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糸の証 ~39~

Category『糸の証』
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その日の夜、私は千石邸のリビングルームにいた。両家の話し合い以後のことを報告するためだ。公佳さんは別室で幼い兄弟を寝かしつけているので、千石社長となずなさんの二人に概略を話していく。佐竹田家のプライバシーに配慮しつつ、二人の質問に答えた。

「それじゃ、真尋は、お父さんと暮らすことになったの?」
概略を聞き終えたなずなさんの第一声はそれだった。
「えぇ、一時的にですが。来春からは学生寮のある私立高校に入り、親元を離れるつもりだそうです。佐竹田氏には別のパートナーがいますが、その方が春まで別居することに同意してくれたので、父親とは二人暮らしになります」
「中学校は…」
「校区が変わるのでまた転校することになりますね。佐竹田さんは近日中に中学校に事情を話し、転校の手続きをすると話していましたので、なずなさんとはもうお会いする機会もないと思います」
そう、と応えた彼女の表情は冴えなかった。



「母親の方はよく納得しましたね。真尋さんを手離すことに反発しなかったんですか?」
千石社長の問いかけに、私は頷く。
「…真尋さんの告白がよほどショックだったようです。これまでの教育方針や信念を否定された形になり、ひどく動揺されていました。聡美さんには、自分達には非がないという盲目的な自信があったのです。事実を受け入れられるようになるまでには、しばらく時間がかかるでしょう。…彼女には専門のカウンセリングが必要になると思います」
「その後のフォローアップも牧野先生が担当されるんですか?」
「…いえ、それは鴫谷先生が請け負ってくださいました。最初に佐竹田さんに依頼を受けたのは自分なので、最後まで見届ける責任があると強く仰られて…。先生の方でもカウンセリングの必要性は考えていらして、第三者介入のための手筈を整えていてくださったんです。今後は、市の教育センターの相談窓口を利用することになります」
「そうですか…」

聡美さんには同情すべき点もある。夫婦間の不和は真尋さんがまだ幼い頃に始まり、溝は埋まらないままに数年を経てしまった。彼らの間に何が起き、どちらに非があったかはここでは論じられない。ただ確実なのは、佐竹田氏は聡美さんとの関係修復を望んでいないということだ。



ある時、真尋さんに、母親の聡美さんへの思いを問いかけてみた。
すると、彼女はこのように吐露した。


ママには私しかいないから、ずっと我慢してきた。
でも、努力を認めてほしかった。
できないことがある時は、許してほしかった。
明日が来るのが嫌だと思いながら眠るのが、嫌だった。

ただ、抱きしめてほしかった。
でも今は、その気持ちも枯れてなくなってしまった。


これを聞き、聡美さんは再び泣き崩れた。
真尋さんは涙を見せることなく、淡々と自分の気持ちを語った。

その姿に、違和感の正体を見たと思った。
彼女には、喜怒哀楽が欠落しているのだ。感情の起伏が少ないだけかと思ってきたがそうではない。長い間、様々なことを抑圧されてきたことの弊害が出ているのだろう。

加えて、悪いことをしてきたという罪悪感があまりに薄い。ここに至るも、真尋さんからはそれがほとんど感じられない。善悪の境界線が曖昧で、加害者意識ではなく被害者意識が強く、だからこそ彼女にもカウンセリングが必要なのだと思う。



「真尋さんには、自分の行いを振り返ってほしいと話しました。彼女の心が成長し、善悪の判断力がきちんと育っていけば、そこで初めて罪悪感を抱けるようになるかもしれません。…なずなさんにとっては、今日の真尋さんからの謝罪は形ばかりで、到底許せるものではなかったと思います。でも、今の彼女に、心からの謝罪を述べることは無理なことなんです」
なずなさんは頷く。何度も。
「先生はどう思う? 真尋はいつか変われると思う?」
「…分かりません。…ですが、今回の調査を通じて、時間の経過とともに人の意識は変わるものだと感じてきました。証言を集めるとき、子供達にはある問いかけをしてきたんです。過去の自分に言いたいことはないか?と。その回答を纏めた文書を真尋さんに渡してきました。それを読むことで、彼女の気持ちに変化が表れてくれればと願うばかりです」
「その文書、あたしも読んでいい?」
「もちろんです。ご覧ください」



証言をしてくれた多くの子供達にも問題視される部分があったと私は思う。
真尋さんの行動に疑問を抱きつつも、異を唱えなかったこと。
虐めに加担したこと。虐めの存在を見て見ぬふりしてきたこと。
大人に相談しなかったこと。

真尋さんに、私達が作成した最後の文書を手渡すとき、私はこう説明した。

『ここには、証言をしてくれた子供達の、過去の行いへの反省、なずなさんへの謝罪の言葉、真尋さんへの今の思いなど、様々なことが書かれています。但し、発言した人は特定できないように記載しています。…読めば分かることですが、皆、幼かったのです。時間が経った今だからこそ芽生えてくる感情もあります。それがあなたの心に少しでも響いてほしいと思いながら、私はこの文書を纏めました。

真尋さん。人は、変われます。これは絶対です。ここで終わりではありません。新しくスタートを切り、新しい生き方を模索してください。半年後、3年後、10年後の自分に誇れる毎日を生きようと努力してください。そして、いつか今を振り返り、真の意味で謝罪が言えるようになってくれればと思うのです』

次の瞬間、真尋さんは、小さく唇を震わせた。
何かを言おうとし、それでも何も言えずにその唇を引き結ぶ。
差し出した文書を両手で受け取り、無言で会釈すると、彼女は私に背を向けた―。




「…あたしも、こんなふうに思うことがあるよ。…みんな、一緒なんだなって思えた」
文書を読み終えたなずなさんが言う。その瞳には薄らと涙が浮かんでいる。
「自分は間違ってないって、強く思い込んできた。あの時こうしていればって、今なら素直に思えるのに…」
「どんな人でも間違えることがあります。そして、人は他人の過ちには気付けるのに、自分の過ちには気付きにくいものです。でも“間違っているかもしれない”と立ち止まれることには意義がある、と私は思います」
「…そうかなぁ。…あたし、これからもずっと間違え続けるかもしれないよ? …もう自信ない」

懐疑的な見方を示すなずなさんに、私は微笑んでみせる。
「なずなさんは大丈夫です。この期間にも、精神面で大きく成長されたと思います。迷ったら必ず誰かを頼ってください。頼れる相手ならちゃんといますよね?」
「うん…」
彼女の首が小さく縦に振れる。
瞳にたまった涙はこぼれ落ちることなく、そこに留まっている。


「いろいろ相談してみても解決できない時は……先生のこと、また頼ってもいい?」
なずなさんがまっすぐに寄せてくれる信頼が嬉しい。
「それは構いません。…でも」
「でも…?」
「私を使うと、高くつきますよ?」

なずなさんは一瞬動きを止め、やがてクスクスと笑い始めた。
その笑顔は柔らかく、心からの安堵に満ちていて、私の胸に温かな光を灯した。



******



「それじゃ、もう裁判は行われないんだね」
携帯電話の向こう側は遠い。
類は明日からの仕事のために、午後のうちに東京へと移動してしまった。今夜はもう、彼に会って話すことができない。それをとても残念に思う。凝縮された一日の報告をしながら、なずなさんと出会ってからのこの1ヶ月間を振り返った。

「今日の話し合いで決着をつけることができたの。本訴と反訴の取り下げ手続きが終了したら、後はなずなさんの中学校の問題だけ」
「お疲れ様。やっと一区切りだね」
「その節はご迷惑をおかけしました。本当にありがとう」
「あぁ……うん」

相手からはなぜか含み笑いが返る。なに?と問うと、類はさらりと言った。
「思い出してた。…あの夜のつくし、すごく可愛かったなって」
「…へっ?」
「いつも、あれくらい甘えてくれたらな、とか」
「ちょ…ちょっと…」
「もう会いたくなった。…つくしに」
小さな吐息が、彼の心情を物語る。


仕事柄、類の外泊は多い。
今後もこうした生活は続いていく。


「…私も会いたいな。類に」
思わず洩れた心の声に、類は笑ってくれた。
その優しい響きに、彼に会いたい気持ちが強く、強く募った。







いつも拍手をありがとうございます。
第34話からお送りしていた協議編はここで終了です。長かったですね💦
今作も残り数話となりました。あと少しお付き合いください(#^^#)
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