えた。
「主人はなずなさんも連れてくるようにと言ったんです。大丈夫ですよ」
「でも、それって、あたしにクレームを言うためでしょ?」
「彼はそういう人ではないので安心してください」
「…やばい。…どうしよう。…やばい」
ブツブツ呟きながら、助手席で所在なさげにする様は可愛らしく、彼女を年相応に見せている。…中学生なのだ。どんなに大人ぶってみせても。



『こっちは終わったよ。つくしは今、どこにいるの?』
電話をかけてきた彼の声は、普段通りの穏やかさだった。公演という大仕事をやり遂げた後とは思えないほど、類は悠然とこちらの所在を訊ねてきた。…不義理を一切責めることなく。
事情を簡潔に説明すると、彼はこう言った。
『やっぱりあの子と一緒なんだね。じゃあ、連れておいで。コンサートホールで待ってるから』

類との通話の間、なずなさんは助手席で息を詰めながらこちらのやり取りを窺っていた。これからコンサートホールに向かう、と告げた時の反応たるや凄まじかった。彼の言葉をそのまま伝えても、その意味するところを咀嚼しきれなかったようだ。
叱責の言葉ならいざ知らず、類から示されたのはホールへの招待。彼女が混乱するのは無理もなかった。


なずなさんの話を聞く間、車を停めていたのは仙台市内の大型商業施設の屋外駐車場だった。コンサートホールまでは約15分。
午後9時を回ると、市街地を走る車の数は格段に少なくなる。まだ眠らない街をコンパクトカーで走り抜け、私達は無言のまま目的地へのカウントダウンを心に刻み続けた。



「有馬さん!」
コンサートホールのスタッフ用駐車場の入口の前で、こちらを見て大きく手を振ったのは類のマネージャーだ。彼は運転席に駆け寄ると、ポケットから取り出したカードを私に差し出した。そうしてテキパキと指示をくれる。
「このまま地下へ下りてください。これはスタッフ用のパスカードです。ゲートを抜けたらまっすぐ行って右に曲がります」
「分かりました」
「搬入口近くのエレベーターを上がったら、大ホールの右サイドに出ます。ホール内で類さんが待っています」
「ありがとうございます。ご心配をおかけして、本当に申し訳ございませんでした」

半歩下がって頭を下げる有馬さんに重ねて礼を述べ、暗い口を開けている坂を下りていく。パスカードでゲートを抜けると、搬入・搬出口と書かれた場所にひと際明るい電灯がついていた。その近辺には何台かの車が停まっていたが、数は多くない。スタッフの多くも帰途についたのだろう。



地下搬入口から大ホールまではエレベーターですぐだった。移動の間、誰にも会うことなく、静まり返った通路を並んで足早に進む。
「ここですね」
1階の横通路から大ホールに通じる入口を確認して隣を見やると、数歩前で立ち止まったままのなずなさんがいた。その顔色は蒼白い。
「どうしました? 気分でも…」
「…うぅん。ちょっと、昔のこと思い出して」

彼女が無意識に撫でているのは、不調を覚えたという右手だ。
それでも、二度、三度と大きく深呼吸をして、なずなさんは前を向く。
「行きましょうか」
「…うん」


扉は遮音のため厚みがあってとても重い。持ち手を力強く引いて中に入ると、ホール特有の籠った匂いがした。無人の場内を見渡すと、最前列に座っている影が一つ。
肘をついて俯いた後ろ姿からは、彼がそこで居眠りしている様子が窺える。
無理もない。公演をこなした後なのだ。疲れていないはずがない。


「類…っ!」


彼の名を呼ぶと、大きく開けた空間にワァンと自分の声が反響した。影はそれにピクリと反応するとゆっくり立ち上がり、こちらを振り返った。ブラックスーツに身を包んだ彼は涼やかに微笑み、軽く右手を上げた。


「…Ruiだ…」


すぐ傍で感極まった声がした。
数年にわたってリスペクトしてきた相手が目の前にいるのだ。
なずなさんが緊張しないはずがない。




私達が見守る中、類は壇上へと登る。
左手には希代の名器、アウローラを下げて。
この数時間前にも彼は満員の観客を前に、挨拶を述べて演奏を開始したのだろう。

それを見届けたかった。この目で。
だけど、私は、自分の選択を後悔しない。


類は深く一礼をして、前口上を述べる。声は朗々と響いた。

「本日は私のリサイタルにお越しいただき、誠にありがとうございます。どうぞ気持ちを楽にして、バイオリンの音色に耳を傾けてください。この豊かなひとときを共有できることに深く感謝いたします」

彼の勧めに従い、私達は中央通路を挟んだ後方ブロックの最前列に座った。その真正面には彼が立つ。浮かんでいるのは、昔から変わることのない美しい微笑。



―類。
―ごめんね。ありがとう。



すぐに微笑んで見せたけれど、うまく笑えたかどうか自信がなかった。
壇上でスポットライトを浴びる彼は、神々しいばかりに煌めいて見えた。
目の前にある隔たりよりも、ずっとずっと遠い存在に思えて仕方ない。



アウローラと弓を定位置に構え、完停止するシルエット。
静寂に包まれる一瞬。
彼の右手が弓を下に滑らせると、どこまでも透き通った音がホールの空間を満たした。


ニコロ・パガニーニ 『24のカプリース 第24番』


難易度は最上級レベルと評されるこの奇想曲は、細やかな演奏技術を要する。わずか数分の中に幾度となく破調があり、芸術的趣向が凝らされた難曲のひとつだと。それを何のてらいもなく、容易く弾きこなす彼には無限の可能性がある、とメディアが報じるのを耳にしたことがある。



類は音楽に愛された人間だ。
アウローラに選ばれた奏者だ。



専門的な知識はなくとも、それだけは感覚で解る。そして、そのことを強く意識すればするほど、類が織りなす音色は胸に迫るものがあった。
滲んでくる涙を瞬きで必死に散らしながら、類の麗姿を心に焼き付けた。






いつも拍手をありがとうございます。
類は、つくしとなずなのために独奏会を開きます。
関連記事
スポンサーサイト



2 Comments

-  

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2020/06/24 (Wed) 15:29 | REPLY |   
nainai

nainai  

ゆ****様

おはようございます。
いつもコメントありがとうございます(#^^#)

今作で最も書きたかったシーンがようやく巡ってきました! ここからは類となずなの交流を丁寧に描いていこうと思います。音という感覚的なものを文章に起こすのはとても難しいと感じています。少しでも臨場感が伝わるといいな、と思いながらの次話です。
どうぞお楽しみに♪

2020/06/25 (Thu) 08:56 | REPLY |   

Post a comment