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糸の証 ~36~

Category『糸の証』
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「真尋さん」

再び無表情になった少女に呼びかける。
新しい文書を渡す前に、これだけは伝えておきたいと思った。
相手は目線だけをこちらに流し、応えることはしない。母親は娘を庇うようにその肩を抱き、こちらをひたと睨み据えている。

「虐め問題ではよくあることなのですが、加害者側は虐めを行ったことや相手を忘れることがあります。しかし、被害者側は虐められたことや相手のことを決して忘れることはありません。悔しい思いや苦しい気持ちはどこにも行き場がなく、心に残り続けるからです」
「………」
「あなたは、誰に対しても虐めを行っていないと主張されましたね。でも、それは真尋さん側の認識です」
「………」
「そのことを踏まえ、こちらの文書をご覧ください」



私は、手の中の文書を鴫谷先生に渡す。
先生は先程と同じように、聡美さんにも見えるようにそれを開いて置いた。

「私達は考えました。過去、真尋さんがトラブルを起こした相手は、果たして、なずなさんだけだっただろうか、と。そこで、あなたのルーツを遡って調べていくことにしたんです。……皆さん、あなたや聡美さんのことをよく覚えていて、いろいろな話を聞かせてくださいました」

佐竹田家が10年間暮らしたマンションの住民達の話。
そこに住む、真尋さんと同世代の子供達の話。その友人達の話。
彼女達に纏わるエピソードは、予想以上に多く集まった。相手にとっては、それだけ記憶に留めやすい内容だったのだ。手分けして収集した数十頁にも及ぶメモを纏めて、この文書は出来上がった。

「先ほど、真尋さんは、どうやって証言の真実性を証明するのかとお聞きになりましたね。私はこう考えます。様々なコミュニティにおいて偏りなく証言を集めていき、その内容に共通項を見出すことができれば、真実性の証明は可能になるのではないかと。私達は実に多くの方々に話を聞きに行きました。記載された情報はその一部に過ぎません」



文書には、真尋さんだけではなく、母親である聡美さんについての証言も載せている。すべてを読み終えると聡美さんは再び色を失い、鴫谷先生に小声で耳打ちした。先生はそれに応じるように頷き、こちらに猶予を求めた。
「申し訳ないのですが、お時間をいただけないでしょうか。これ以降の話は、佐竹田さんのご主人の到着を待ってからにしたいのですが…」
「……分かりました」



不在の父親について言及され、わずかに言い淀み、それでも是と返答した時だった。会議室のドアをノックする音が響いた。全員の視線が一斉に入口の方に向かう。海藤先生が返事をすると、ガチャリという開閉音と共に扉が開いた。
濃いグレーのスーツに身を包んだ男性がそこに立っていた。

「遅れて申し訳ございません。佐竹田です」
真尋さんの父親だ。彼の背後からは佐久間さんが姿を見せ、こちらに向けて素早くウインクする。私は小さく頷いて応じた。
佐竹田氏の登場に、真尋さんは表情を変えず、聡美さんは明らかにホッとした表情を見せた。鴫谷先生が立ち上がって応じる。

「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
「はい」
「これまでの話し合いの内容について説明しましょう」
「いえ、結構です」
彼は短く否定する。
「私は隣室で待機しておりました。やり取りの一部始終はモニターで把握しております」

佐竹田氏の回答に、聡美さんを含め、その場にいた多くの人が驚きの声を発した。話し合いの記録を残すために回していたビデオカメラの映像は、隣室に設置したパソコンにデータ転送するように設定していた。佐竹田氏への応対は、佐久間さんに頼んでおいた。先ほどのウインクは万事上手くいったことを示していたのだ。



佐竹田氏は鴫谷先生の隣に座り、正面にいる私を見つめて会釈した。
彼とは、水曜日の午後、すでに面識を得ている。

「4日前、私は牧野先生にお会いしました。先生は自分達が掴んでいる情報の一部を明かし、この裁判を行うことのメリット・デメリットを分かり易く説明してくれました。それは、妻から聞いていた話とは全く異なる内容でした」
会議室内はシンと静まり返る。
「最初は牧野先生の話など信じられなかったのですが、情報は情報として検証するべきだと思い直し、独自に調べてみることにしたのです。そして、妻や真尋がどのような態度で話し合いに臨むのか、第三者の目線で見届けたいと思い、隣室に待機させていただきました。総合的に評価した上で、私見を述べます」



佐竹田氏との事前の面会は奏功するだろうか―。
話し合いが始まるまでそれを懸念していたが、約束の時刻に佐竹田氏が到着した、と佐久間さんから連絡があった時、事態は好転するだろうという確信を得た。


佐竹田氏は、こちらの予想通り、妻子と別居していた。彼にはすでに別のパートナーがいる。それでも佐竹田家の三人は戸籍上は家族のまま、この数年間を過ごしてきた。聡美さんが頑として離婚に応じないためだ。聡美さんに経済力がなく、真尋さんも幼かったために、離婚に踏み切れなかったそうだ。
この春、新たに購入したマンションは慰謝料代わりに用意したもので、だが、そこに彼の荷物はなく、遠くない未来に離婚調停を行うことになると彼は述べた。

そもそも、佐竹田氏はこの訴訟には乗り気でなかった。所詮は中学生同士の争いだから。だが、聡美さんが真尋さんの名誉回復のためにどうしてもと言い張るから、妻子に対して負い目のある彼は、要望に応じないわけにはいかなかったという。


私は、佐久間さんの調査報告からその可能性を見出した。それで、強硬な態度を貫く母親ではなく、家庭に対して無関心に見える父親の方に照準を絞り、こちらから突き崩すことを決めた。社会的な地位の高い人間ほど体裁を気にするものだ。もちろん、提示した情報には虚偽は一切含まれない。…だが、今回のケースでどちらに分があるのかは、火を見るより明らかだったはずだ。



「私は、真尋が虐めを行っていたと判断しました。本人にその認識はなくても、娘がしてきたことは虐め行為に該当すると思います。…ですから今回の訴えを取り下げ、千石さんに謝罪したいと思います」
「…あなたっ!」
佐竹田氏の宣言に、悲鳴のような声を発したのは聡美さんだ。
「どうして真尋を信じないの!? あなたの娘なのに…っ!!」
「信じたい気持ちはもちろんある。自分の娘だから」
「この子はやっていないと言ってるのよ!?」

佐竹田氏は冷静だ。
…いや、違う。彼は冷徹なのだ。
事態をここまで大きくしてしまった妻に対して。伴侶を見やる彼の眼差しはどこまでも無機質で、先程真尋さんが母親に向けたそれと恐ろしくよく似ていた。

「だが、私は、真尋に対する好意的な評価をどこからも得ることができなかった。…それは、鴫谷先生も同じなのではないですか?」
問いかけられた鴫谷先生は静かに頭を下げ、無言の同意を示す。情報収集なら先生側でも行っただろう。その過程で彼も気づいていたはずだ。それでも鴫谷先生は依頼人の意向に沿い、自ら担当を降りることはしなかった。


でも、と言い募る妻に、佐竹田氏は静かに告げる。
「牧野先生達が掴んでいる情報はここに提示されたものよりずっと多い。どれも捏造されたものではない。お前は自分の信じたいことを信じているだけじゃないのか。…知り合いの弁護士にも相談してみたが、十中八九、負ける案件だとコメントされたよ」
「そんな…」
絶句してしまった妻から視線を外し、彼は無言のままの娘を見た。
真尋さんは両親の会話にも興味を示さず、机上に置かれた文書にじっと視線を注いでいる。そこにあるのは悲観でも諦観でもない。…完全なる虚無だ。


「真尋。言いたいことはないか」
「ないよ。…私が悪いと思うなら、裁判はやめたらいい」
「お前には、虐めをしてきたという自覚があるか?」
「謝れって言うなら、そうするよ」
「ただ謝ればいいというものではない! 千石さんにそれを許してもらう必要がある。自分の行いを反省し、もう二度とこのようなことはしないと誓う必要がある。…その意味が分かるか!?」


佐竹田氏の声が明確な苛立ちを孕む。真尋さんから思うような反応が返らないからだろう。父親からの糾弾にも顔色ひとつ変えることなく、淡々と応じる彼女の様子には傍目にも違和感があった。それは、千石社長の言葉を一切受け入れなかった、かつてのなずなさんの姿を想起させた。

何も響いていないのだ。
今の真尋さんの心には。



少女はおもむろに立ち上がり、なずなさんに向けて深く頭を下げた。
「千石さん、不快な思いをさせてきたことを謝ります。…本当にすみませんでした」







いつも拍手をありがとうございます。
第34話の中で、喫茶店でつくしが面会していたのは佐竹田氏でした。
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4 Comments

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2020/07/27 (Mon) 00:47 | REPLY |   

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2020/07/27 (Mon) 18:11 | REPLY |   
nainai

nainai  

二******様

こんばんは。
コメントありがとうございます(*^▽^*)

佐竹田家の問題が徐々に浮き彫りになってきたかと思います。ネックは母親のようです。つくしが母親ではなく父親にアプローチしたのは、彼が家庭に無関心に見えるからこそ、面倒事は避けたがるだろうと踏んだからでした。彼はね、ご指摘の通り、あまり良い人でもないのですよ…(;^_^A

さて、真尋は心を閉ざしたままのようです。つくしはこの問題についてどう考えているのか。二様のご期待に添えるか分かりませんが、終着点を楽しみにしていてくださいね。

2020/07/27 (Mon) 22:44 | REPLY |   
nainai

nainai  

ゆ****様

こんばんは。
コメントありがとうございます(*^-^*)

佐竹田家には様々な問題がありましたが、視野の狭い母親には全貌が見えていませんでした。信じたいものだけを信じる。まさにこの一言に尽きますね。

第33話の後半、つくしが類に心の迷いを打ち明けるシーンがありました。この時、つくしが考えていたのは真尋のことでした。依頼人の利益を守ることだけが弁護士の在り方だろうか。その問いに対する答えをこれから明かしていこうと思います。最後までよろしくお付き合いくださいね。

2020/07/27 (Mon) 23:11 | REPLY |   

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