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Marbling Orange ~20~

Category『Marbling Orange』
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~Tsukushi~


薄灯りの中で目を覚ますと、すぐ傍に類の気配を感じた。酔い潰れてしまったあの夜と同じように、あたしは優しい温もりに包まれている。
近くに時計は見当たらない。でも、少しでも動いたら、彼の眠りを妨げてしまう気がして動けない。窓のないこの部屋からは外の様子が分からず、今が何時なのか、見当もつかなかった。

眠ってしまう前の気分の悪さは治まっていた。最初に感じたのは眩暈、そして胸のつかえだった。引き続き胃が重く感じられるのは、ストレスからくる症状だろう。あたしの心は、類のお母さんの言葉に雁字搦めにされたままだ。


『類とは、別れてくださるかしら』
『あと一夜ばかりの夢は許して差し上げましょう。どうぞ楽しんでいらして?』

思い出す度、胸がぎゅっとなる。
亜依子さんの柔らかな声の響きが、ずっとリフレインしている。


類と過ごせる最後の夜だったかもしれないのに。二人で大切に育んできたものは紛れもなく愛情だったと、確かめ合いたかったのに。……だけど、それをこんな形で台無しにしてしまって。無性に泣けてきて、必死に声をこらえる。



類。
大好きだよ。


でも、類のご両親も、あたしの両親も、この交際を喜んではくれない。
理由なら十分すぎるほど分かってる。あたしが、類に相応しくないからだって。


でも、好きなの。
ずっと一緒にいたい。
好きなだけじゃダメだと分かっていても、どうしても離れられない。

だって、類は、あたしの心の一部だから。その領域を守りたくて踏み越えてこなかった“友人”の線引きは、もう存在しない。だから、何もなかった数ヶ月前に戻ることはできない。


…類に打ち明けてみようか。ふと、そんな思いに駆られる。
でも、類には話さないでほしいと亜依子さんに前置きされたことが、心に引っかかっている。あれは、自分で考え、自分で判断してほしいという趣旨に思えて。


あたし、試されてる?
だったら相談しないことが正解?



「…ん…」
耳元で小さな声がして、類の気配がもっと近くなる。居場所を確かめるように、彼の手があたしの体を軽く撫でて止まった。
「類…」
堪えきれずに名を呼んだ声は、決して大きくはなかったと思う。
でも、彼はこれに応えてくれた。
「……どうした? ……具合悪い?」

あたしは浴衣の袖で涙を拭い、体の向きを変えて類にしがみついた。押し当てた頬に、抱きしめた腕に感じるのは、あたしとは違う硬く締まった体躯。彼の腕があたしをゆるく抱く。
「うぅん…もう平気…」
「……よかった……」
その言葉に安心したのか、類はあたしの額に優しく口づけ、また深い眠りに落ちていった。愛おしさがこみ上げ、あたしという器を満たし、とめどなく溢れていく。




あたしの中にあるのは、ただ一つの想いだけだ。
類を、失いたくない。
それなら、どうすればいい?
悲観して泣いているだけじゃ、事態は変わらないの。


過去のあたしに足りなかったものは何?
今のあたしに足りないものは何?


亜依子さんは、その一つを“覚悟”だと教えてくれた。
よく思い出して。よく考えて。
あの時のあたしは、彼女に何を求められていたのか。


亜依子さんはあたしについて調べ上げ、多くの情報を得ていた。でも、それらはすべて他人から見た事実だ。情報源が人である限り、話す側の主観が混じってしまう。
だから彼女は公平を期すため、あたしに事実確認をした上で、疑問をぶつけてみたいと思ったのだろう。あたしは、そこで気持ちを挫けさせてはいけなかった。

冷静に振り返ってみれば、質問内容は決して不当なものではなかった。道明寺との過去を知る人なら、悪意の有無にかかわらず、彼のことを引き合いに出してきてもおかしくはない。類を大切に想う人なら尚更のことだ。
でも、あたしは動揺するばかりで、質問にちゃんと答えることができなかった。自分の良さをアピールするチャンスを生かすことができなかった。失望されても仕方ない。



もう一度、亜依子さんと会おう。
会って、あの時言えなかった類への思いをちゃんと伝えよう。
別れることはできないと強く主張しよう。
気持ちは急速に固まっていく。

彼女の云う“覚悟”が何を指していたのかは、まだ分からない。
だけど、この恋を諦めたくないなら、どんなに敗色の濃いゲームでも闘うしかない。




…いつ眠ってしまったかは分からないけれど、次に目覚めた時は朝だった。類はまだ眠そうで、あたしの体調を確認すると再び微睡み始める。その柔らかな髪を何度か撫で梳いた後、あたしは彼の腕からそっと抜け出した。

外気温は氷点下に近かったと思うけれど、昨日の雪は積もっていなかった。寒中で一人、露天風呂を楽しむ。肌を刺すような冷たさは、むしろ、頭の中をとてもシャープにした。東京に帰ったらすぐ、亜依子さんに連絡を取るつもりでいる。


部屋に戻ると、類も起きていた。彼の態度は昨日と何も変わらない。
「朝風呂はどうだった?」と微笑み、「朝食は雑炊にしてもらったからね」と、あたしの体調に配慮してくれた。

寛容な人だと思う。本当に。
類は、あたしに、どんなプレッシャーも与えない。
良いことも、悪いことも、あるがままを受け入れてくれる。
だから、あたしも、いつでもそんなふうに在りたいと思うの。




宿を出たのは午前9時半頃。迎えのタクシーに乗って、類が予約してくれた伝統工芸品の工房に向かい、そこで金箔貼りを初めて体験した。あたしは色違いの箸に、類は小物入れに金箔細工を施し、それぞれ満足のいく作品を仕上げた。

それが終わると、あたし達は水引みずひき細工にもチャレンジしてみた。加賀水引では美しい糸を使った立体型の作品が出来上がる。体験ではアクセサリや箸置きなどを作るのが定番らしい。
たどたどしい手つきのあたしとは違い、彼の指先は器用に糸を編んでいく。これ楽しいね、と余裕綽々で笑う類がどうにも小面憎い。あたしは優紀のためにバレッタを作成した。類は箸置きを作成したようだった。


制作が終わる頃には、新幹線の出発時刻が迫っていた。まだ金沢で仕事がある類とは駅で別れ、あたしは一足先に帰京する。明日の仕事に備えてのことだ。

改札の前では田村さんが待っていてくれた。
「お時間が迫っておりますので昼食をご用意しておきました。車内でお召し上がりください」
「ありがとうございます、田村さん。いろいろとお世話になりました」
温和な笑顔と共に差し出された紙袋を受け取り、彼に謝意を告げる。田村さんは優秀だ。すべてにおいて、そつがない。

「帰り着いたら連絡して」
「うん。仕事頑張ってね!」
類はふわりと笑んで、あたしを片腕で軽く抱き寄せる。「気を付けて」という言葉に小さく頷くと、彼はすぐに離れていった。二人に送り出されて改札を抜け、何度も振り返って手を振り、あたしはプラットホームへと上っていった。



新幹線の予約席は行きと同じで、あのふわふわとした豪華な座席だった。隣は空席だ。田村さんが準備してくれた紙袋には、仕出し屋のお弁当と緑茶のペットボトルが入っている。
弁当の包みに薄紅色の和紙が挟んであるのが見えた。何気なく手に取ってみると、それは田村さんからの一筆箋だった。



『牧野様
 
金沢旅行はお楽しみいただけたでしょうか。
当方の都合にて短い滞在となってしまい、大変申し訳ございませんでした。 
 
今後ともお困りのことがございましたら、いつでもご相談ください。
微力ながらお力添えさせていただく所存です。
時節柄、ご自愛くださいませ。

田村』



田村さんには昨日のうちに名刺をもらっていた。実際に連絡することはないと思うけれど、そう言ってもらえるだけでも本当に嬉しい。類との交際を後押しされているように感じ、とても元気づけられた。



夕刻、予定通り自宅マンションに帰り着いたあたしは、最初に類にその旨をメッセージに書いて送った。品評会の最中なのは分かっていた。当然ながら、返事はない。


亜依子さんの連絡先を確認する。
あたしは何度か深呼吸をし、書かれた番号を正確にタップした。






いつも拍手をありがとうございます。
金沢旅行編でした。
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2 Comments

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2021/02/08 (Mon) 11:57 | REPLY |   
nainai

nainai  

ル*様

おはようございます。
コメントありがとうございます(*'▽')
ありがたいことに体調はまずまずです。でも極度の寒がりなので、春の訪れをじっと待ちわびる今日この頃です。

亜依子に関する考察、鋭いですねぇ。オリジナルキャラクターの人物像をどこまで明確化できるか?というのは、創作における毎回の課題であります。彼女の真意はどこにあるのか。この辺りを丁寧に描いていけたらと思います。
第20話では前向きな姿勢へとシフトチェンジしたつくし。亜依子との二度目の対峙はどうなるのか、見守っていてくださいね。

物語は残すところ10話となりました。後半になればなるほど1話分の文字数が増えていきます…(;^_^A 最後までよろしくお付き合いください。

2021/02/09 (Tue) 05:47 | REPLY |   

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