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Marbling Orange ~30~

Category『Marbling Orange』
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~Rui~


『次は春にも来たいね』

それを有言実行することになったのは、3月29日。
俺が25歳になる前日のことだ。
本社でのすべての仕事を終えて休暇を申請し、つくしを鎌倉旅行に誘った。
確かなご利益のあった八幡様に、今一度、願い事をするために。


鎌倉駅から徒歩3分。麗らかな午後の若宮大路わかみやおおじには観光客が溢れかえる。沿道の両側に連なる桜が、見頃を迎えるためだ。今年は例年より気温が高く、桜前線はすでに神奈川を越えて北上している。
「すごい…! 満開だね」
「最高の花見日和になったね」
「うん!」
つくしの笑顔が弾ける。眩いほどの輝きで。
青空に映える桜色はどこまでも美しく、俺まで華やいだ気分にしてくれる。俺達は人の流れに乗り、花盛りを楽しみながら鶴岡八幡宮の本宮を目指した。

三の鳥居の向こう側には境内が広がる。源氏池のほとりの桜も見事に咲き誇っていた。まっすぐに延びた参道を更に進んでいくと、大臣山だいじんやまを背に赤い舞殿まいどのとその奥の本宮が見えてくる。大石段を上って赤い楼門をくぐり、俺達は並んで参拝をした。


参拝を済ませると、俺達は行きしなに歩いた若宮大路ではなく、小町通りの方を歩いて鎌倉駅へと戻った。小町通りにはたくさんの飲食店が連なり、テイクアウトの品々がつくしの食欲を刺激する。彼女の目はキラキラと輝いていた。
「類! あれ食べよう!」
つくしは茶房の店先で串団子を購入すると、俺にも1本差し出してきた。それを嬉しそうに頬張る姿にレンズを向ける。俺のスマートフォンのファイルの中は、彼女の笑顔で溢れている。

鎌倉駅に戻り、次は長谷はせエリアを目指す。今日は車で来ていないから、利用するのは江ノ島電鉄だ。長谷駅までは3駅。昔ながらの車両の窓から、春の陽光に煌めく海原を眺める。そうしながら俺は、遠い地に住む母へと思いを巡らせた。

あれから3ヶ月が経つ。両親はまだ離婚していない。
…もしかしたら離婚には至らないのかもしれない。



*********



母の出奔は、あの父に大きな打撃を与えたらしかった。母の代理人を通じて離婚に向けた話し合いが始まるや否や、父は年末年始の仕事の予定をすべてキャンセルし、母を追ってメルボルンへ発った。その即断力、行動力には、母も驚いたに違いない。
父は、母との離婚を拒んだ。だが、彼女も頑として自分の主張を翻さなかった。話し合いは平行線をたどり、滞在期間のリミットを迎えた父がメルボルンを発つまで決着することはなかった。


「そういう訳で、しばらく冷却期間を置くことになりました」
「……ふぅん」
母から国際電話がかかってきたのは、年が明けてしばらく経った頃。
経緯の報告におざなりに返事をすると、苦笑が返った。
「あなたにしてみれば、どうぞご勝手に、というところでしょうね」
「まぁ、そうかな。…でも意外だった。あっさり応じるかと思ってたから」
「私もです」

父が母に固執する理由は分からない。愛情故に、とは直結させにくい。それでも、仕事の鬼と呼ばれた父が、それを投げうって母の元に向かったことを思うと、何がしかの感情があることは明白だった。

「…で、どうするの?」
「崇さんは話し合いが十分でないと言いました。…確かに、私は自分の気持ちを隠してきました。それが良くなかったことも分かっています。お互いが納得できるまで、とことん話し合っていくつもりです」
「仲介が必要なら言って。協力はする」
「えぇ、ありがとう」


母に向けた怒りは、俺の中ではもう静まっていた。彼女には、このタイミングで離婚を申し出ることで、父の中にある結婚観を打ち崩す狙いがあったと見える。
田村は、母に対して非常に同情的だった。つくしは、早い段階から母の言動を許している。これ以上、俺が怒りを長引かせる理由はなかった。


「そっちの暮らしには慣れた?」
「えぇ。知り合いもでき、住みよく暮らしています。…あなたはどう?」
「つくしと一緒に暮らし始めた。でも俺の方は、春にはパリに赴任することになると思う」
「牧野さんは、連れていかないのですか?」
俺は苦笑を洩らす。
「人は、そう簡単に主義主張を曲げるものではないから。…予想はしてたけど、父には今回の赴任につくしを同行させないように言われた。同棲について何も言わないのは、それもあってのことだと思う」
「…そうですか」
気落ちしたように、母の声のトーンが下がる。


パリ支社に赴任したとしても、しばらくは欧州各地を転々とする生活になる。初めての外国暮らしは、彼女に大きな精神的負荷をかけるだろう。言語の壁、文化の違いには誰しも苦労するものだ。
そして、母の出奔の有無にかかわらず、2年間の見極めは実行される。彼女はまだ婚約者の立場ですらない。公的な場に自分のパートナーとして連れ出してやることはできない。つくしを日陰の存在に押しやることは、自分としても本意ではなかった。
…だから、まだ連れてはいけない。

「誰も知り合いのいない土地で、俺の帰りを待つだけの生活はきっと孤独なものになる。…それは、あなたも経験済みでは?」
「…そうですね。…環境は重要です」
「こっちも性根を据えてかかるつもり。約束は約束だから、それを果たした上で彼女を迎えに行く。向こうに連れていく時は、妻としての立場を確立してから」

この件についての見解は、最初からつくしとも一致している。
彼女は自分の力量を過信しないし、得手、不得手を正しく理解している。『女は現実的だからね』とつくしは笑った。


「父と離婚するにしろ、しないにしろ、あなたには後悔のない選択をしてほしい」
「…類」
「俺はつくしを選ぶ。どんなことがあっても。それが俺にとって後悔のない生き方だから」
究極の選択を迫られたら花沢の名は捨てる。それすら辞さない覚悟でいる。

「…あなた達が羨ましいです。そこまで信頼し合える相手に出会えて」
声音はしんみりとしていた。パートナーを愛したいのは、人の普遍的な欲求だ。母は、その喜びを知らずに生きてきた。かく言う自分も、そうした喜びを得たのは最近のことだが…。
どう声をかけるべきか考えあぐねていると、ある一文がふと思い浮かんだ。

「『恋愛は、チャンスではないと思う。私はそれを意志だと思う』」
「…どなたの言葉ですか?」
「短い生涯を波乱万丈に生きた文豪のね。…でも、俺はいい言葉だと思う。何を始めるにも、結局は意志が大切だから」
「えぇ。…本当にそうね」
そう言って笑った母の声は、先ほどよりも少しだけ明るかった。



*********



山腹に建つ長谷寺はせでら。その境内にある見晴台からの眺望は素晴らしいものだった。長谷の町並みと相模湾を一望し、つくしは歓喜の声を上げた。彼女と並んで春の風を受け、俺達は心のシャッターを切る。

明日、俺は誕生日を迎える。そしてパリに向けて発つ。
明日の今頃にはもう飛行機の中だ。俺達に残された時間は僅かだった。


長谷エリアの散策が終わると再び江ノ電に乗り、七里ヶ浜を目指した。駅を降りると、半年前のあの日のような、美しい夕景が俺達を待っていた。
つくしの手を取り、ゆっくりと波打ち際を歩く。
彼女の左薬指には、俺が贈ったエタニティリングが光っている。

日本を離れる前に再度鎌倉を訪れたのには、験担ぎの意味合いがあった。
半年前、片恋の成就を八幡様に願い、七里ヶ浜で想いを告げた。心願は叶い、今日まで幸せな時間を過ごすことができた。次に願うことがあるとしたら、それはひとつしかない。



その日、オーシャンビューホテルの一室で、俺達は最後の夜を迎えた。
何度も互いの温もりを求め、深く交じり合い、やがて来る別離の寂しさを紛らせようとした。でも、抱き合えば抱き合うほどに愛しさは募って、ますます離れがたくなるだけだった。

日が変わる頃になると、つくしは俺の耳元に唇を寄せて囁いた。
「類が生まれてきたこの日に感謝します。…25歳おめでとう」
優しく和む漆黒の瞳を、間近に見つめる。
彼女はそっとお祝いのキスをくれた。
考えてみたら、誕生日を彼女と一緒に祝うのは初めてだった。
「来年も一緒に祝おうね」
「再来年も、その次の年も、ずっとだよ」
「うん!」

寂しさを感じているのは彼女も同じはずだった。
だけど、つくしは笑顔を浮かべ続ける。それが彼女の強さだと思う。




翌日も、空には抜けるような青が広がっていた。眼下には湘南の海の碧が広がり、左手には江の島が一望できる。俺達はチェックアウトぎりぎりまでホテルに滞在し、鎌倉駅へと向かった。それから駅周辺を散策し、昼食まで済ませた。

自宅に戻る時間はなかった。鎌倉駅発のリムジンバスで羽田空港に直行する。約1時間半の道程はあっという間に過ぎた。


国際線ターミナルのロビーには、俺に同行する田村が待っていた。そして、出立を知らせたわけでもないのに、見送りに来ているギャラリーの面々。

「…なんで来てるの」
「んな、不機嫌そうにするなよ」と、ニヤつくのは総二郎。
「俺らは牧野の救護要員として来たんだよ」と、笑うのはあきら。
「泣いて動けなくなりそうですからね。フォローは任せてください」と、最後を締めるのは三条。

「なっ、泣かないよっ」
そう言って顔を赤くしたつくしの瞳は、もう潤み始めていた。ここまで必死に我慢してくれたんだから、最後まで泣かせないであげてほしい。

「牧野! 泣いてる暇なんかねぇぞ!」
「これから豪遊ツアーに連れてってやるからな」
「…いや。…それはしなくていい」
即座に断りを入れると、悪友達からはブーイングが返った。



搭乗時間が迫っていた。気を利かせた田村は、先に保安ゲートを抜けていく。俺達を散々揶揄っていたギャラリーも距離を空け、姿を隠してくれた。
俺は、いよいよ彼女に別れを告げる。

「じゃあ、行くよ」
「無理はしないでね。体には気を付けて」
「うん。つくしも」
「休みが取れたら、会いに行くから」
「楽しみに待ってる」
「そ、それから……それから、ね…」

涙袋で堰き止められなくなった雫が一粒、こぼれ落ちた。
彼女の我慢が限界を超えた瞬間だった。


思わずつくしを抱き寄せる。
俺の中で何かが千切れそうになる。
行きたくない、と叫び出したくなる。
それでも彼女は気丈に俺の胸を押した。


「行ってらっしゃい。類」
「…うん。行ってくる」


これ以上は、俺の方が離れられなくなりそうだった。
彼女から手を離し、保安ゲートに向かう。

姿が見えなくなる直前、後ろを振り返った。
三条に肩を抱かれたまま泣き笑いで手を振るつくしに、俺も笑顔で応えた。






待っていて。
君を迎えに行く時まで。
遠くない未来に、きっとそれを叶えてみせる。


これは俺達に課せられた最大の試練。
手を取り合い、共に乗り越えるべき壁。


大丈夫。
君と過ごしてきた幸せな記憶が、
試練を乗り越える力になるから。


今は離れてしまうけれど、
ずっと一緒にいられる日々のために、
自分にできることを精一杯やろう。


君に贈ったエタニティリングに誓うよ。
生涯変わることのない、俺の想いを。






~Fin~






『Marbling Orange』、これにて完結です。
明日、後書きをUPします。
今後の予定も書いておりますので、どうぞご覧ください。

2ヶ月に亘って、温かい応援をありがとうございました。
最後に“読了よみおわり”の拍手をいただければ嬉しいです。
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8 Comments

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2021/02/28 (Sun) 00:53 | REPLY |   

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2021/02/28 (Sun) 09:46 | REPLY |   

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2021/02/28 (Sun) 12:59 | REPLY |   

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2021/02/28 (Sun) 17:40 | REPLY |   
nainai

nainai  

ふ*様

こんばんは。
コメント一番乗り、ありがとうございます(*^^)v
最終話をお届けできてホッとしています。

後書きにも書きましたが、今作では随所でいろいろなチャレンジをしてみました。いつも文章について褒めていただき、ありがとうございます。頑張って調べ物をした甲斐があるというものです~(#^^#)
ここでご質問への回答をば。類からつくしに贈られたのは、プラチナベースのフルエタニティリングでした。イエローゴールドも可愛くていいかなと思いましたが、ここは定番をチョイスしたことにしています。

続編では、今作で残した課題をしっかり纏め上げるものにしたいです。また隙間時間を見つけて、コツコツ書きためていこうと思います。しばらくお時間をいただきますが、ブログ再開の折にはぜひご再訪くださいね。

2021/03/01 (Mon) 00:47 | REPLY |   
nainai

nainai  

ビ**様

こんばんは。
コメントありがとうございます(*^-^*)
更新を楽しみにしていただけたようで何よりです。

亜依子に共感を寄せてくださって嬉しいです。今作は類とつくしの一人称視点の物語なので、亜依子の心情は会話でしか読み取れませんが、実は彼女は口下手で、あまり器用な女性ではないという設定でした。心を病んだ過去があったり、崇との意思疎通がうまく行かなかったり、という部分は類にも通じるものがあります。

遠距離恋愛になってしまった二人。それをサポートする親友達。次回作では、彼らの友情についても素敵なシーンを盛り込んでいきたいと思います。ブログはしばらくお休みしますが、再開の折にはぜひご再訪くださいね。

2021/03/01 (Mon) 01:05 | REPLY |   
nainai

nainai  

み****様

こんばんは。コメントありがとうございます(*'▽')
ようやく完結しました! ホッと一息です~。

今作では、亜依子と崇の夫婦問題に決着をつけませんでした。『別れたくない』という崇の胸中はどのようなものか、次回作ではそこを深く掘り下げていこうと思っています。
類とつくしは短い同棲生活を経て、遠距離恋愛へと突入。離れてしまっても二人の絆はすでに盤石です。み****様の仰る通り金沢旅行は残念でしたが、鎌倉旅行で挽回してみましたw 次はどこでデートしてもらうか…悩みは尽きません。

ひとつの作品を終えると、執筆のためのエネルギーが枯渇します。今回も力を振り絞りました。『好き』の気持ちをチャージし直してから新作にトライしようと思います。ブログ再開の折には、ぜひご再訪くださいね。

2021/03/01 (Mon) 01:20 | REPLY |   
nainai

nainai  

ゆ****様

こんばんは。コメントありがとうございます(^^ゞ
ようやく最終話をお届けできました! 今は完全燃焼です…。

『Scarlet』の続編なので、さぞかし甘い展開かと思いきや、このジレジレっぷりw 最終話までついてきてもらえるかな…とドキドキしながらの更新でした。楽しんでいただけたようで何よりです。次はもう少し糖度を上げていきたいものです。

二人の別離のシーンでエンドを迎えましたが、予想以上に反響が大きく、次回作への期待も大きいようで、また頑張らなくては…と気持ちを新たにしています。執筆がいつになるかは分かりませんが、残した課題もしっかり盛り込んで、いつか三部作の完結編をお届けできればと思います。

書きたい話はいろいろあるのですが、とにかく時間が足らなくて…💦 しばらくお時間をいただきますが、ブログ再開の折にはぜひご再訪くださいね。

2021/03/01 (Mon) 01:50 | REPLY |   

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