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Marbling Orange ~5~

Category『Marbling Orange』
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~Tsukushi~


―今夜も俺とデートして。

その誘いに応じ、桜子が手配してくれた車の運転手さんに行先変更をお願いして折り返し、職場の近くで類の車と合流した。先週の別れ際のことを思い出して少し緊張していたけれど、いつもの優美な微笑に出迎えられてホッとする。

1週間ぶりに会う類は、出張帰りの時より元気そうだった。
でも疲労の色は相変わらず濃い。

…そりゃ疲れるよね。
仕事の量、半端ないし。

大企業の後継者候補として大学時代から多くの研修をこなし、入社時から専務という役職を担っている類。日々のスケジュールは秘書の田村さんによって細かく調整されていて、国内外への出張も多い。“三年寝太郎”と呼ばれていた高校時代が嘘みたいな働きぶりだ。


「なんか、ツヤツヤしてる」
おもむろに大きな手で頬を挟まれ、瞬時に我に返った。ぬいぐるみに触れる時のような、フニフニと弾力を確かめる彼の手の動きに顔が熱くなる。
「桜子のサロンで、マッサージしてもらってきたから…」
「餅みたいだね」
「も、餅!?」

…モチ肌ではなく、餅そのものなのね。
あたしの反応に、類は口角を上げて笑う。
まさに天使の微笑みだ。

それに見惚れている間に、温かいものが唇に触れた。
不意打ちのキスをされ、頭の中が真っ白になる。
彼は、フリーズしたままのあたしをふんわりと抱きしめた。

「会いたかった」

その一言に、類の気持ちが溢れていた。恋人になった彼は、こんなふうにして、会うたびに細やかな愛情を示してくれるんだと知る。あたしの中にある、類に会えて嬉しい気持ちがぐんと高まり、背を抱く手に力がこもった。

「あたしも、会いたかった…」

あの夜、彼の誘いを断ったことで感じていた後悔の念や気まずさは、緩やかに遠ざかっていく。類と共有することができる、このわずかな時間を大切にしたい。純粋に、そう思える。




連れて行かれた先は会員制のフィットネスジムだった。事前に準備されたスポーツウェアとシューズを身につけ、あたし達は四方を壁に囲まれたコートに入室した。ここはスカッシュという球技を行う専用のコートだという。できないわけではないけれど、好んでするとも思えない彼が提案したのは、このレクレーションスポーツだった。

スカッシュはイギリスで生まれたインドア球技で、欧米では古くから親しまれている。ルールはシンプルで、専用のゴムボールを前面の壁(フロントウォール)の決められたエリア内に打ち、跳ね返ってきたボールをワンバウンド以内に前面の壁に返球するというものだ。

返球の際は、他の壁面を使ってもよい。四方の壁には線が引かれていて、アウトエリアが決まっている。プレースタイルはテニスと似ているけれど、コートは正方形でネットはない。ラケットもボールも、テニスで使うものより一回り小さくて軽い。


類は簡単にルールを説明しながら、あたしにアイガードを装着させ、自分も同じようにした。
「あたし、できるかな…」
「テニスは経験あるだろ?」
「大学の選択授業で少しだけ」
「とりあえず、やってみよう? だんだんボールの動きに慣れていくから」

彼は言って、最初の一球を軽めに打った。
ボールは前面の壁に当たって戻り、あたしの前でワンバウンドする。あたしはラケットを構え、それを大きく振り抜いた。打球は乾いた音と共に勢いよく壁にヒットし、真っすぐにあたしの方に戻ってくる。

―顔に当たるっ!

怖くなって思わず前に手をかざすと、類が素早くそれを拾った。
「前見て」
促されて構え直し、少し肩の力を抜いて次の球を返球する。類がそれを上手く繋ぐ。あたしが下手でも、彼が有り余る技術でもってラリーを続けてくれる。


30分ほどプレーを続けると、なんとなくコツが掴めてきた。コート内での立ち位置とか、返球の力加減とか、打った後の動きとか…。指導が的確なおかげだろう。聞けば、フランスの花沢邸にはスカッシュのコートが備え付けてあるのだとか。彼にとっては馴染みのスポーツらしい。
狭いコート内をパタパタ動き回るせいで、運動量は思っていたより多かった。あたしは汗だくになっているのに、彼は呼吸も乱さず涼しい顔でプレーを続けている。これはもう、リーチの差、脚の長さの有利というヤツに違いない。


水分補給の小休憩を挟んで、1時間ほど夢中でスカッシュに興じた。もともと運動神経は悪い方ではないし、体を動かすのも嫌いじゃない。でも社会人になってこうした時間が取れなかったあたしには、久しぶりの運動になった。
いいリフレッシュになったけれど、きっと明日はあちこち筋肉痛に見舞われるんだろうな…。

「そろそろ上がろう」と声を掛けられる。
最後のプレーでは、ビギナーズラックの一撃であたしが点を取って終了した。



更衣室で着替えを終えて合流した時には、午後6時半を過ぎていた。
これから食事に行くことになっている。

地下駐車場への移動中、ふいに類のスマートフォンが鳴った。彼は画面を確認すると、瞬時に顔を顰めたが着信に応じた。
やがて「すぐ戻る」という言葉が降り、今夜のデートはここまでなのだと悟る。彼の役職を考えれば致し方ない。

「…ごめん。呼び出しがあった」
「いいよ。気にしないで」
類は帰社を急いでいたので、ここから自分で帰ると申し出たけれど、自宅マンションまで車で送らせるとそこは頑として譲らなかった。



先に花沢本社に戻る車中、彼はあたしに渡したいものがあると言った。
「これ、もらって」
「……?」
類が差し出したのは、名刺ほどの大きさのプラスチック製カード。銀色の表面に文字はなく、金糸のような線が精巧にダリアの絵を模っている。中央にICチップの埋め込みがあるのが分かる。
…何のカードかな?

「俺のマンションのカードキー」
「…えっ!」
「それ、つくしにしか使えないから」

マンションの場所は前に聞いている。このセキュリティキーには使用者を限定する認証設定を施してあるのだという。コンシュルジュには話を通してあるので、これさえ持っていればいつでも入室できると彼は言った。そして、入室したら自動的に彼のスマートフォンに連絡が行くシステムになっているらしい。

「俺がいなくても部屋は自由に使ってくれて構わない。そっちの会社からも近いし」
花沢物産の本社とうちの会社は、直線距離にして1.5kmほどしか離れていない。類の会社からマンションまでは車で10分。だから、あたしの会社からここまでも同じくらいの距離だ。
「俺は就業時間が不規則だし、あまり家にも居られないけど、できるだけ一緒に過ごせたらと思ってる」
「…うん」
「待たせたり、我慢させたりすることも多いだろうけど、寂しい思いはさせないようにするから」


類は分かっている。…というか、知っている。
道明寺と遠恋をしていた時、学業と家業の両立で多忙すぎる彼に理解を示し、“忙しいのは仕方ないよ”と言って笑っていたあたしが、本当は寂しくて寂しくてたまらなかったこと。
それでも渡米して、向こうで身を立てていく勇気は持てなくて、いつも苦しくなるほど焦れながら彼からの連絡を待っていたこと。

時間と距離は、恋心をすり減らす。
…身をもって知ることになった教訓だ。


あたしは、あたしのためだけに用意されたそのカードキーを見つめた。湧き上がってくる喜びを伝えたいと思い、彼を見上げた。美しく澄んだ鳶色の瞳が、こちらの反応を窺うようにわずかに翳っていて、それがあたしの胸をどうしようもなく疼かせる。

「ありがと。大切にする」
「保管するんじゃなくて、使ってね?」
「…あ、そっか。じゃ、大事に使うよ」
「うん」


交差点を曲がれば、もう花沢本社の家屋が見えてくる。
類はもう一度あたしを抱き寄せた。


今度のはお別れのハグだね。
あたし達が次にいつ会えるかは、類のスケジュール次第。


「…あのね」
「ん?」
「今度は、あたしが会いに行っていい?」
手の中のカードキーに勇気づけられ、自分から提案する。
「これ、さっそく使ってみたいなって……思って…」

…なんか、変な言い方になったかも。
部屋に行きたいって、はっきり言えたらよかったのにな。
口にする直前で妙に照れてしまった、あたし。


返事はなかった。
代わりに降ってきたのは、とても甘やかなキス。
彼の熱に翻弄され、あたしはすぐ思考停止に陥った。



しっかりと向き合いたい。
類の気持ちに。

全部、受け止めてほしい。
まだ不安定なままの、あたしの気持ちを。


だから、今度はあたしから会いに行くね。






いつも拍手をありがとうございます。
少しずつ近づいていく二人の距離。次話は類視点です。
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2 Comments

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2021/01/11 (Mon) 22:03 | REPLY |   
nainai

nainai  

と*****様

こんばんは。連日のコメント、ありがとうございます!
とっても嬉しいです~(*^-^*)

スカッシュデート、お気に召されたようで良かったです。デートコースは毎回悩んでしまうのですが、スカッシュはいつか書いてみたいと思っていたネタでした(#^^#) 類がつくしをスカッシュに誘ったのは、前回の別れ際のこともあり、それでも自分達の関係は気負うものではないのだと示すためでもありました。仰る通り、ほんとにもう、つくしちゃんは幸せ者なんです…。

作中で、二人にはまだまだデートをしてもらう予定です。次はどこが舞台になるのか、楽しみに読み進めてくださいね! 物語は読者様をジレジレとさせながら進行しますが、すべてはラストに向けての布石です。最終話までよろしくお付き合いください。

2021/01/12 (Tue) 22:39 | REPLY |   

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