FC2ブログ

Marbling Orange ~9~

Category『Marbling Orange』
 2
~Rui~


別に彼女を驚かせようと思っていたわけではない。
延び延びになっていた帰国がようやく決まり、その旨を知らせるメッセージは搭乗前に送信したはずだった。それでも、送ったはずのそれが何らかのエラーで送信できていなかったことに気づいたのは、羽田から直接本社に戻り、今日の業務を終えようかという頃合い。道理で相手から返信がないはずだと苦笑する。

つくしに電話をかける。なかなか出ない。
かけ直した三度目のコールに応答してくれたのは、なぜかあきらの声。つくしが酔って眠ってしまったから迎えに来てほしいという。俺は驚き、急いで店に向かった。


総二郎が贔屓にしているその店には、大学生の頃に何度か行ったことがあったからすぐ分かった。奥の個室に通されると、見知らぬ女性と、その膝を借りて眠っている彼女が目に入る。思ったより頬は赤くない。
「悪ぃな。驚かせて」
「いや。どれくらい飲んだ?」
「カクテル1杯半ってとこだな」
「あまり飲んでないね」

真島と名乗る女性は、つくしの体調変化に留意してやれなかったことを真摯に謝罪した。その人が彼女の話に頻出する、同僚の“凛子さん”なのだとすぐ理解した。
「本当に申し訳ありません。いつもはもう少し飲めるので、注意を払ってあげられませんでした」
「いえ。つくしがいつもお世話になっています。真島さんの話はよく伺っています」
「こちらこそ。牧野さん、会社では本当によく頑張っているんですよ。気難しいクライアントにも懇切丁寧に応対してくれて…。でも、最近ちょっと元気がない様子が続いていたので、心配していたんです」
「…そうですか」

真島さんから彼女を引き取って抱き起こし、その頬に手を添えて体調を確かめる。瞳は薄く開かれたが、俺を認識できていないようで、力の抜けた体は今にも崩れ落ちてしまいそうだ。
帰るよ、と声をかけて彼女を横抱きにする。相変わらず柔らかくて軽い。
無意識に頬を摺り寄せてくる様子に、愛おしさが募って深く抱き込むと、柑橘系の甘い香りがふわりと立ち上った。




摂取したアルコールの量からしても、彼女が中毒症状を起こしたとは考えにくかった。寝顔は穏やかで、呼吸が苦しそうな様子もない。
すっかり寝入ってしまったつくしを抱えて車を降り、マンションの自室に連れ帰る。初めての訪問がこのような形になってしまい、彼女はきっと不本意に思うことだろう。

ベッドにそっと横たえると、背に触れたシーツが冷たかったのか、つくしは小さく体を震わせた。スーツのままでは寝苦しいだろうと上下の服を脱がせ、シャツのボタンを緩めてやる。
…途中でいろいろ見た気がするけど、意識のない彼女に何かするほど俺は邪まではない。温かな寝具で彼女をくるみ、規則正しい寝息を確かめてから、シャワーを浴びてくることにした。



入浴後、連絡があったことに気づく。総二郎からだった。
着信があってから時間が空いていなかったので、そのまま折り返す。
相手はすぐに応じた。

「牧野の様子は?」
「あのまま寝てるよ」
「偶然とはいえ悪かったな。帰国早々、邪魔する形になって。お前達、全然会えてなかったんだろ?」
「あぁ。でも、しばらくは東京だから」
「そうか。なら良かった」

総二郎によると、先ほどの集まりはそのまま散会となったらしい。明日は金曜日で、各々、仕事の予定がある。つくしの同僚は総二郎の送迎をにこやかに固辞し、夜の街へ颯爽と消えていったという。
「連絡先交換も笑顔でスルーだぜ。けっこうな美人だったのによ」
「ドンファンも名折れだね」
「さすが牧野の友人。一味違う」
さも楽しそうに彼は笑う。


だが次の瞬間、その声のトーンはぐっと下がった。
「なーんか、無理してそうだぞ。牧野」
「…え?」
「あいつ、元気なかったなー。付き合い始め特有の華やいだ空気も感じられないしよ。…思いのほか、遠距離が堪えてたんじゃねぇの?」

メッセージの文面も、電話の声も、いつも前向きで明るかった彼女。
…でも、次にいつ会えるかは聞かない彼女。
たぶんそれは直接会っていれば見抜けるつくしの強がりと気遣いで、司との遠恋中には何度も見てきたいじらしさだった。

『めいっぱい頑張ってる人に、これ以上頑張ってだなんて言えないよ』
『口にしたらお互いにつらくなるから、寂しいなんて言えないよ』

仕方ないよ、と何度も言いながら、遠い空を見上げていた横顔。
自分ならそんな表情をさせたりしないのに―。
そう思っていた自分が、結局はあの時の親友と同じように、彼女に寂しさを与えている。まったくもって不甲斐ない。



「ひとつ、謝っておく」
「…何?」
「お前、近々、ヨーロッパに赴任することになるだろ?」
「ん。今回の滞在中にもその話が出たよ」
「悪ぃ。…今度こそついていくだろ?って、ストレートに訊いちまった」
相変わらずの直球に思わず苦笑する。曖昧さを見過ごせない総二郎らしい。

「つくしは、なんて?」
「固まってたなー。ちょうどあきらが到着したこともあって、それ以上踏み込むのはやめた。でも、余裕のない牧野には地雷だったんじゃねぇかって、今更ながら反省してるわけよ」
「へぇ…。お前にも反省って言葉があるんだ?」
「心配だって示せば、何言っても許されるわけじゃないからな」
「まぁね」


総二郎に悪気はなかった。
単につくしのことが、俺達の行く末が心配だっただけ。
それは分かっているから怒る気にはなれない。

俺が欧州に赴任する可能性は入社時から示唆されていた。つくしの方でもそれは理解していたと思う。
それでも、恋人としての関係がようやく始まったのと同時に会えない日々が続いて、絆を深めたり、気持ちの準備をしたりする前に、海外赴任の可能性だけがどんどん現実味を帯びてしまった。

俺についてくるということは、彼女が多くのものを手離すことと同義だ。これまでとは概念の違う生活になる。それなりの準備と覚悟が要る。総二郎の質問につくしが動揺したのは、無理もない話だった。


「気にしないでいいよ。俺もお前に報告してなかったし」
「そうそう、それな!」
「何があっても手離すつもりはない。だから心配は要らない」
「親の了承は得たのかよ?」
「目下、交渉中」
「ま、無条件にってわけにはいかないよな」


話し合いのスタートは1週間前。
父の隣には、母もいた。
二人はすでにつくしの存在を的確に把握していた。両親は俺の話を最後まで聞いてくれたものの、父は渋面を作ったままで、母も困ったような顔をしていた。

非公式ながらもつくしが司の婚約者であり、あの道明寺楓がそれを容認していたという事実。
牧野家の経済事情と、過去の金銭トラブル。

相手側には同程度の家格とクリーンな過去を求めたい両親にとって、そうした出来事はマイナス要素となって響いていた。親族や会社幹部からの厳しい目もある。花沢家と姻族関係になるとはそういうことだと、俺自身も理解はしている。


そこで、父から提示された条件が二つ…。




総二郎との通話を終えて寝室に戻ると、つくしは横向きの姿勢のまま深く眠っていた。隣に滑り込んで彼女の体を抱き寄せる。その体温は高く、わずかに汗ばんでいた。
「ごめん。少し暑かったね」
厚めにかぶせた毛布を下にずらしてやり、額や首筋に纏わりついた髪を指で梳いていた時だった。

「……ぃ……」
ごく微かな声がした。
「……る…ぃ……」

意識が戻ったのかと顔を覗き込むけれど、そうではなかった。
彼女の瞳は固く閉じられたまま。だけど、そこから滲み出てきた雫が横に流れて、ぱたりとシーツに落ちた。
胸が締め付けられたように痛んだ。ぎゅうっと。


「泣かないで」
彼女の涙をそっと拭い、額に口づけて深く抱き込む。
「俺、ここにいるよ」
つくしからの反応はなく、規則正しい呼吸が繰り返されるだけ。


もう朝になればいいのに。
悲しい夢は終わりにして、早く俺を見つけなよ。


そんなことを思いながら瞼を閉じれば、あっという間に深淵が迫ってきた。
疲労が、体の中に澱のようにたまっている。
俺は愛しさを胸に抱き、夢も見ずに眠った。






いつも拍手をありがとうございます。
応援を励みに頑張ります(*^-^*)
関連記事
スポンサーサイト



2 Comments

-  

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2021/01/18 (Mon) 18:18 | REPLY |   
nainai

nainai  

あ***様

こんばんは。コメントありがとうございます。
ブログ再開の折にもコメントをいただきましたね。

連載を楽しんでいただけているようで何よりです~。
そのお言葉が励みになります(*^-^*)

二人は着実にステップアップしているのに、微妙に上手くいかないというジレジレ展開です。だからこその30話だったりしますw ゆっくりデートさせてあげたいですよね(;^ω^) まだまだシチュエーションの異なるデートコースをご用意しております。どうぞお楽しみに!

類の両親の思惑もそろそろ明らかになる頃。二人の行く末を見守っていてくださいね。

2021/01/18 (Mon) 23:18 | REPLY |   

Post a comment