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糸の証 ~31~

Category『糸の証』
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日曜日の午後、私は千石邸へと赴いた。
玄関では、なずなさんがご両親と並んで出迎えてくれた。

黒のデザインTシャツと、色彩の褪せたジーンズ。
ひとつ纏めの髪と、素顔。
鎧を脱ぎ捨てた少女の姿がそこにある。

なずなさんの表情は、一晩で見違えるような輝きを放つようになった。見失っていたものをようやく取り戻し、瞳には強い意志が宿る。これこそが本来の彼女なのだと嬉しく思う。


リビングルームへと通され、ローテーブルを挟んで三人と向かい合って座る。なずなさんが真ん中だ。その配置からも関係性の変化が窺える。幼い兄弟の姿が見えないのでそれを訊ねると、今は公佳さんの実家に預けているのだと説明された。

「ご家族で話し合いはできましたか?」
「はい」
千石社長の力強い返答に、ようやく、という思いが沸き上がる。
「なずなの話を聞きました。分からないことは質問しました。それから私も妻も、自分の気持ちを包み隠さず話しました」
「それを聞いて安心しました。…なずなさん、自分でちゃんと話せたんですね」
なずなさんと目が合う。彼女ははにかんだように笑い、大きく頷いた。

社長が言葉を継ぐ。
「私は、あまりに多くのことを知らないままでした。…なずなが子供だからと本音は隠し、真摯な気持ちで向き合おうとしてきませんでした。なずなの苦しみを理解しようと、努力してきませんでした。
先生のご指摘の通り、家族関係を複雑にさせてしまっていたのは私です。仕事は言い訳にはなりません。そのことをとても恥ずかしく思っています」



「先生」
なずなさんがこちらに呼びかける。
膝上に両手を置き、背筋をピンと張って、彼女は深く頭を下げた。
「改めて謝罪させてください。昨日のことだけじゃなくて、出会ってからのことも。たくさん迷惑をかけてすみませんでした」
「なずなさん…」
「公佳さんに指摘されて気づいたの。……あたし、自分にされて嫌だったことを、先生にもしてしまったんだよね。お父さんが、うちのことより仕事を優先してきたことにあんなに腹を立てていたのに、昨日のあたしも、先生に仕事を優先させてしまった。…だから、本当にごめんなさい」


頭を伏せたままのなずなさんに、そっと声をかける。
「謝罪の言葉はもう受け取りました。どうぞ、顔を上げてください」
「…先生」
「結果オーライだと主人は言っていました。私も同じ思いです。きっかけはどうあれ、ご家族が本音で話ができたことを嬉しく思います。…もうじき裁判が始まります。それまでにはどうしても、家族の気持ちをひとつにしておく必要がありました。間に合って良かったと思います」

裁判という言葉に、なずなさんの表情がサッと曇る。
依然として、訴訟は現実問題だ。


「今回の訴訟では、双方の主張が真っ向から対立しています。虐めの加害者・被害者がどちらなのか。中学校でのトラブルについては目撃者の証言があり、現時点でなずなさんに有利な情報がありません。学校という極めて狭い範囲で起きたことが、外的な調査をとても難しくしています。まだアプローチは続けてみますが、先方の主張を覆すような情報は期待できないかもしれません」

三人は一様に頷く。
その顔をゆっくり見渡し、私は提案する。

「これに対抗するために、裁判所に反訴を提起したいと思います」
「反訴、となると、佐竹田さん側を訴え返すということですか?」
社長の問いに、私は頷く。
「そうです。なずなさんと佐竹田真尋さんの確執は数年前から継続している問題であり、その延長線上に今回のトラブルがあると、同じ裁判の中で審理していただくのです。過去のトラブルを相手による虐め行為だと認定してもらい、併せて慰謝料請求を行います。反訴の際は、本谷紗南さんが証人の一人となることを約束してくださっています」


反訴とは、民事訴訟の被告(訴えられた方)が、裁判中に原告(訴えを起こした方)を相手どり、新たに提訴を行うことをいう。反訴の内容は、本訴(最初に起こされた訴え)との関連性が認められなければいけない。この手法を取れば一つの裁判の中で一括した審理が行われるため、別訴(別件の訴え)を起こすよりも手続きが簡便で、解決も早い。

反訴を行えば、相手側の鴫谷弁護士も方針を改めるかもしれない。訴訟が長引くことや望まない判決が出ることを回避するため、裁判前に話し合いの場を設けることに同意してくれる可能性がある。


「反訴の手続きを行うためには別途費用が発生します。それでも、現状のまま裁判で争うより有利な結果が得られる可能性があります。いかがいたしましょうか」
「ぜひ、お願いします」
社長の返答は早かった。
「費用は問題ではありません。私は、なずなの名誉を守りたいです。…相手の子のなずなに向けた行為が、どういう感情から起きたものなのか。なぜ、なずながこんなふうに苦しまなくてはいけなかったか。それが知りたいんです」
「公佳さんも、なずなさんも同意見ということでよろしいでしょうか」
「「はい」」
二人からは同時に返答がある。
「では明日、反訴の手続きに入りたいと思います。裁判までに更なる情報収集が必要になります。これからいくつか質問をしますので、お答えいただけるでしょうか」





長い話し合いの後、なずなさんが二人で少し話がしたいと申し出た。2階の彼女の自室に通され、座るところがないからと並んでベッドに腰掛ける。

「あのさ、先生」
なずなさんは膝の上で両手を組み、親指をくるくると絡ませながら切り出した。
「あたし、本当に反省してるんだよ。……今まで自分のことばっかりで、他のことには目を向けてこなかったし、知ろうともしなかった。昨日、お父さんや公佳さんと話してみて、それがよく分かった」
「もう、わだかまりはなくなったんですか?」
質問に対して、彼女は苦笑する。

「正直ね、全部が全部、すぐにってわけにはいかないけど。でも、以前とは違った受け止め方ができた。…公佳さんのことは、たぶん、これからもお母さんとは呼べないと思う。あたしにとって、やっぱりお母さんは一人だけだから」
「…そうですか」
「でも、公佳さんはそれでもいいって言ってくれたんだ。母親と思ってくれなくていい。でも、友人みたいな近しい存在でありたいって。……その言葉が、なんか、素直に嬉しかったんだよね」
「家族の形はいろいろです。これからゆっくり関係性を育み直していけばいいと思います」
「うん」
なずなさんは神妙な面持ちで頷く。


「お父さんとは初めて本音で話せた。会社を継ぐ、経営するってことがどれほど大変なことか、ちゃんと教えてもらった。どうして公佳さんと結婚することにしたのか、そういう気持ちとか全部。
…聞きたくないと思ってきたことを最後まで聞くことができたのは、先生とRuiの言葉が支えてくれたからだと思う。過去の自分はリセットして、今の自分がどう感じるのかだけ考えて話を聞いた」
「状況を客観視できたんですね」
「うん…。あたしね、お父さんは苦労なく何でもできる人間だと思ってた。物心ついた時から社長だったし。お母さんのこともあって、ずっと……憎んできた。……でも、お父さんも、あたしと同じように悩んだり、苦しんだり、誰かの支えが必要なことがあるって分かって、それはそうだよなって思い直すことができたの」

誰だって、つらい時や苦しい時がある。
弱音を吐くことを許されたい時がある。
努力を認められたい時がある。

父親の不完全な一面を知ったことで、なずなさんの理解は急速に進んだのだ。



「…あたしさ、本当は、真尋のこともよく分かってなかったんだと思う」
なずなさんは続ける。
「どうしてあんなに関係がこじれてしまったのか。強い悪意を向けられたのか。……だから、知りたい。真尋と直接話してみたい。……できれば、これ以上争いたくないんだ」
私は大きく頷いた。
「なずなさんの気持ちは分かりました。裁判の前に、先方との話し合いの場が整うように、積極的に働きかけを行っていこうと思います」
「…ありがとう、先生」

少女はホッとしたように小さく笑った。
それが本物の笑顔になるよう、できる限りのことをしよう。
私は改めて心に誓った。







いつも拍手をありがとうございます。
ようやく千石家の気持ちがひとつになりました。
つくしは反訴に踏み切ります。
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2 Comments

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2020/07/15 (Wed) 10:42 | REPLY |   
nainai

nainai  

ゆ****様

こんばんは。
いつもコメントありがとうございます♪

相変わらずご指摘が鋭い…Σ(・ω・ノ)ノ! 真尋の人物像はこれから明らかにしていきます。つくしがどのようにして真相に迫っていくか、楽しみにしていてくださいね。

家族であっても本音で言い合うのはなかなか難しいことです。千石家は重大な局面を迎えて、ようやく歩み寄りをはかることができました。なずながだんだん素直になっていく過程は、生みの親としては書いていて楽しい部分です。

2020/07/15 (Wed) 23:42 | REPLY |   

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