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糸の証 ~38~

Category『糸の証』
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「私、ピアノも勉強も好きじゃありません。それでも、自分なりに一生懸命やってきたつもりです。ピアノではコンクール優勝を、勉強ではトップを目指していました。小学4年の時、あるコンクールの地方大会で初めて優勝しました。そうすると、次からは優勝することを前提とした良い結果を求められました。テストでいい成績を取れば、次もキープしないと怒られました。

それで、ある時、気付いてしまったんです。上を目指すことにはキリがないって。ある集団で一番になっても、その上にはレベルの高い別の集団があるだけで、努力は延々と続けないといけないんだって。でも、それなら、無理して上に行かない方が心中穏やかでいられますよね?」

「母はいつも私に厳しかったです。それが当たり前だと思っていました。でも、他の家庭を知るにつれ、違和感を覚える時が来ました。…何が悲しいって、母は、私のためではなく自分のためにそうしたかっただけなんですよね。全部、父の気を引くため。私が優秀なら父が喜ぶから。
両親は何年も前から別居しています。それでも、父は私に関する行事には顔を出してくれましたから、私の努力は両親の関係を繋ぎとめるものとして利用されていたと思います」

いつしか聡美さんは泣き止んで顔を上げ、虚ろな瞳のままに真尋さんの独白を聞いていた。真尋さんはその視線に気づいていたが、一切を無視している。



「友人関係をコントロールしようとしたのはなぜですか?」
私の問いかけに、真尋さんは少し考えてから返答する。

「…きっかけは些細なことでした。友達にジュースを奢ってあげたらすごく喜ばれたんです。お礼を言われて、楽しい時間を共有できて、その時だけは嫌なことを忘れられました。家の中では何から何まで母に管理され、制限されていたので、外でだけは自由に気楽に過ごしたかったんです。

お金やプレゼントで人の気持ちが掴めることが分かると、どうすれば相手を自分の思い通りに動かせるかを考えるようになりました。気に入らない子がいたら、輪からはじき出すようにしました。そういう関係が本物の繋がりでないことは分かっていましたが、どうしても一人になるのは嫌でした。集団のトップでいられれば、自分さえ楽しければ、それでよかったんです」



「なぜ、なずなさんと敵対したんですか?」
この問いには、苦い笑みが返る。
「…先生は、どう思ってます?」
「単純に考えれば、なずなさんのピアノ技術に嫉妬したからではないかと…」
「それもあります。…あの子、本当に巧くて。移籍してくる前から千石さんのことは知っていました。私が何日かけても弾きこなせない曲を、千石さんは初見で簡単に弾いてみせたんです。能力の差は歴然でした。全国レベルとはこういうものだと強いショックを受けました」

「それでも、一緒に遊ぶようになったんですよね。なずなさんは真尋さんがグループに誘ってくれたと言っていました」
「すごく興味があったんです。千石さんがどんな子なのか、どんなふうにピアノを練習しているのか。どうしたら私の傍にいてくれるのか。…でも、友人関係はすぐ解消しました。あの子の気持ちが離れていってしまったんです」
「それが許せなかったんですか?」
「はい」
「なぜです? あなたには自分の思い通りになる友人達が傍にいたのに。自ら輪を外れていったなずなさんを、ターゲットにし続ける必要はなかったんじゃないですか?」


なぜ、なずなさんに拘る必要があったのか。
何年にもわたって、執拗に攻撃を続ける必要があったのか。


「…ある時、千石さんに聞かれたんです。どうしていつも人に奢ってあげるの?って。みんな自分のお小遣いがあるんだから奢ったりしないでいいと思う、と言うんです。みんなの喜ぶ顔が見たいからだと答えると、千石さんはそれ以上何も言わなかったんですが、その後も奢ることを良くないと思っている節がありました。

千石さんはグループに同調するのが苦手なようでした。場の雰囲気に流されるのが嫌だったんだと思います。そのうち遊びに誘っても断られることが多くなりました。…私はそのことで千石さんを問い詰めました。どうして誘いを断るのかって。すると、あの子はこう言ったんです。

“仲良くしてくれてありがとう。すごく楽しかった。でも、これからはもういいよ。あたしはここでは馴染めないみたい。でも、友達って無理して一緒にいるものじゃないから”…って。

…なんだか無性に腹が立ちました。私自身を強く否定された気持ちになって。私が守りたい世界は無価値だと、見下された気がしました」



だから、なずなさんの存在を完全に排除したかったのか。なまじ、なずなさんに嫌がらせに負けまいとする反骨精神があったから、余計に真尋さんの加虐心を煽った可能性がある。当時のなずなさんには彼女なりの苦悩があったが、それを知らない真尋さんには彼女がとても煌めいて見えたのだろう。

―否。

真尋さんは、どの時点からかは分からないが、千石家の内情を知っていた。なずなさんの家庭における悩みを熟知していたはず。だから、秋のコンクールが行われたあの日、本番直前に心理的な攻撃を仕掛け、なずなさんを動揺させて出場のチャンスを奪った。決定的な挫折を味わわせたのだ。



私がそのことを指摘すると、真尋さんは鼻で笑った。
これまでになく、冷ややかな表情で。

「実の母親かどうかって、それの何が問題なんですか? 牧野先生は千石さんに同情的ですけど、私からすればそんなの甘ったれてると思いますよ。大事なのは、血の繋がりじゃなくて、母親らしさじゃないんですか?
 
ピアノが巧く弾けるまで食事させてもらえなかったり、塾の勉強が終わるまで眠らせてもらえなかったり、成績が振るわないとぶたれたり…。私にはそれが日常でした。義理の母親からそんなふうに厳しくされたわけでもないのに、千石さんのどこに不満や苦悩があるんです? 死んだ母親に理想を重ね過ぎなんですよ」



―そうか。



唐突に理解できた。
真尋さんが一番許せないのはこの部分だ。

なずなさんの卓越した演奏技術への羨望。
自分の思い通りにはならないことへの苛立ち。
そうしたことよりも、何よりも、なずなさんが継母に向ける不満そのものが許せなかったのだ―。



真尋さんもずっと苦しんでいた。彼女を取り巻く狭小の世界の中で。
妻子を顧みない父。それでも父に執着する母。
歪な家族関係。厳しい教育。
苦境の中、どうすれば心穏やかでいられるのか、必死に模索した結果がああだった。

だが、彼女は、間違っている。
どうすれば、それを分かってもらえるだろう。



私は、考えていた。思考回路をフル稼働して。
真尋さんはこちらの様子をどことなく楽し気に見つめ、悠然と待ち構えている。どのような反論が返ってくるのか、と。
私は伝えたい言葉を纏め終え、静かに語りかけた。


「私は千石さんの代理人です。ですから、千石さんのために尽力することを求められてきました。しかし、それは、なずなさんのしてきたことをすべて容認し、正しいと主張することとは違います。数々の事情を考慮しても、彼女の素行には問題がありました。私はその点を指摘し、なずなさんはそれを改める決意をしました。ご家族とも本音で話し合いました。その上で、今日の話し合いに臨みました。

私には、未成年である子供達に、世の理や社会のルールを示して導く義務があります。進むべき道に迷っているのならその手を引き、たくさんの可能性を示してやる責務があります。でも、それは私が弁護士だからという理由ではなく、私が大人だからです。

今から真尋さんに話すことは、同じように未成年期を経て大人になった私が、自分の経験を踏まえて言える助言に過ぎません。そこには何の強制力もありませんし、何の共感も生まないかもしれません。でも、これからを生きていくあなたが、文書にあるような評価を受けずに、かつ心穏やかでいられるよう、その一助になれればいいと思っているのです」


私は、佐竹田家に雇われた人間ではない。
本来なら、ここで真尋さんに講釈を垂れていいような立場にはない。
それをしていいのは、依頼を受けた鴫谷弁護士だろう。

だが、佐竹田家の苦しい内情を知れば、方向性を誤ったままのこの家族をこのままにはしておけない。どこかで過ちは過ちだと指摘してやらなければ、いつまでも負の連鎖は続いていくだろう。


その時、全員の視線が私に向けられていた。
苦い表情の佐竹田氏。
感情を揺らしたままの聡美さん。
…そして、穏やかな微笑を浮かべた真尋さん。


「真尋さんの主張はお聞きしました。しかし、残念ながら私はあなたに共感できません。悩みというものは人それぞれなんですよ。あなたがその重さを勝手に量ることはできません。あなたの悩みがどんなに重いものだと思えても、なずなさんの悩みを自分より軽いものだと判断する権利がないのです。

例えば、病気に苦しんでいる人は、健康体であるあなたの悩みをどう思うでしょうか。例えば、お金がなくて生活が苦しい人は、裕福であるあなたの悩みをどう思うでしょうか。

人は、様々なライフステージにおいて予期せぬ困難と遭遇するものです。そのたびに悩み事の内容も緊急度も変化します。結局、ここで言えるのは、悩みには多様性と流動性があるということです。しかし、それが本人をひどく苦しめるものなら、内容にかかわらず、早急に解決の道を模索する必要があります。

すでにお分かりのことだと思いますが、あなたの行動は正当防衛には該当しません。真尋さんが聡美さんから厳しい教育を受けてきたことと、真尋さんがなずなさんや他の子供達に不快な思いをさせたことは、個々の問題として取り扱わなければいけません。しかし、この二つの問題は密接に関係し合っているので、前者の問題が解消されれば、後者の問題も連動して解消できる可能性があるでしょう」







いつも拍手をありがとうございます。
今回の案件の真相編でした。



現在、多忙中につき執筆が遅れております。隙間時間でコツコツ頑張ってきたのですが、力及ばず…。来週は予定通りに更新できないかもしれません。いつもの日時にUPがなければ、翌日以降のご訪問をお願いいたします。物語も大詰めなのに申し訳ございません。盆休みまでには連載を終了する予定です。

コロナ感染の広がりが非常に深刻になってきました。職場でもピリピリムードが続いています。皆様、くれぐれもご注意くださいませ。一日も早い終息を願って…。
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4 Comments

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2020/07/31 (Fri) 09:59 | REPLY |   

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2020/07/31 (Fri) 12:19 | REPLY |   
nainai

nainai  

ゆ****様

こんにちは。
コメントありがとうございます(*^^*)

今作では、二つの家族の親子関係に焦点を当てました。繊細な感受性ゆえに心を閉ざしていくなずな、閉塞感の強い家庭ゆえに二面性を持つようになる真尋という対極する未成年を、できるだけリアルに描いてみたかったのです。こうして話を進めていくと、どのような形であれ、外部との繋がりがあるということは大切なのだなと思います。

なんとか更新を途切れさせずに執筆を終えたかったのですが、まだ満足のいく出来に仕上がっていないので、もう少しお時間をいただくことにしました。待っていてくださいね(#^^#)

2020/08/01 (Sat) 15:28 | REPLY |   
nainai

nainai  

マ****様

こんにちは。コメントありがとうございます(*^-^*)
連載を楽しんでいただけているとのこと、とても嬉しいです。

7月初旬の目算では、もう最終話の執筆を終えているはずだったのですが…(-_-;) 今回は小難しい題材を選んでしまったので、第34話以降の執筆にものすごく時間がかかってしまいました。でも、最終話までの道筋は立っていますので、あと少しお時間をいただければ、と思います。

長かった梅雨が明けて、本格的な夏の到来ですね。マ****様もどうぞご自愛ください。励ましの言葉をありがとうございました。

2020/08/01 (Sat) 15:43 | REPLY |   

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