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Category第2章 解れゆくもの
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二人で暮らし始めて3カ月が経った頃だった。
季節は梅雨。
来週の土曜は七夕で、久しぶりに休みが確保できた類と遠出する約束をしていた。


「今日は、取引先と会食があるから遅くなる」
類がそう切り出したのは、二人で朝食を食べているときだった。
もともと朝に弱い類だけど、あたしの規則正しい生活に合わせて暮らしていくうちに、ちょっとだけ早起きするのに慣れてきたみたい。相変わらずの小食ではあったけれど、朝に何かを口にするようになっただけでも大進歩だ。
「なるべく早く帰るつもりだけど、ちょっと厄介な相手だからさ」
類の口調には、その会食を回避したいという気持ちが強く表れている。言外の意味を探ろうとすると、彼はあたしの目線に気づいてふんわりと笑んだ。
「…心配いらない。ただ面倒なだけだから」
訊きたいことはいろいろあったけれど、彼がそういうならあたしは何も訊かない。

「あまり遅いようなら、先に寝てていいから」
見送りのため玄関に立ったあたしに、類はそう言ってくれたけれど、あたしはゆるゆると首を振った。
「類が帰るまで待ってるよ」
あたしの言葉に目元を和ませ、類はちょっとだけ身を屈めていつものようにキスをしてくれる。唇に触れる、柔らかな感触が愛おしい。
「いってらっしゃい」
「…ん。行ってきます」


―いつもの光景だ。
この3カ月、ずっとそうやって彼の背をここで見送った。
それなのに、なぜか今日に限って心がざわついて、あたしはそのまま彼を見送ることができなかった。

いま思えば、あたしには予感があったのだ。
言葉にできるほど明瞭でも、確信めいたものでなくても、…どこか不吉な予感が。


「……類っ」
裸足のまま土間に降り、ドアに手をかけた類の背に追い縋るようにして、あたしは彼にしがみついていた。
―行かないで…。
「つくし?」
驚いたような類の声に何か応えなければと思うのに、あたしは言葉を詰まらせる。類はあたしの腕を取って後方に向き直ると、美しい瞳を瞬かせてあたしをじっと見つめた。
「どうしたの?」
「…うぅん。なんかすごく不安になっちゃって。…あたし、変よね」
―どうして、こんなにも胸がざわつくんだろう。

「俺が言ったこと、気にしてる? …大丈夫だよ」
類はあたしを宥めるようにもう一度口づけ、優しく安堵を与えようとする。あたしは類の首に腕を回してそれに応えたけれど、彼の唇が離れた後も、ぎゅっと彼を引き寄せてなかなか離せなかった。
「…ずっとこうしていたいけど、もう行かなきゃ」
少しだけ困ったような類の声がして、あたしはハッと我に返った。きっと地下駐車場には、運転手の宮本さんが迎えに来て待っているはずだ。
「ごめんなさい」

「できるだけ早く帰るから、やっぱり待ってて」
類は笑う。あたしもぎこちなくだが微笑を浮かべた。
「気をつけて帰ってきてね」
類は今度こそあたしの手から離れ、するりと玄関を出ていった。あたしはその後を追い、玄関のドアから半身を出し、エレベーターホールの方へ曲がってしまうまで彼の背を見送る。
角を曲がる直前、あたしの目線に気づいた類は振り返って、手を軽く上げてくれた。
その光景がなぜか、強く心に残った。




「同棲生活も3ヶ月ですね。その後どうですか?」
いつものように教室で弁当を広げながら、三人で期限の迫った課題について話していると、唐突に羽純ちゃんがあたしに質問を投げてきた。
「……へ?」
あたしは急な話の切り替わりに、何か聞き間違いをしたのかと思って顔を上げ、机の上にポロリと箸を転がしてしまう。
「つくしちゃんたら。…はい、箸」
菜々美さんが笑いながら箸を拾い、手渡してくれる。
「素敵なリングよね。それ」
「…あ、これですか?」
二人はあたしの右手の薬指に光る細いリングを見つめて、にっこりと微笑む。
類からはすでに素敵なエンゲージリングをもらっていたものの、学校にしてくるわけにもいかず、普段はシンプルなプラチナリングを嵌めていた。
実はペアリングで、類はそれに細いチェーンを通し、シャツの下に隠して身につけてくれている。

「3の付く時期は、何かと波乱があるっていうじゃないですか。…喧嘩とかします?」
「う~~~ん。ないよ」
あたしは3月下旬からの新生活を振り返ってみる。
そもそもあたしは類と喧嘩したことがないし、類は類で自分のペースを守る人だ。あたしに同調できることはする。できないことは無理をしないし、そのスタンスを崩さない。
それに何より今は一緒にいられることが嬉しいから、まだお互いの嫌なところに目が行っていないのかも…。

「卒業と同時に結婚! …とかあり得そう」
菜々美さんがさらりと言った言葉に、あたしは度肝を抜かれて顔を赤くする。類の方に公表を控えてもらっていることもあり、あたしは二人にもまだ婚約のことは内緒にしていた。だけど…。
「「あ…」」
二人が見事にハモり、底意地の悪いニヤニヤ笑いに転じる。
「やっぱりねぇ」
「そうでしょうねぇ」
「あの…えっと…」
何と言ってこの場を切り抜けようかと考えていると、少し離れたところからクラスメートが近付いてくるのが見えたので、あたし達は話を中断した。


「生田さん。課題のことで橋本先生が呼んでるわ」
「あぁ、ありがとう。館山たてやまさん」
菜々美さんが応える。
館山さんは、あたしと菜々美さんと同じ履修コースだ。
用件は済んだはずなのに、彼女はなぜかあたしに向けてじっと視線を注いでいた。無言のまま見下ろされる感じに気まずさを覚え、ふと目線を上げてその真意を問う。
「…あたしにも、何か用?」
「いえ。…何でもないの」

館山さんはくるりと踵を返すとそのまま教室を出て行ってしまい、あたし達の間に妙な緊張を残した。2年以上も履修コースが同じだった割に、あたしは彼女とはあまり仲が良くなかった。
「ライバル視されてるんですよ、つくしさん」
トーンを落とした羽純ちゃんの声に、あたしは驚かされる。
「…ライバル?」
「気づいてませんでした? 以前からつくしさんに対抗心燃やしてますよ。…噂じゃ彼女、『fairy』への就職を希望してるらしいです」
―あぁ、そうなんだ。
あたしは羽純ちゃんの情報網に感謝しつつ、仄暗い気持ちで彼女の出て行った方向をもう一度見つめた。


「…就職先、ちゃんと決まるかなぁ」
はぁ、とため息をつきながら、菜々美さんが言う。
「わたし、二人より歳くってるしさ…」
「菜々美さん、年齢よりも実績とやる気ですよ! …というわけで、わたしはもう行きます」
羽純ちゃんは履修コースが別なので、午後の講義は別室だ。彼女は手早く荷物をまとめると、手を振って颯爽と出て行ってしまった。
「菜々美さん、橋本先生のところ、行かなくていいんですか?」
「あ、そうだった。忘れないうちに行ってくるね」
菜々美さんは立ち上がると、足早に教員室と向かう。一人残されたあたしは、机の上を片付けて綺麗に拭き、やりかけの課題をそこに乗せた。
9月になれば本格的に就職活動が始まる。それまでに自分の進路を見極めなければならない。



遅くなるという宣言通り、夜が更けても類からの連絡はなかった。ごく絞ったボリュームで音楽を聴きながら、あたしは家に持ち帰った課題を黙々と進める。
今朝、類に対して強く感じた不安感は、消え去ったわけではない。むしろ、こうして一人、彼の帰りを待つ間にもそれは高まっていくようで、あたしは乱れがちな集中力を課題に向けることで自分自身を厳しく律した。
鳴らない携帯電話を何度も見やり、それでもこちらから連絡することははばかられてため息をつき、もう日をまたごうかという頃合いになった。

ふと、携帯電話が着信を告げて振動を始める。
「…え?」
急いで手を伸ばしたその先、発信元が彼ではなく、彼の母、真悠子さんであることに気づいて、あたしはひどく動揺した。
顔合わせ以降、真悠子さんとはときどき私的な交流があった。だけど、こんな夜更けに彼女から連絡をもらうことなんて一度もなかった。

―類に、何かあったんだ。

瞬時に体を突き抜けた恐ろしい予感に震えながら、通話ボタンを押す。
「もしもし」
「つくしさん! あぁ…」
彼女の声はいつになく悲痛な響きを孕み、あたしの不安を掻き立てる。
「…落ち着いて、聞いてくださいね」
「はい…」
真悠子さんは強張った声であたしに告げた。
「類の乗った車が事故に遭ったの。さっき救出されて、病院に搬送されたと連絡が…」


―あたしの世界が、ときを止めた瞬間だった。





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2 Comments

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2018/06/29 (Fri) 11:04 | REPLY |   
nainai

nainai  

わ様

ご訪問&コメントありがとうございます。

波乱の第2章に入りました…。
初っ端から気分を落ち込ませてしまいそうな展開で申し訳ないです(^^;)
わ様の展開予想が当たっているかどうか…。
この後、徐々に明かされていきますので、どうぞ見守っていてくださいね。
私にとっても、ある意味『挑戦』の章です。

私の住んでいる地域もうだるような暑さです。
お互いに夏バテには気をつけたいですね。ご自愛くださいませ。

2018/06/29 (Fri) 19:00 | REPLY |   

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