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Marbling Orange ~19~

Category『Marbling Orange』
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~Rui~


品評会が終わったのは予定通りの時刻だったが、各蔵元の代表者との話し合いは大幅に長引いた。花沢が提案する酒造技術のAI化については、思っていたより大きな反響があった。難色を示す年配の杜氏も多かったけれど、その下で働く若い世代はIT技術に理解があり、議論にも積極的だった。明日もこの会場で、今日とは別の地区の蔵元に集まってもらい品評会を行う予定になっている。

時間がおしたため、田村に待ち合わせ場所までつくしを迎えに行ってもらい、ここに連れてくるように頼んであった。彼女と合流できたのは辺りが夜の帳に包まれた午後6時。その頃になると、凍った地面を降雪が白く覆い始めていた。田村と入れ替わる形でタクシーに乗り込む。彼とはここで別れ、俺達は今夜の宿へと向かった。


「ごめん。遅くなって」
「うぅん。お疲れ様! 品評会はどうだった?」
「いい手応えだったよ。現場の率直な声が聞けたし、とても有意義だった」
「良かったね。あたしはのんびり観光を楽しんだよ」

暗い車内でもつくしの表情には明らかな疲労が見て取れた。芯まで痺れるような寒さが体に障ったのかもしれない。膝の上の小さな手を取れば驚くほど冷たくなっていた。それを少しでも温めてやりたくて、両手で包み込む。
「冷たいね…」
「ホッカイロ持ってきたのに、旅行鞄の方に入れたままにしちゃってさぁ」
失敗、失敗と言いながら彼女は明るく笑い、甘えるように俺の肩口に頭を寄せてくる。よほど疲れているのだろうと思い、そのまま俺の方に凭れさせておいた。

宿までは約20分の道のりだが、凍った路面のために少し遅れるだろう。
夕食より入浴を先にした方がよさそうだ。つくしが風邪をひかないようにしないと。

その時、俺が考えていたのは宿に着いてからのことだった。品評会ではそれなりの酒量を試飲していたし、日頃の疲れも相まって、程よい倦怠感が全身を包んでいた。
…だから、アンテナが鈍っていたのかもしれない。
つくしもそれを隠していたし、俺の知らないところで彼女の身に何が起きていたのか、まったく考えが及ばなかった。



目的の宿は、金沢の中心街から少し離れた場所でひっそりと営まれている。全室が露天風呂付き客室で、朝夕の食事も各自の部屋でとることになっているため、他の宿泊客とは一切顔を合わせることがない。完全なるプライベート空間だ。
仲居に案内されて部屋に入ると、室内は十分に暖められていて、金沢駅で田村に預けた荷物が先に到着していた。つくしは部屋の広さに驚き、炬燵や露天風呂を喜び、小さな子供のように歓喜の声を上げ続けた。

その声がピタリと止まったのは、閉ざされていた別室の襖を開けた時。立ち竦んだ彼女の向こう側、照明の落とされた部屋には布団が並べて敷かれているのが見えた。そこは寝室なのだろう。
つくしは無言のまま襖を閉めた。…その動きがぎこちない。


今夜のことを変に意識させたくなかった。俺はつくしから視線をそらし、スーツの上着を脱ぎながら素知らぬ振りで声をかけた。
「温泉入ってきたら。体冷えてるだろ」
「えぇっ! あ、あ、あたしはいいよ。類から入って?」
移動中は車内が暗くて分からなかったけれど、宿に着いてみればつくしの顔色はひどく青褪めていた。体調が悪いのかと問えば、なんともないと答えたけれど、いつもより元気がない様子だ。
「俺はもう少し酒が抜けてから入る。夕食は7時半からに変更したし、ゆっくりしてきていいから」
「…そう? じゃあ……お言葉に甘えさせてもらうね」

つくしが準備を整えて脱衣所に消えると、俺は大きく息を吐いた。窮屈なスーツから私服に着替え、炬燵で暖を取ることにする。凍えた手足が温まってくると、だんだん体が重くなってきた。横になって軽く目を閉じると、ものの数秒で意識は闇に引き込まれていった。



声をかけられて目を覚ました時には、卓上に所狭しと料理が並べられていた。配膳に訪れた仲居達には、湯上がりのつくしが応対してくれたようだ。何度もインターフォンが鳴るのに、室内にいるはずの俺が応答しないので焦った、と彼女は笑った。何度も人が出入りする音がしただろうに、俺はまったく気づかなかった。

つくしは浴衣の上に臙脂えんじの羽織を着ていて、白い頬には赤みが戻っている。
「温泉はどうだった?」と聞くと、「最高だったよー」とご機嫌な様子を見せた。

仲居に料理の説明をしてもらって食事を始める。そこには、のどぐろの刺身や蟹鍋、加賀野菜のかき揚げなど地元ならではの品々が並んでいた。
「わぁ! 美味しそう!」
彼女は満面の笑みで合掌すると箸をあげ、一口食べるごとにその味を絶賛した。本当に美味しそうに食べるので、それにつられてこちらの箸も進む。



つくしは品評会の詳細を聞きたがったので、俺はできるだけ詳しく話した。下戸同然の彼女は日本酒を楽しむことはできないけれど、技術のAI化には興味をひかれたようだ。

「おばあちゃんの味を引き継ぐような感じよね」
「………?」
「あっ、えーとね。家庭には、その家ならではの味があったりするの。うちの場合はおばあちゃんの糠漬けだったな」
「糠漬け? 牧野家で食べたことないけど…」
「おばあちゃんから譲ってもらった糠床、ママがダメにしちゃったからね。あの味がもう食べられないと思うと残念だよ。…だから、杜氏の技術をAI化することで、その人の味がいつでも再現できるのなら、蔵元の人達にとってはすごく嬉しいことなんじゃないかな」

味の伝承という見方をするなら、日本酒も家庭料理も同じなのかもしれない。
「無形のものを有形にすることは難しい。でもトライしてみる価値はあると思う」
「花沢物産ではそういう活動もしてるんだって、すごく勉強になったよ。頑張ってね!」
「ん」
こういう時に感じる。つくしの言葉には力があるなって。
課題は山積みでも、気持ちを前向きにさせてくれるから。

明日は、午後の品評会が始まるまでは二人でゆっくり過ごすつもりだ。つくしとは正午頃に金沢駅で別れ、先に帰京してもらうことになっている。気になるのは天候で、今夜の降雪が帰路にどれくらい影響するかが懸念事項だった。



そうして、穏やかな時間が過ぎていく。
…はずだったのだが。



夕食を終え、しばらく時間を置いてから入浴することにした。庇があるとはいえ風は強く雪も舞っていたので、露天には出ず、内湯だけを楽しんだ。浴槽は檜造りで、長身の俺が手足を伸ばしても十分な広さがあり、温泉の水質もとろりとして気持ちよかった。

浴衣は着崩れるから好きではなく、持参した服に着替えて脱衣所を出た時だった。座卓に突っ伏している彼女の姿が見えた。先程の俺と同様に転寝をしているのかと思ったら、そうではなかった。
上から顔を覗き込めば、ぎゅっと眉根を寄せた、苦しそうな表情が見えた。その額には汗が浮いている。


「どうした?」
「……ちょっと……気分悪くて」
「吐きそう?」
「……分からない」
浅く速い呼吸が聞こえ、不安は急速に高まっていく。
「病院に連れて行こうか?」
「……うぅん。……いい。……少し横になりたい」


つくしを支え、寝室まで付き添う。枕元の間接照明だけを灯して、羽織を脱ぎ、帯を緩めるように彼女に言う。万一の場合に備え、ダストボックスも近くに置いた。寒くないように布団をかけてやり、労わるように細い肩を撫でていると小さな涙声がした。

「……ごめんね。……具合悪くして」
「なんで謝るの。不調は誰にでもあるよ」
今朝、彼女の目が赤かったことを思い出す。
その時、微かな違和感を覚えたことも。
「…もしかして、朝から体調悪かったんじゃない?」


昨夜はよく眠れなかった、と言っていた彼女。
新幹線の中で見た寝顔は、いつになく疲れ切っているように見えた。


つくしは何かを言いかけて口を開き、結局は無言のまま首を振った。その目の端から涙がこぼれていくのが、照明の弱光が作る陰影の中でもはっきりと分かった。
おそらく指摘は当たっていたのだ。彼女のことだから、体調不良を言うに言い出せなかったんだろう。触れた頬の冷たさに驚く。

「ごめん。俺の出張に付き合わせて。…無理させて」
「……うぅん。……あたし、嬉しかったから」
俺の手に、彼女の小さな手が重なる。
「少しでも一緒にいたいって、あたしも思ってたんだよ…。だから謝らないで。……ね?」
「東京に戻ったら、もう少し時間を作れるようにするよ」

俺がそう言ったのに、彼女は淡く笑っただけだった。
その笑顔がひどく寂しそうに見えて、胸がざわつく。


溺れそうになるよ。
己の不甲斐なさに。



手を繋いだまま様子を見ているうちに、浅かった呼吸は整っていき、つくしはうつらうつらとし始めた。おやすみ、と声をかけると小さな応答があり、彼女はそのまますぅっと眠りに落ちていった。しばらく寝顔を見守ったけれど、もう苦しそうな様子はなかった。

隣室の灯りを最小限にし、寝室に戻ってつくしの隣に滑り込む。夜中に不調を訴えることがあれば、すぐに気づいてやりたい。そう思いながら後ろから華奢な体を抱き込むと、柔らかくて温かくて愛おしさが募った。
深淵に沈んだ彼女を追うように、俺の意識もほどなくブラックアウトした。






いつも拍手をありがとうございます。
つくしが見せる曖昧な何か。…不穏な兆し。
それを掴みかねている類です。
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4 Comments

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2021/02/06 (Sat) 08:27 | REPLY |   

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2021/02/06 (Sat) 15:33 | REPLY |   
nainai

nainai  

a**様

こんにちは~。
コメントありがとうございます(*^-^*)

いやはや、苦しい展開となっております…。つくし側の真実を知っている読者様にしてみれば、彼女の頑張りが痛々しく映る回でしたね。類も違和感を抱きつつ確信には至らず。体調不良のせいだったのだろうと思うのは自然な流れです。
物語はいよいよ佳境へと入っていきます。ここからどう盛り返していくのか、最後まで楽しんでいただければと思います。


コメント(感想)を書くのは難しいですよね。かく言う私も感想文が苦手なクチでして…。ブロガーにとってはコメントを送ってもらえたこと自体がとても嬉しいことなので、どうぞa**様の思うままを書いてください。温かい応援はちゃんと伝わっていますよ(#^^#)

2021/02/07 (Sun) 14:04 | REPLY |   
nainai

nainai  

ゆ****様

こんにちは。
コメントありがとうございます(*^^)v

さて、今作における最大の苦境を迎えております。いくら察しのいい類でも、説明なくして、つくしに起きていることのすべてを把握することはできません。そうした意味では、つくしは類に嘘をつくのが巧くなったのだと言えます。隠さずに全部話してしまえばいいのに…と思いますけどね(^_^;)

彼女の悪い癖が出て自己完結で終わってしまうのか。亜依子の問いかけにどう応えるのか。こうした展開は他の物語でもよくあると思うのですが、次話から最終話までの流れの中で、私なりの創意工夫を感じ取っていただければと思います。最後までよろしくお付き合いください。

2021/02/07 (Sun) 14:23 | REPLY |   

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