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糸の証 ~37~

Category『糸の証』
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佐竹田氏の登場によって、話し合いは急速に収束に向かった。
彼は自分の娘の非を認めた。妻の哀訴は切り捨てた。
真尋さんに謝罪をさせ、自らも誠意をもって謝罪し、本訴の取り下げを千石社長に約束した。鴫谷先生は、明日にも取り下げの手続きを行うという。

千石社長の対応は落ち着いていた。なずなさんの気持ちを酌み、彼女の同意を得た上で反訴を取り下げることを承諾した。
こうして、この一連の騒動は終結したかのように思われた。



話し合いが終了し、皆は帰り支度を始める。
海藤先生に一礼した後、私はテーブルの向こう側に呼びかけた。
「佐竹田さん」
反応を示したのは佐竹田氏だけだ。
「お話ししておきたいことがあります。少しお時間をいただけないでしょうか」
「はい。分かりました」

これから話すことは、『一番出したくないカード』の内容だ。両家の話し合いの中で、そのカードまで切らずに済んだことはよかったと思う。だが、放置しておくこともできない事柄だと認識していて、佐竹田氏にはすでに一部を明かしている。
彼は私の意図を察し、鴫谷弁護士と事務員に今日までの尽力の礼を述べ、先の退室を促した。

千石家のフォローは、海藤先生と佐久間さんにお願いしている。物言いたげななずなさんと視線が合ったが、公佳さんにそっと促され、彼女も退出していった。
そうして、会議室内には佐竹田家の三人と私だけが残った。




「私達が準備していた次の文書です。どうぞご覧ください」
私は佐竹田氏にそれを手渡す。彼はさっと一読した後、力なく項垂れて椅子に座りこむ妻に、その文書を見せようとした。だが、聡美さんは夫の手を邪険に払いのけ、一向に目を向けようとしない。
「…読まないのなら、読み上げてやろうか?」
佐竹田氏の声音は凍てつくように冷たく、そこに家族への親愛など微塵も感じられない。夫婦関係はとうに破綻しているのだ。
それを見ているのが心苦しくなり、私は彼の言動を遮った。

「佐竹田さん、どうぞおかけになってください。私からお話しさせていただきます」
彼は頷き、椅子に腰を落とした。
私は沈黙したままの聡美さんと真尋さんに向けて、静かに話しかける。
「今日の真尋さんとの会話の中で、気になっている言葉があります。…それは『正当防衛』というワードです」

民法第720条には、正当防衛の規定がある。その1項には、『他人の不法行為に対し、自己又は第三者の権利又は法律上保護される利益を防衛するため、やむを得ず加害行為をした者は、損害賠償の責任を負わない』とある。

「今回の訴訟内容と照らし合わせれば、『他人の不当行為』は『なずなさんの虐め行為』と捉えるべきなのでしょう。なずなさんからの虐めがあったから、それに対抗して相手にやり返したのだと。しかし、実際には、なずなさんからのアクションはありませんでした。…だとしたら、この場合の『他人』は誰で、『不当行為』とは何を指していたのでしょうか」


この時、初めて、真尋さんがはっきりと反応を示した。
強い視線を感じる。
彼女は伏せていた顔を上げ、食い入るように私を見つめていた。


「なずなさんとの言い争いの中にも気になる発言がありました。ピアノは好きではない、コンクールで一番になれればよかった、という部分です。…では、真尋さんは、何のために一番になる必要があったのでしょうか」
これにも応える声はない。
「聞き込みの中では、聡美さんが娘のピアノ指導に熱心だった、という証言をよく耳にしました。その指導は時に厳しすぎるように見えた、という声も多かったです。…ここで、私は、考えたのです」



膨大な数の情報。
不揃いに見えるピース達。
それらを組み合わせ、並べ替えて立てた一つの推論。



「真尋さんは、ピアノを続けていくことに困難を感じていたのではありませんか? コンクール優勝という大きな目標に対し、常々耐えがたいプレッシャーを感じていた。いい成果を収めなければ、聡美さんからの厳しい叱責と指導が待っているからです。……つまり、それこそが彼女の考える『不当行為』であり、その反動が、自分に反発する他者への加害行為となって表れていたのではないでしょうか。
千石なずなさんはコンクール入賞の常連でした。彼女を攻撃することは、ひいては自分の立ち位置を守ることで、だから真尋さんにとっては『正当防衛』だったと私は考えました。

春に引越しをしたことで二人が同じ校区になり、中学校で再会することになったのは偶然でしょう。真尋さんは、なずなさんの強い怒りを利用して諍いを大きくし、自分が不登校になれる状況を作り出しました。精神面での不調を訴え、夏のコンクール出場を回避することに成功しました。
真尋さんにとって重要な問題は、学校生活ではなくピアノの方だったんです。…こうした事情があったから、訴訟を起こすことに消極的だったのではないですか?」



グシャッという音と共に、机上の文書が握り潰された。
苛烈な怒りに震える聡美さんが立ち上がり、手中のそれを私に投げつけようと右腕を振り上げる。夫の制止よりも、私が身構えるよりも早く、大きな拍手と場違いなほど明るい声がその状況を止めた。

「すごい! 牧野先生って本当に優秀ですね。いまの全部、推理したんでしょう?」

真尋さんの喜々とした表情を、聡美さんは唖然として見下ろした。父親の目がすっと細められる。私は真尋さんの言葉をやんわりと訂正した。
「これには憶測が含まれます。…ですが、こう考えれば辻褄が合うんです」
「そうでしょうね。それ、ほとんど合ってますから。ズバズバ言い当てられて、すごくビックリしてるんですよ」


「…じゃあ、本当のことなの?」
打ちのめされた母親の声はか細かった。
手の中の文書が、皺くちゃになって机上に転がり落ちる。
「あなたが虐められていたんじゃなくて、全部逆だったの? …学校に行けないというのも嘘なの?」
真尋さんは、尚も否定の言葉を待ち続ける彼女に向けて、残酷な一言を告げた。
「残念だけど、そうだよ」

聡美さんは机に突っ伏し、わぁっと泣き出した。娘の罪を目の当たりにし、体裁を保っていられなくなったのだろう。
加害者であることと被害者であることとは、天と地ほどに違いがある。良かれと思って起こした母親の行動は、結局は娘を糾弾する結果に繋がった。ただ、それにしては、真尋さんにはあまりにも罪の意識がない。



真尋さんと目が合う。
このような場面なのに、なぜか微笑みが返る。

今しかない、と思った。
彼女の興味がまだこちらにあることを確信し、その心に訴えかける。



「話してください。真尋さんの気持ちを」
両親の干渉は受けず、自分の言葉で。
第三者の私がいるこの状況下でなら、むしろ、それは可能なはずだった。
「あなたには、あなたの言い分があるはずです。教えてください」
「…どうしてですか?」
「あなたがなぜあのような行動をとったのか、動機が知りたいんです」
「知ってどうするんです? また訴えるんですか?」
「もし、あなたを取り巻く環境の改善に第三者の介入が必要ならば、私がその役割を果たすと約束します」



その時、真尋さんは目の奥を輝かせた。
…私にはそう見えた。




「牧野先生って、優しいんですね」
真尋さんの声は落ち着いている。投げ置かれ、小さくなった文書を手に取り、その皺を伸ばすようにした。隣席の聡美さんはまだ泣き伏している。佐竹田氏は無言のまま状況を見守っている。
「…この文書、話し合いでは出すつもりがなかったんでしょ? 私達家族の歪みが、これ以上、人前で明らかにならないように配慮してくれたんですよね。情報は小出しにして、何度も警告してくれて、千石さんとの話し合いが早く終わるように」

その文書の中には、佐竹田家の家族関係についての記載がある。個人情報をより深く掘り下げたもので、しかも、この家族の在り方を真っ向から否定する内容だ。
長い別居生活。破綻した夫婦関係。母親から娘への過干渉。
―それらを裏付けるエピソード群。

「裁判が行われていたら、真尋さんの人格形成に影響した要因として提出する予定の資料でした」
「相手のことを調べ尽くすのは、弁護士の常套手段ですもんね」
「えぇ、そうです」

真尋さんは文書の最後まで目を通し、今度はそっと机に置いた。
そして、彼女の心の内を語り始めた。







いつも拍手をありがとうございます。
第33話では、相手側に温情を示すなと澤田先生に怒られたつくしなのですが、やはり非情にはなりきれず、また見捨てることもできませんでした。話し合いでは早々に幕引きを図り、佐竹田家の抱える問題へと迫っていきます。
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2 Comments

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2020/07/29 (Wed) 12:16 | REPLY |   
nainai

nainai  

ル*様

こんばんは。
コメントありがとうございます(*^-^*)

つくし達のチーム(朝比奈先生と佐久間さんの3人)は聞き込みで膨大な量の情報を得ました。その中で、つくしは千石家が抱える問題より、佐竹田家が抱える問題の方が深刻だと判断しました。ここで佐竹田家の問題を解決することは、未来に起きたかもしれないトラブルを回避することにも繋がると思ったのです。

自分で選んだ題材ですが、いろいろ難しくてすごく悩みながら執筆しています。類の出番はもう少しお待ちください~💦 残りの話数も少なくなってきました。最後までお楽しみくださいね。

2020/07/30 (Thu) 00:10 | REPLY |   

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