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Category第1章 紡いでいくもの
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「わぁ、綺麗な水平線! 天気が良くてよかったねぇ」
予定時刻より早く、アパートまで迎えにきてくれた類は、あたしを神奈川県逗子市までドライブに連れ出した。
陽光は燦々さんさんと海原を照らし、キラキラと輝きを放つ。あたしは類と並んで砂浜を歩きながら、足元に迫る波から逃げたり引き波を追いかけたり、落ちている貝を拾い上げたりした。
「ね、どうして海だったの?」
潮風に乱れる髪を押さえながら、あたしは類に問う。
「意外に思うかもしれないけど、子供の頃よく来たんだ」
「ここに?」
「うん。葉山にうちの別荘がある。ここから近い」
類は山の手の方を指差して笑う。

「俺、子供の頃、話さなくなった時期があったって言ったろ?」
「うん」
類は幼少の頃、お父さんからの厳しい英才教育に耐えられなくなって、自家中毒のような症状を起こしたことがあったという。もともと内気だった彼は一層内向的になり、物言わぬ子供へと変貌してしまった。
「その別荘に、療養の目的で滞在していたことがあるんだ。心療内科医の勧めで、環境を変えるのに邸から一旦出した方がいいだろうって話になったらしくて」
あたしは、何でもないことのように過去を語る類をじっと見つめる。
「ここで過ごしたときのことは鮮明に覚えてる。…海がきれいで、空がきれいで、邸にいたときより数倍、世界が広く美しく見えた」
「思い出の場所なんだね」


あたしは波打ち際で波と戯れている幼児の姿に、かつてアルバムで見た幼い類の姿を重ねて見る。
―生まれながらに、宿命を背負っている彼ら。
―あたしとは違う自由と束縛を持っている彼ら。
急に胸がつまったように感じて黙り込むと、類は歩みを止めてあたしに向き合うようにする。
「牧野?」
あたしは類を見上げた。
「…類、大変だったんだろうなって思って」
くすっと類は笑う。
「手、繋いでいい?」
唐突な申し出にあたしは面喰うが、すぐにこくりと頷いた。

彼の大きな手が、あたしの手を包む。
「牧野とさ、こうして手を繋いでると、…すごく安心する」
類は再び歩き出しながら、あたしに言う。
「人は基本的には一人なんだけど、…でも孤独じゃないって強く思える」
同じことをあたしも感じていた。類の手から伝わってくる温かいものは、あたしの欠けた心を満たし、安らぎを与えてくれる。
あたしたちはそのまま歩を進め、途中で折り返して元来た道を戻り始めた。
その間繋いだ手は離さず、時折は微笑み合って……。
まるで恋人同士であるかのような親密なやり取りに、あたしはどんどん胸が熱くなるのを感じていた。


海岸の散歩から戻ると、あたしたちは先ほど類が話していた葉山の別荘へと向かった。今日はそこでランチをするらしい。
「別荘の管理ってどうしてるの?」
「管理人がいるんだよ」
類はハンドルを切り返しながら答えてくれる。
「今は年に一回も利用しない別荘だけど、あそこは両親にとって特別な思い入れがあるからね」

相模湾を臨む高台の上にその別荘はあった。類にエスコートされながらその場に降り立つと、凝った作りの平屋建ての邸宅の玄関先で、あたし達の到着を待っている人達の姿が目に入った。
「管理人のご夫婦だよ」
「お待ちしておりました。類様、牧野様」
「あの、初めまして…。牧野つくしと申します」
老夫婦は目元を和ませてあたし達を出迎え、中へ招き入れてくれた。


厨房ではシェフが二人、忙しそうにランチの準備をしていた。よく見れば、彼らはいつもは花沢邸の厨房にいる馴染みのシェフ達だった。あたしが会釈するのを見ると、二人は調理の手を止めて、深く一礼をした。
「類様、すぐ食事になさいますか?」
「うん。そうしてもらえる?」
向かい合って座り、料理を待つ間、頃合いだと思ってあたしは鞄からプレゼントを取り出す。大きさは掌に載るほどのサイズ。
「あの、これ…」
類はあたしの差し出した袋にじっと目線を注ぎ、ふんわりと笑んだ。
「誕生日おめでとう、類」
「ありがとう…。一緒に過ごしてくれるだけでよかったのに」
そう言いながらも、嬉しそうに受け取ってくれる。
「意外に重いね…。開けていい?」
あたしはこくりと頷いた。

「これは…ペーパーウェイト? ペンホルダーでもある?」
「よく分かったね。その両方を兼ねてるんだよ」
去年彼に贈ったのはブックマーカー、今年あたしが選んだのも文具用品だった。
それは一見すると単なるインテリアなんだけれど、それなりに重さがあって文鎮としての役割があり、ペン置きとしても使うことができる。デスクワークが多い彼に、机上に置いて目を楽しませてもらえたら…と思って選んだ一品だった。
「面白いデザインだね。…手作りじゃないよね?」
あたしは笑う。
「うん。さすがに無理だよ」


ランチはイタリアンのフルコースだった。あたしはもう食事のマナーで迷うことはなかった。夢乃さんにしっかりレクチャーしてもらったもの。
「お、美味しい…っ」
料理はどれも絶品だった。
あたしが料理を口に運び、その度に絶賛するのを類は楽しそうに見守っていた。
珍しく類の食事もいつもより進んでいた。長身の彼は、その体躯に見合わないほど少食だ。しかも偏食の塊で、何度それを改めるように言ったか、分からないほどだ。

「今日は残さないんだね?」
あたしがちょっとだけ皮肉をこめてそう言うと、類は笑う。
「あんたに口やかましく言われて、偏食を直すように心掛けてきたつもりではあるよ」
「…口やかましくって、失礼な」
―確かにくどくど説教をしてやった記憶はあるが。
「それに、牧野がいるから美味しく感じるんだと思う」
「………っ」
―それって、そういう意味に取っていいんだよね?


食後のコーヒーと、あたしにだけデザートを運び終えると、シェフ達は一礼して厨房を出ていってしまった。シェフ達だけじゃなく、いつの間にか管理人さん達の姿も見えなくなっていることに、あたしはようやく気付く。
―どうしよう。二人きり、なんだ。
急に静かになったその空間に、あたしはにわかに気恥ずかしさを覚えて黙り込む。
「食事が終わったら、森林浴に行かない?」
あたしの緊張を知ってか知らずか、類はにこやかに提案をする。
「森林浴?」
「うん。裏手に遊歩道があるのに気付いた?」
あたしは首を横に振る。

「樹木が出す精油の中に、フィトンチッドっていう成分が含まれるのを知ってる?」
「確かアロマの講習で…」
ヒーリング効果を持つという森の香りの正体だ。
「あれ、好きなんだよね。…遊歩道を抜けると、相模湾が一望できる場所がある。…俺のお気に入りの場所」
あたしはデザートを掬うスプーンの手を止めた。
あたしを見つめる類の目がこれまでにないほど綺麗で優しくて、どうしてもドギマギしてしまう。
「うん、散歩しようね」
あたしはやっとの思いでそう言って、デザートの残りを口に掬い入れた。
舌がとろけるような甘い味わいも、コーヒーの芳醇な香りも、あたしにはもう分からなくなっていた。



管理人さんがよほどしっかり手入れをしているのだろう。鬱蒼うっそうとした森の中に人知れず整備された遊歩道は、行く手を阻む枯れ枝もないまま奥へ奥へと続いている。
あたしと類は、どちらともなくまた手を繋ぎ、その指先を絡め合った。春の日差しは弱まることなく降り注いでいたが、森林の中は仄暗さと静謐せいひつに満ちている。
清らかな、森の匂い。
それを胸一杯に吸い込むと、あたしの心は凪いでいった。
きっと…類もそうだったろう。


ひんやりとした森林を抜け、空が開けた場所に出ると、あたしはその場所から見える絶景に息を呑んだ。
「すごい…! 綺麗…っ」
相模湾の海岸線が緩やかなカーブを描いている。
海原の青の青さに、あたしはすっかり心を奪われた。
その青は、あたしがかつて彼に贈った七宝焼きの、炎が織りなした深い青に似て、ただただ美しい。




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