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糸の証 ~41~

Category『糸の証』
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着替えを終えた類はワインセラーの前に立ち、料理に合わせた一本を選ぼうとしていた。彼のチョイスには間違いがない。
「今夜はシャブリにしようか」
シャブリとは、フランス・ブルゴーニュ地方のシャブリ地区で産生される白ワインだ。キレのある辛口が特徴で、冷やして飲むとキリリとした酸味が強く感じられる。類好みの魚介と野菜を中心にした今夜の晩餐にはぴったりだと思う。

私が頷くと、彼はセラーから濃緑色のボトルを取り出し、氷水を張ったワインクーラーへそれを浸した。卓上のワインクーラーの横では、類が贈ってくれたカンパニュラが瑞々しい輝きを放っている。


夕食の準備が整ったのは、いつもより早い午後6時過ぎだった。類を駅まで迎えに行くつもりでいたので、予定が前倒しになっている。

「今回の一件、本当にお疲れ様」
「類もね。いつも見守っていてくれてありがとう」

ワイングラスで乾杯をし、最初の一口を味わった。鮮烈な酸味が口中に広がって弾けていく。その風味は前菜のカルパッチョともよく合い、食材の味を引き立たせた。


「はいっ。これ、どうぞ」
類がグラスを置いたタイミングで、私は梱包されたプレゼントを差し出した。30センチ四方の箱を、類は笑いながら受け取り、外装を解いていく。
「思ったより軽いな。…何だろ?」

私が選んだのは、持ち運びができるリング状のネックピロー。自在に形を変えられるし、中綿がふわふわで生地の肌触りが良い。移動時間の長い類がちょっとでもリラックスできればと思い、購入した。
彼はネイビーブルーのそれを、ツイスト状にして首に巻き付けてみせた。モコモコ感がかわいらしくて、思わず笑ってしまう。
「似合う?」
「うん。でも、類のカンパニュラに比べたら、おしゃれ感ゼロだけど…」
「実用的で助かる。ありがと」
照れ隠しに笑って頷き、「さぁ、どんどん食べよう!」と促すと、彼はピローを外して隣の席に置いた。




「あのね。…ちょっと話があるんだけど、いい?」
食事を終える頃、私は改まった口調で切り出した。
「話というより、お願いになるのかもしれないけど…」
「珍しいね。お願いなんて」
類は興味深そうに目を瞬かせ、グラスに残ったワインを飲み干して机に置いた。
「俺にできることなら、何でも言って」
「うん…」

彼は優しくそう言ってくれたけれど、次の一言を口にするのは少し躊躇われた。どんなふうに言葉にすればいいのか、まだ迷っていたから。
下げていた目線をゆっくり上げると、こちらを見つめる美しい瞳に出会う。彼の瞳はどこまでも澄んで、出会った頃から私の心を掴んで離さない。

「どうした? 言いにくいこと?」
「…今回の案件を通じて、いろいろと思うことが多くて」
「あぁ、家族について考えさせられる内容だったね」
「それで、私の意識も少し変化したというか…」
「…………」
「…その……子供のこと、なんだけど…」
鳶色の瞳がわずかに見開かれる。
「子供のこと、前向きに考えたいと思ってるの」



そう思うようになったのは、コンサートホールで類の演奏を聴いてから。
私となずなさんのために弾いたあの無題の楽曲に、類が『my way home』と命名したのは後日のこと。

『大切な人のいる場所に帰っていく時の心情をイメージした。早く会いたいと逸る気持ちや、再会できた瞬間の大きな喜び、そして、再び離れていく時の寂しさ…。時間とともに移りゆく感情の変化を、楽曲に表してみたいと思ったんだ』

『俺達はそれぞれのフィールドで闘うことを選んでいるから、どうしても離れ離れになることがある。そうした機会はこれからも数え切れないほどある。…でも、存分に仕事ができるのは、俺にはいつだって帰る場所があると強く思えるからなんだ』


類の作った楽曲は後世へと引き継がれていく。
彼の思いの証として―。


類のために何ができるだろうと、ずっと考えてきた。
『my way home』に込められた気持ちを聞いて、私の決心は固まったと思う。



類と再会した頃は、弁護士事務所の業務にやっと慣れてきた時期だった。彼のあの熱意と周到さがなければ、…ひとたび時間と距離を置いてしまえば、私は結婚についてぐずぐずと迷い始めていただろう。
彼と入籍しても、子供のことはすぐに考えられなかった。考える余裕すらなかった。これまで限りなく仕事に傾いていたライフ・ワーク・バランスを、どんなふうに調整し直したらいいのか分からなかった。

類は、不器用な私を許してくれた。
気持ちにゆとりのない私が、どうすれば結婚生活で負担を感じずにいられるかを考えてくれた。自分の都合より、私の都合を優先してくれた。


そうして、今がある。


あれから数ヶ月が経ち、まだ自分が駆け出しの弁護士であることには変わりないけれど、仕事は少しずつ軌道に乗り始めた。そして、今回の案件を通じた経験では、家庭とは何かを強く意識させられた。先延ばしにしていた問題はもっと身近なものになり、今こそちゃんと向き合うべきだと後押ししてくれた。


私は、類がいつでも心の拠り所にできるような、温かな家庭を作ってあげたい。
叶うことなら彼の子供を産み、二人でその成長を見守っていきたい。
子育ての過程ではきっと多くの苦労や困難を伴うだろうけれど、子供の存在は私達に新たな学びを与えてくれるはずだ。




思いを伝えると、類はゆったりとした動作で頬杖をつき、意味深な笑顔を覗かせた。
「じゃ、今夜から頑張ろっか」
その表情があまりに艶めいて蠱惑的だったから、思わず赤面して俯き、しどろもどろになる。

「え…っと、類は、その……い、異論はないの?」
「ないよ」
彼の反応は早い。
「私の都合で時期を延ばしたり、早めたり…。ホント、勝手でごめんなさい」
「二人で決めたことだろ。…俺は嬉しいよ。そうした好機に巡り合えたんだって」
類の口調はどこまでも穏やかだ。
「でも、つくしのことが心配でもある。無理しないかなって」
「そこは、朝比奈先生にアドバイスもらうから」
先生には、中学生と小学生の子供さんがいる。仕事と家庭を両立させてきたワーキングママだ。


「一般的な家庭では、家事や育児は夫婦共同でするものなんだよね。両親の助力を得る場合もあると思うけど。うちは専属でミキさんがいてくれるから、大半の家事はしないで済んでいて、働く条件としてはすごく恵まれていると思う」
「まぁ……そうだね」
類の家庭を基準に考えるのなら、自宅にお手伝いさんがいることは当然のことだろう。でも、世の中のワーキングママの多くは、働きながら家庭のことにも懸命に取り組んでいるのだ。
「私、要領悪いし、不器用だけど……でも、やってやれないことはないと思うの」



類が卓上で手を伸ばす。その指が私に向かって『おいで』と示して動く。上向いて置かれた掌に自分の手を重ねると、彼は指を絡め直して私の手を包み込んだ。
「相変わらず真面目だよね。そんな思いつめなくていいのに」
「ごめん…こういう性分で…」
「でも、好きだよ」
率直なフレーズが胸を打つ。
「いつでも一生懸命なつくしが、どうしようもなく好きだよ」

繋いだ手から伝わる温かさは、彼の言葉とともに私の中に浸透していく。
それは、私に、大きな自信と安心感を与えてくれる。
彼にとっても、私がそういう存在であってくれたなら嬉しいと思う。


「私もそうだよ。どうしようもなく、類が好き」




この幸福が、いつまででも続いてほしいと願っている。
でも、願うだけじゃなくて、継続させるための努力だってきっと必要なんだ。

これからもたくさんの岐路があって、そのたびに夫婦の絆を試されていくんだろう。だけど、その時は、こんなふうに手を取り合いながら問題に向き合っていきたい。


きっと大丈夫。
類となら。







いつも拍手をありがとうございます。
『My way home』の和訳は『帰り道』です。このネーミングにはずいぶんと悩んでしまいましたが、自分の中ではしっくりときた一語でした。
『カンパニュラ』は風鈴のような形をした可愛い花で、ラテン語で『小さな鐘』を意味します。花言葉は『感謝』『誠実な愛』です。ご参考までに(#^^#)
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2 Comments

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2020/08/10 (Mon) 14:26 | REPLY |   
nainai

nainai  

乃**様

こんばんは。
2回目のコメントありがとうございます(#^^#)

つくしはお酒に弱そうな印象ですが、1杯分のワインを楽しむ余裕はあるかな?ということで、ワインで乾杯するシーンを2回ほど設けました。でも私はワインにはあまり詳しくなくて、都度、ネットで勉強させていただいております(;^ω^) 

類とつくしの生活は新たな局面を迎えることになりそうです。つくしの職業柄、育児は本当に大変だと思うんですよね…。最終話ではどこまで時間が経過するか、楽しみにしていてくださいね。



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2020/08/11 (Tue) 00:50 | REPLY |   

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