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Marbling Orange ~22~

Category『Marbling Orange』
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~Tsukushi~


夕闇の中、数年ぶりに訪れたその場所は、記憶に残る風景と何も変わっていなかった。敷地を取り囲む立派な外壁と屋根付きの門。隅々まで手入れの行き届いた前庭。武家屋敷のような日本家屋。


―花沢邸。


使用人頭の河野こうのさんに導かれるまま奥の部屋に入ると、そこは和室ではなくシンプルな内装の洋室だった。類のお母さん、――花沢亜依子さんが、あたしの到着を待っていた。
昨日、彼女に電話をしたところ、今日の業務終了後に本邸まで来るようにと言われた。金曜の夜と同じように、オフィスビルの前には迎えのロールスロイス・ホワイトが停まっていた。

この時刻、類はまだ会社にいるだろう。住まいをマンションに移してからは、類が平日の夜に本邸まで帰ってくることは稀だという。亜依子さんとのやり取りも、ここに来ることも、彼には何も話していない。


「こんばんは。今日はお時間をいただきありがとうございます」
「お待ちしておりましたよ。どうぞ、おかけになって」
亜依子さんはテーブルの向かいの席に座るように促すと、河野さんに目配せをした。河野さんは無言で頭を下げて退室する。

話をするのに人払いをされたのだろう。そう思っていたら、河野さんと入れ替わるようにして、使用人の女性達が部屋に入ってきた。ワゴンで運ばれてきたのは和膳で、目の前のテーブルに温かそうな料理が次々と給仕される。その様子に、あたしは面食らった。


「このような時刻ですからね。夕餉の膳を用意させました。お話をするのは、食事をいただいてからにしましょう」
「…はい。ありがとうございます」

そう答えたものの、あたしは空腹を感じていなかった。昨夜の電話以降、亜依子さんと会う約束が頭を離れず、今の今までずっと緊張し続けている。職場では、隣のデスクの凛子さんに「様子がおかしい」と心配されてしまって…。
それでも食べないわけにはいかないと思い、あたしはそっと両手を合わせた。

「いただきます」

料理はどれも優しい味つけだった。薄味で脂っこさは一切なく、薬膳料理みたいだ。不調が続く胃にも難なく受け付けられるものばかりで、あたしはホッとした。

「どうでしょう。お口に合いますか?」
「はい。とても美味しいです。…中でも、かぶら蒸しが素晴らしいと思います」
「…そうですか。良かったです」
亜依子さんは柔らかく笑むと、美しい所作で料理を口に運んだ。


今日の彼女からは、初めて会った時のような厳しい空気を感じない。それからは無言が続いたけれど、気まずさはなかった。あたしは出された料理をすべて食べ終えた。



食事が済むと、緑茶が準備された。亜依子さんが直々に淹れてくれたものだ。その香りと味を楽しみ、茶器を置くと、彼女は頃合いと判断したのか話し始めた。

「金沢はどうでしたか? 天候はあまり良くなかったようですね」
初っ端から金沢の話を切り出されて動揺する。努めて冷静な声を出す。
「一昨日は雪が降りましたが次の日まで持ち越さず、予定通りの行程で移動できました」
「旅行は楽しめましたか?」
口調に悪意は感じない。でも、それは答えにくい質問だった。

「…正直な気持ちを申し上げると、楽しむ余裕はありませんでした。前日に花沢さんが仰った言葉が気にかかって、どうしたらこの先も類さんと一緒にいることを許してもらえるのか、そのことばかりを考えていました」
「あら。こちらの意向はもうお伝えしておりますのに」
「はい。それは重々承知しております。…その上で、今日はお願いに参りました」
あたしは頭を下げる。深々と。


「どうかお願いします。当初の条件通り、私に2年間の猶予をいただけませんか。…たとえ2年後に結婚のお許しがいただけなくても、これから類さんと過ごしていく時間が無駄になるとは思いません。お互いを尊重し合い、楽しい時間を共有していきたいです。

あらゆる面において、私が彼のパートナーに求められる資質を満たせていないことは、よく理解しています。足らないとご指摘いただいた覚悟がどういったものかも、まだ掴み切れていません。それでも、私の人生に類さんは必要不可欠なんです」

相手の反応はない。表情は見えない。
あたしは頭を下げたまま続ける。

「類さんと出会ったのは7年以上も前のことです。長い時間の中で、私達はそれぞれに別のパートナーと恋をしました。その恋がうまくいくようにと相手を応援し、本音を打ち明け合った経験から、私達は信頼関係を深めていきました」


渡仏した静さんを追いかける類を、空港で送り出したあたし。
NYの道明寺に会いに行くあたしを、空港で送り出してくれた類。

あたし達には、相手の幸せを一番に願っていた瞬間があった。
偽善でも欺瞞でもない、ただ純粋な思いで。
それでは自分が報われないことは分かっていても―。


「牧野さん」
不意に名を呼ばれ、顔を上げる。一瞬、話すことを制止されるのかと思った。でも、そこには彼によく似た穏やかな微笑があるだけだった。
「頭を下げ続ける必要はありません。…どうぞ、お話の続きを」
「はい…」
あたしは居住まいを正して、亜依子さんの瞳を見つめる。
美しく澄んだ鳶色を。
傾聴する相手の姿勢は、あたしの勇気を奮い立たせてくれた。


「私達は長らく友人という間柄でした。でも、私が類さんのためにしたことよりも、彼が私のためにしてくれたことの方が多過ぎて、対等ではない関係だったように思います。
…ですから、私と道明寺さんの関係が終わりを迎えた時、類さんとも距離を置くべきだと考えました。これ以上、優しさに甘えるべきではないと思ったからです。……実際、私はそのようにしました。もう連絡は取らないことにしたのです」
「…でも、そうならなかったのですね」

「はい。類さんは私の弱さや至らなさを知っていて、ずっと心配してくれていました。……音信不通になって数ヶ月後、類さんがアルバイト先に訪ねてきたのをきっかけに、私達はメッセージのやり取りを再開しました。
それは仕事や日常の出来事を書くだけの他愛ないものでしたが、心に小さな灯をともすような温かさがありました。……私にとって、類さんはいつでもそういう存在でした。優しくて、温かくて……」


道明寺のことが好きだったあたし。
そして今、類のことを大切に想うあたし。
どちらも本当のあたしだ。

静さんのことが好きだった類。
そして今、あたしを好きでいてくれる類。
どちらも本当の類だ。

あたし達はいつでも一生懸命だった。
だから、その時、その一瞬の心の在り様を後悔したりはしない。

誰が何をどう評価しようと、あたしと類の心の軌跡は、あたし達にしか分からない。彼と一緒に見つめてきたものを守り、信じていけばいいと思う。


「先日、道明寺さんとの恋を、一生に一度の恋だったと申し上げました。その言葉を少しだけ訂正させていただきます」
あたしは微笑み、そして断言する。
「一生に“一度きり”の恋です。ですからリトライはありません。そして、類さんとの恋も“一度きり”のものです。後悔のないように、今の自分の精いっぱいで、類さんを大切に想っています。彼が寄せてくれる信頼を、私は絶対に裏切りません」
亜依子さんの目がすっと細くなる。
「私にできることは限られています。それでも、どんな時でも、類さんの笑顔だけは確約したいと思います」


亜依子さんが口を開こうとした、次の瞬間―。


遠くの方で声がした。女性の。
応える男性の声。怒っているような。
そして、この部屋に近づいてくる足音。

それが誰かを考える間もなかった。
ノックもなしにドアは開かれ、その向こう側に類が姿を見せた。
前髪を乱し、いつになく険しい表情で。

「類…」

この状況に動揺し、思わずその名を呼ぶ。
鳶色の瞳は最初にあたしの姿を捉え、すぐに自分の母親へと鋭い視線を向けた。
そこには紅蓮の炎が揺らめき立つようだった。

「…これは、どういうことですか?」
彼の声は地を這うように低く、苛烈なまでの怒気を孕んでいた。






いつも拍手をありがとうございます。
ようやく現実を知ることになった類。亜依子はこれにどう応えるか。
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2 Comments

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2021/02/12 (Fri) 11:05 | REPLY |   
nainai

nainai  

ル*様

こんばんは。コメントありがとうございます(*^-^*)
今日は終日ポカポカ陽気でした。花粉さえなければなぁ…。

第22話は『つくし、類を語る』の回でした。初対面の時とは違い、つくしの気持ちは落ち着いていて、亜依子も聞き役に徹してくれています。つくしの誠実さと懸命さが伝わってくれればいいなぁと思いながらの執筆でした。まだ亜依子の意図については明らかになっていませんが、果たして…。

対する類はようやく事態を把握し、怒り心頭です。ここで冷静になって母に相対できるのか、修羅場となってしまうのか、注目の次話となります。どうぞ今夜の更新をお楽しみください(*^^)v

2021/02/13 (Sat) 22:57 | REPLY |   

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