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Marbling Orange ~2~

Category『Marbling Orange』
 2
~Tsukushi~


10月も下旬になると、ビルの谷間を吹き抜ける風は冷たく乾いたものへと変わってくる。今日は空いっぱいの曇天で気温も上がらず、より一層の秋の深まりを感じる。
地下通路から地上に出たあたしは、風の流れに逆らうように大通りを北上し、足早に目的地へと向かった。

相手が待ち合わせ場所に指定したのは、表参道沿いのビルの1階にあるティーサロン。世界のおいしい茶葉を楽しめる紅茶専門店という触れ込みだ。ふっくらとしたスコーンが絶品なのだという。


約束の時刻の数分前に店に入ったけれど、予約の名を告げれば、先方はもう到着しているようだった。ウェイトレスの案内の先では、一人の女性が茶色の革手帳に目線を落としているのが見える。
ライトブラウンの髪はきっちりと編み込まれ、オフホワイトのスーツが姿勢の美しさを際立たせていた。こと美意識の高さに関して、彼女の右に出る者はいない。

「ごめん、桜子。待った?」

近づいて声をかけ、向かいの席に座る。桜子は目元を綻ばせ、手帳を閉じた。
彼女に会うのは久しぶりだった。
「お気になさらず。仕事の都合で早く着いてしまったんです」
「桜子のビジネススタイル、初めて見たけどカッコいいね。デキる女って感じ」
「ふふっ、そうでしょう?」
嫣然と笑む彼女の辞書に、謙遜という言葉は存在しない。


あたしはブレンドティーとスコーンのティーセットを、桜子はダージリンを頼んだ。店内にいるのは女性客ばかりが数組、その話し声がほどよいBGMとなっている。
互いの近況を話している間に注文の品が届き、紅茶の芳醇な香りと焼きたてのスコーンの味を楽しんだ。


英徳大学を卒業後、桜子は美容専門サロンの経営者になった。
自身を広告塔にして次々と顧客を獲得していき、早くも2号店オープンの話が出ているのだという。今日は新店舗の候補地の下見ということで表参道に来ていたようだ。

「噂は聞いてるよ。忙しくしてるみたいだね」
「えぇ、お陰様で」
「わざわざ呼び出すことでもなかったと思うんだけど、できれば会って報告したいことがあって…」
優紀と滋さんにはすでに報告済みだ。
桜子は頷き、話の続きを待っている。あたしは居住まいを正した。

「あのね…。花沢類と付き合うことになったの」
「そうですか。良かったです」
間髪入れずにあっさり返されて、言葉の接ぎ穂に困ってしまう。
「まぁ…驚かないよね?」
「順当なお相手だと思いますから」
「…そうだね」

彼女の発した“順当”という言葉が心に強く残る。たぶん、それはあたしが抱えている胸の中のモヤモヤを増幅させるワードで、だからこそ笑顔を取り繕えなくなった。

桜子はあたしの動揺を拾い、助け舟を出してくれる。
「…先輩、何か困っています? 私でよかったら聞きますよ?」
うん、と頷き、あたしはこの1ヶ月の出来事を振り返った。



*********



今月初旬のこと。
江の島までのドライブデートの日。
あたしは、類に、さよならを告げるつもりでいた。

彼のことが嫌いになったわけじゃない。
むしろ、逆。

道明寺と別れてからも、英徳大学を卒業してからも、途切れることのなかったホットライン。いつの間にか、類のことをまた好きになっていたあたし。
彼のいない日常などもう考えられないのに、失った恋の苦しみを忘れられないあたしは、何かをきっかけに類との関係が変わってしまうことをひどく恐れていた。


友人だったら、ずっと繋がっていられる。
いつの日か自然に交流が途絶えてしまったとしても、楽しかった過去の時間を思い出して懐かしみ、そんなこともあったねと笑っていられる。

でも、いったん恋人に格上げされたら、もう友人の位置まで戻ることはできない。別れてしまったらそのことの悲しみだけが色濃く残って、心が軋んでしまうから相手のことを思い出すこともできない。…あたしと道明寺はそうだったから。


そんなふうにして類を失うことだけは、どうしても耐えられない。あたしが類のことを思い出す時は、いつだって温かな気持ちだけが存在していてほしかった。
だから、彼から向けられる笑顔の中に、あたしへの特別な何かが含まれていたのを分かっていたのに、ずっと見て見ぬふりをしてきた。

ぬるま湯のような心地よい関係でいる方が楽だったから。
先々のことを考えて不安にならずに済んだから。
…でも、できるだけ長く、彼と一緒にいたかったから。


狡いんだ、あたしは。


だから、あの日、さよならを言うしかないと思った。
もう会うのはやめよう、と。どの道、あたしは彼に相応しくない人間だから、ここが限界ラインだと自分に言い聞かせた。



それでも類は、あたしのことを、強く、強く望んでくれた。
躊躇いも不安も狡さもすべてを受け入れ、愛してると言ってくれた。

泣いているあたしを抱きしめる彼の手が、安心させるようにポンポンと動くのを、
背中越しに感じる彼の鼓動が、トクトクと規則正しいリズムを刻むのを、
触れあっている部分が、同じ体温に馴染んでいくのを、
そうした彼のすべてを愛しく思う自分がいた。


どうしようもなく、好きだと思った。
類の気持ちに応えたかった。
だから、それがあたし達の始まりの日になった。



付き合うことになってからも、類は相変わらず多忙だった。
長期の出張でイタリアに渡っていた彼から連絡があったのは、ドライブデートの日から3週間近く経った金曜日の朝のこと。
約束の時刻は午後8時。待ち合わせは会社の近くにある日本料亭。

あたしは類に会えるのをとても楽しみにしていた。でも“彼女”としてどんな顔で彼と再会すればいいのか、くすぐったいような、気恥ずかしいような気持ちがふくらんで、仕事中もずっとソワソワしていた。


だけど―。


その日の夕方配信されたネットニュースが、あたしの心を大きくかき乱した。やや遅れてテレビでも同じニュースが流れ始める。それはかつての恋人の近況を知らせるもので、しかも吉報であったのに、別れて3年経った今でもこれほどまでショックを受けてしまう現状に、あたしは失望した。



料亭に先に着いたのはあたしの方だった。類は15分ほど遅れてやってきて、約束の時間に来られなかったことをスマートに詫びた。

料理は創作和食のコースで、どれも美味しかった。でも類はあまり箸が進まない様子で、どの皿も半分ほど残していた。美しい双眸の下には珍しく隈ができていて、顎のラインが少しシャープになったようにも見える。ジェットラグのせいだと本人は言うけれど、出張中に蓄積した疲労もあったんだと思う。

「類、大丈夫? 顔色良くないよ」
「…そう?」
「今日、無理しなくてよかったのに…」

もしかすると、という思いがあった。彼はあのニュースの内容を事前に知っていて、あたしの胸中を慮ってこうして会いに来てくれたのではないか、と。
でも彼はそんな素振りは見せずに、笑いながらこう言った。

「つくしに会いたかったから。…すごく」

彼の声は甘く切実な響きを孕んでいて、嘘偽りのない本心なのだとダイレクトに伝えてくる。あたしは、胸の疼きを覚えた。
…彼を前にして、不純なままでしかない自分が恥ずかしく、ひたすらに後ろめたい。

「あたしも、会いたかったよ」

この気持ちだって嘘じゃない。
離れていた3週間、ずっと、類に会いたいと思っていた。
本当はあたしのつまらない逡巡などお見通しなのかもしれないけれど、どうかそれには気づかないでいてほしい。そんな都合のいい願望が、脳裏をよぎった。



料亭を出たのは午後10時を少し過ぎた頃だった。
類が呼んだ迎えのリムジンに乗り込むと、ドアを閉めた瞬間に外界からは切り離される。あたし達は途端に無言になった。

すぐに指先が絡んでそっと引き寄せられ、彼の腕の中に納まる。
優しく背を抱かれ、彼の匂いに包まれる。

抱きしめられるだけで、こんなにも安心できるなんて。
涙が、出そうだった。



やがて彼の唇が重ねられ、あたし達は恋人のキスをした。
長い指があたしの髪を梳きながら後ろに回る。
引き寄せられ、深く、より深く口づけられる。
それは今まで彼としてきたどのキスとも違う、ひどく官能的なものだった。


息が上がって、唇を離す。
この後に続く彼の言葉は、当然ながら予想できた。


「…俺の部屋に来ない?」






いつも拍手をありがとうございます。
1月中は隔日更新ができそうです(*^-^*)
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2 Comments

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2021/01/03 (Sun) 00:24 | REPLY |   
nainai

nainai  

ふ*様

こんばんは。コメントありがとうございます(*^-^*)
早速ザワザワさせてしまいましたねw

第1話の類の安定感とは対極に、まだまだ不安定なつくしの心…。やっと類と想いが通じ合ったのに、なんだか上手くいっていないようです。類の誘いにどう答えたのか、桜子に何を相談するのかは第3話で明らかになっていきます。

この休みで執筆がサクサク進んだので、最終話まで書き上がりました―(*^^)v 定期更新もバッチリできそうです。続きを楽しみにしていてくださいね。

2021/01/03 (Sun) 23:49 | REPLY |   

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