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Marbling Orange ~27~

Category『Marbling Orange』
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~Rui~


思い返してみれば、真島さんに話を聞いた時から違和感があった。
つくしに接触したのが、父ではなく母だったという事実に。
そして、実際に母と対峙し、率直な意見をぶつけ合った昨夜の一幕に――。


朝、目覚めと同時に感じたのは、腕の中にある温もりだった。
熱く求め合い、つくしのすべてを知った。彼女に愛されていることを実感できた。そのことが嬉しくてたまらない。いつまででもベッドの中で抱き合っていたかった。

だが幸せの余韻に浸る時間は今の俺達にはなく、現実に立ち戻って出勤の準備をする必要があった。仕事モードへの切り替えには、いつも以上に気力を要した。


つくしがシャワールームにこもっている間、簡単な食事を準備しようと思っていた。ところが、唐突に鳴り出したスマートフォンに作業を中断される。
電話をかけてきたのは、本邸の使用人頭である河野。昨夜のやり取りを思い出し、電話に出ないでおこうとも思ったがやはり応じた。彼女は儀礼的な挨拶を述べた後、こう切り出した。

「奥様は先程、こちらを出発されました。羽田空港に向かわれています」
「…報告するように言われた?」
「いいえ。お伝えするべきだと私が判断しました」
河野の声にはある種の緊張があった。その理由はすぐに分かった。
「類様。…奥様はこのまま花沢家を出奔するご覚悟でいらっしゃるかもしれません」
「どういう意味?」
「言葉通りです。最後のご挨拶の折、ここにはもう戻ることがない、という奥様の意志を感じたのです」
「経緯を説明して」
「はい」


母は昔から朝が早い。今朝も5時半には起床し、身支度を整えて朝食を摂った。予定を繰り上げ、今日のうちにパリに戻ることにした、と河野が聞いたのが朝食後のこと。当家において、そうした予定変更はさほど珍しくもなく、彼女も最初は疑問に思わなかったという。

「お見送りの際、奥様は私達を見回し、笑顔で仰いました。これまでよく尽くしてくださったと謝意を述べられたのです。年末のご挨拶と受けとめていたのですが、ご乗車の時、奥様の薬指に結婚指輪がないのを見て、もしやと思いました。…それで、お見送りの後、奥様のお部屋に入らせていただいたのです」

記憶にある母はいつも結婚指輪をしていた。
父と同じデザインの。
でも、昨夜はどうだったのか覚えていない。

「室内はよく整頓され、一見して何の変化もないように見えました。…不敬極まりないと叱責を受ける覚悟はしております。私は、奥様の文机の引き出しを開けました。そこにちゃんと私物が納まっているのか、確認したい気持ちになったのです」
「…それで?」
「中は空でした。他の引き出しも同様に。クローゼットの中の物も少なくなっていました。奥様が前回帰国されたのは初夏のことです。でも、荷物を持ち出された様子はありませんでした。それで、部屋の掃除を担当していた者を呼び出し、この件について何か知らないか訊ねました。すると、10月中旬頃、奥様に内密に頼まれて、私物のいくつかを横浜のご実家の方に送ったと申すのです」

どういうことだ? 
母が私物を整理していた?

「奥様のお言葉も、指輪のことも、私物のことも、すべてが悪い考えへと結びついてしまいます。今ならきっと間に合います! 奥様を引き留めて、その真意を確かめてくださいませ」
「父には知らせた?」
「まだです。先に類様にお知らせした方がいいと思いまして…」
「すぐ空港に向かう。父にはまだ知らせないで。報告は俺からする」
「承知いたしました。どうか、お願いいたします」


河野との通話と終えると、田村に連絡を取った。事情を伝え、午前中の仕事をすべてキャンセルするように伝える。そして、昨日と同様に、母の行方を追うよう指示を出した。

まだ準備中だったつくしに声をかけ、一緒に来てほしいと要望する。彼女は即断し、その5分後には二人で迎えの車に乗り込んだ。朝の通勤時間帯だ。ここから羽田まで、優に1時間はかかるだろう。



つくしには、彼女の職場への連絡が済むのを待ってから事情説明をした。彼女はひどく驚き、困惑の表情を浮かべて言った。
「どういうこと? 亜依子さんが出奔って…」
「俺にも分からない。情報が少なすぎる。でも、河野はそれを危ぶんでる」
「ご両親には、以前から離婚話があったの?」
「いや、ない。……俺の知る限りでは」

双方の親によって定められ、見合い結婚をした両親。26年間の結婚生活の中、二人が揉めるところを俺は見たことがない。いつも、父の言うことは絶対事項で、母はそれに従順だったから。
だが、田村が話した父の婚外子騒動のように、俺の知らないところで火種は生まれていたのかもしれない。

二人の関係は、愛情で結びついたものではなかったと思う。少なくとも、俺とつくしが交わし合う温かい感情は存在しないように見えた。それでも、ある一定の信頼と気遣いは存在していて、彼らの関係はそういうふうに連綿と続いていくものだと思っていた。


俺には、母の考えが分からない。
物静かで優しく、自己主張をしなかった母。
つくしに対する積極的な行動と、彼女に垣間見せた冷徹な一面。
そして、本邸での振る舞い。
一貫性のないこれらの行動は、何を意味しているのか。



車が走り出して十数分後、田村が折り返しの連絡を寄越した。
母のスマートフォンのGPSは追跡できなかったこと、パリに向かう搭乗便の乗客名簿に母の名はなかったことが分かる。だが、花沢家の所有車は確かに羽田空港へと向かっていて、もうじき国際線ターミナルに到着する見込みだという。

「目的地はパリじゃないってことか」
「おそらくは…。時間がありませんので、利用する航空会社が判明しないことには、搭乗便を特定することができません」
「チェックインカウンターが無理なら、保安ゲートを封じるしかない。どういう手を使ってもいい。俺達が到着するまで母を留め置いてほしい」
「…承知いたしました」


運転手に到着までの時間を確認する。あと30分はかかるとの回答を得る。
まだ目的地は遠い。
大きく息を吐くと、膝に置いた手に温かいものが重ねられた。

「類、大丈夫?」
「…ん」
彼女は俺の手を両手で包み、心配そうに見上げてくる。
でも、それに微笑み返す余裕がない。
「…ごめん。面倒なことに巻き込んで」
「謝らないで。たぶん、あたしにとっても、これは大切なことなの」

つくしの瞳が光る。
何か、確信を得たように。

「あたしね、もう一度、最初から思い返してみた。亜依子さんとのやり取りを」
「…うん」
「最初に亜依子さんに会った時、あたし、道明寺のお母さんが会いに来た時のことを思い出してた。きっと類との交際を反対されるんだろうと思い込んでて。何を言われるか分からなくて、ずっとビクビクして、とても冷静じゃいられなかった」
「……うん」
「覚悟が足らない、別れてほしいって言われて、頭の中が真っ白になっちゃって…。だけど、道明寺のお母さんと違うことが一つだけあった」


―この流れの中で、あの時との違いなんてあっただろうか。


「亜依子さんは言ったの。『気持ちが決まったら』連絡するようにって。あたしはそれを『別れる決意が固まったら』という悲観的な意味で捉えてしまったんだけど、本当は違ったのかもしれない」
「どういうこと?」
「道明寺のお母さんは、あたしが道明寺と別れなければ社会的な制裁を与えることを宣言したの。そして、実際その通りにした。…でも、亜依子さんは、あたしが別れない選択をした場合については一度も触れてない」
「…言わなかっただけじゃない?」
「そうかもしれない…。でも、亜依子さんは、道明寺のお母さんとも知り合いなのよね? あたしがどういう人間なのか、詳しく把握していたと思う」

俺の見解に口ごもりつつも、つくしは最後まで自分の考えを述べた。

「昨日、夕食を一緒に食べた時、亜依子さんの雰囲気は最初の時と全然違ってた。穏やかで、優しくて…。最後まであたしの話を聞いてくれて、類と別れたくないって言ったら『分かりました』って応えてくれた。…本当に別れさせたいのなら、そこでも強く反対できたはずなの」
「…ん」
「真意は分からない。…でも亜依子さんは、あたしに覚悟を問いたかっただけなのかもしれない。この先、どんなことが起きても類の手を離さないでいられるのか、自らが最初の試練となって。……上手く言えないけど、あの時の道明寺のお母さんみたいに、別れありきで話をしていたわけじゃないように思えてきて……」


ここで、田村の言葉が甦った。
『社長や奥様は闇雲に牧野様を否定しているわけではなく、時として受ける世間からの心無い仕打ちに、彼女が耐えうるのかどうかを見極めようとされているのではないでしょうか』


俺は言うべきだ。
母に。
あなたの心の声が聞きたい、と。






いつも拍手をありがとうございます。
いよいよ残り3話! 次話もお楽しみください(*^-^*)
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