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Marbling Orange ~3~

Category『Marbling Orange』
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~Tsukushi~


類と付き合うまでの経緯と、1週間前の逢瀬と。
言葉を選びながらできるだけ簡潔に状況説明をし、あたしは一旦言葉を切った。ポットに残った紅茶をカップに注ぎ入れ、乾いたのどを潤した後で続きを話そうとした。桜子はここまで一言も口を挟まずにいたけれど、ふいに小悪魔的な微笑を浮かべて言った。

「続きの展開、当てて差し上げましょうか」
「…え?」
「花沢さんの部屋には、行けなかったんですね?」
確信的な言葉にあたしは固まった。
ずばり、桜子の予想通りだったから。


“行かなかった”のではなく、“行けなかった”。
あの夜、あたしは、類の誘いに応えられなかった。
そして、今になって、それを深く悔いている。


「そんなにショックだったんですか? …道明寺さんにお子さんが生まれたこと」
的を射た一言に、あたしは項垂れる。
「…そう、みたい」



あの日の夕方、日本中を駆け巡ったニュースは、道明寺財閥の副社長夫妻に第一子が誕生したことを伝えるものだった。
あいつが結婚して3年。いつかはこういう日が来ることは分かっていた。…むしろ、遅すぎたくらいだ。道明寺家にとって血統を継ぐことがどれほど重要なことか、それが分からないあたしじゃない。

あたしは、道明寺自身の幸せと、彼が受け継いでいく会社の末永い繁栄を今でもずっと願っている。だから、これは吉報だ。…それなのに。


ネットニュースの表題を見た瞬間、自分でも急速に青褪めていくのが分かった。叶わなかった望みを目の当たりにすれば、やっぱり切なくて、胸が苦しい。未練がましい自分がほとほと嫌になる。
記事の全文を読み終えた後も、その文字の残像が網膜に焼き付いたように消えなくて、仕事がまるで手につかなくなった。


どうして、あたしはこんなにショックを受けているんだろう。
どうして、道明寺のことで、ここまで頭の中がぐちゃぐちゃになってしまうの。

類の彼女になったのに。
彼がどうしようもなく好きだと言ったのに、あたしは…。


「…類と会っていても、あいつのこと、何度も思い出しちゃって…」
彼にはこの動揺を悟られたくなかった。
「類はまっすぐ気持ちを向けてくれてるのに、あたしはそうできてないんだと思うと、すごく申し訳なくて…」

だから、類に誘われても頷けなかった。瞬時に思ったのは、どうしたら彼を傷つけずにそれを先延ばしにできるか。
でも、断る口実を考える前に、彼の方がその申し出を取り下げてしまった。「やっぱり今のナシ。…ちょっと急すぎたよね」と言って…。



「いい判断だったと思います。お互いに」
桜子のきっぱりとした口調に、あたしは伏せていた顔を上げた。
「きっと部屋に行っていた方が、先輩の後悔は深かったでしょうね」
「そうかな…」
「迷いを抱えたまま一夜を共にしていたら、もっと自分のことが嫌いになったんじゃないですか? 苦しさや寂しさを紛らわせるために相手を利用してしまった、などと言って。でも…」
桜子は、ふと思案顔になる。
「たぶん、花沢さんは、どちらでも良かったのでしょうね。今、自分が必要とされているなら傍にいてあげたいし、一人の時間を必要としているようならその猶予を与えたい。…結局、後者であるべきと即断した。そういうことではなかったかと」
「…………」

冷静に振り返ってみれば、あのセンセーショナルな報道に一言も触れずにいたのは逆に不自然だった。あの日は、ネットでもテレビでもその話題で持ちきりだったのだから。知らないはずはないのに知らないふりをするあたしに、彼は歩調を合わせてくれたのだろう。重ね重ね、類に申し訳ない。



無意識に重いため息を吐いたあたしを見やって、桜子が鈴を転がすように笑う。
「辛気臭い顔はやめてくださいな。お二人はまだ始まったばかりでしょう?」
「でも、最初から躓いちゃって…あたし…」
「花沢さんはそれも承知の上でしょう。ずっと傍で先輩を見つめてきた人です。先輩の気持ちなんて、ご本人よりも分かっているんじゃないですか? 変に隠し立てせず、いつも正直であることが一番ではないかと思います」

そう言われてしまっては返す言葉もない。
確かにあたしは、類に隠し事などできた試しがないのだ。

「分かってます? 20代前半の男性なんて遊びたい盛りですよ? 花沢さんがその気になれば、火遊びでもいいと思う女は掃いて捨てるほどいます」
「…そうだね」
「でも、何年もこうして一途に先輩を想い続けて、今でさえ自分より相手の気持ちを尊重できる、恐ろしく忍耐強い人なんですから。それしきこと、気に病まれてもいないでしょう。私からしてみれば、花沢さんの愛はagapeアガペーの領域ですもの」
「アガペー?」
「いわゆる無償の愛。…通念上、いろいろな講釈がありますけどね」
桜子はときどき難しい言葉を使うけれど、いちいちが尤もだという気がする。
類があたしに与え続けてくれたのは、見返りを求めない優しさだった。



「こんなに悩まれているのに申し訳なく思うのですが、個人的には先輩の葛藤を嬉しく感じてもいます」
「…は? なにそれ」
思わずポカンとしてしまうと、相手は自嘲的な表情を浮かべる。
「先輩の幸せを願う気持ちも本物ですが、私、元々は道明寺さんのシンパサイザーでしたから。先輩の中にまだ道明寺さんの占める領域があるのだと知って、私の心も慰められた気がしたんです」

…そうだった。
桜子は小さい頃から、ずっと道明寺のことが好きだったから。
あいつのためにもなるようにと、様々なバックアップをしてくれたから。
でも成就することのなかったあたし達の恋。
例のニュースは、きっと彼女の中にもさざ波を立てたのだろう。

「…すみません。無遠慮なことを言って。…今のは忘れてください」
「うぅん。桜子の気持ちも分かるから」
そう言って笑って見せると、ホッとしたように彼女も笑んで軽く頭を下げた。



「これからのご予定は?」
桜子は華奢な細工が施された腕時計に目を落とし、あたしに問う。
「あ、ごめん。もう次の予定があるよね。あたしはスーパーに寄って帰るだけだよ」
「帰りは送りますから、ちょっと私の仕事に付き合いません?」
「仕事って、サロンの?」
「新商品の効果を試すのに、先輩はちょうどいいサンプルになりそうです。今日もほどよく草臥くたびれていらっしゃいますし」
「くっ、くたびれてって失礼な!」
「じゃ、行きましょうか」
彼女は笑顔で机上の伝票ホルダーを手に取り、立ち上がった。いつものように各々で会計を済ませて店の外に出ると、そこには桜子の戻りを待つ車が待機していた。


あたしは、桜子が経営するサロンへと連れていかれ、そこでスタッフに取り囲まれてありとあらゆる施術を受けた。ヘッドスパにフェイシャルエステ、全身のリンパマッサージにネイルケア…。
店で使う新しい機器や新製品を試すという名目のため、施術はすべて無償だと言うから驚いた。でもそれは建前で、この極上のリラックスタイムは桜子なりの励ましだったのだろうと思う。

マッサージ中にウトウトしていたあたしが、スタッフの声掛けで目を覚ます頃には、桜子は次の仕事へと向かってしまっていた。笑顔で見送ってくれるスタッフ達に、丁寧に礼を述べてサロンを辞去する。用意された車に乗って帰路に着く頃には、ビルの谷間に日が沈んでいこうとしていた。


胸の中のモヤモヤは、桜子に打ち明けたことで大部分が解消された気がする。次に類と会う時は、自分のこのマイナスの気持ちを隠さずに話そう。黙っているより、きっとその方がいい。素直にそう思えた。


鞄の中のスマートフォンが、着信を受けて小さく振動する。
画面に表示された名に、思わず機器を取り落としそうになった。
相手は、類だった。

「もしもし?」
「俺。…今、忙しい?」
桜子に会った帰りだと説明すると、車が走っている場所を訊ねられる。
「すぐ折り返して、つくしの会社の前まで送ってもらって。俺もすぐに向かうから」
「えっと…どこか行くの?」
急な展開に、心臓がバクバクと忙しい。
電話の向こうからは微かな笑い声がした。


「今夜も俺とデートして」






いつも拍手をありがとうございます。
次話は、少し時を遡ったところから類視点のお話です(#^^#)
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2 Comments

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2021/01/06 (Wed) 08:43 | REPLY |   
nainai

nainai  

と*****様

こんばんは。コメントありがとうございます(#^^#)
こちらこそ、今年もよろしくお願いいたします♪

“納得”の一言が嬉しいです。今作は分岐なしの原作ベースの物語なので、つくしが司を好きだった気持ちを重視したくてこのような展開になりました。大好きだった分、次の恋へはなかなか進めないだろうと思うのです。類はそんなつくしの心情を深く理解しています。次はどんなデートになるか、楽しみにしていてくださいね。

毎日忙しいですが、花男の世界は私にとっても癒しです(*^-^*) 読者様の反応を励みにしております。少しずつしか更新できませんが、最終話までハラハラドキドキしながら見守っていてくださればと思います。

2021/01/06 (Wed) 23:03 | REPLY |   

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