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Category第2章 解れゆくもの
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今回は、事故による類の怪我に関する細かい描写をします。次のお話の冒頭にまとめるのも難しいので、苦手な方はさらっと読み飛ばしていただければ、と思います。




集中治療室への入室は許されなかったが、隔壁の透明ガラスを通じて、ベッドに横たわる類の様子を窺うことができた。
「類…っ」
掠れた声で彼を呼ぶ。ガラスに縋りつくようにして、あたしは彼を見つめた。吐息でガラスが曇る。磐田さんも同じように隔壁に近づき、小さく彼の名を呼んだ。
まず、彼の頭部に巻かれた真っ白な包帯が目についた。
彼の口元を覆う呼吸器と、吊るされた点滴と、彼のバイタルを示すモニターと…。

―生きてる…!

あたしは、口元を押さえ嗚咽を堪える。
彼の傍に近寄ることができないことをもどかしく思う。
彼に触れたかった。
その手に触れて、その熱を確かめて、彼が今、生きているのだと実感したかった。
「花沢さんの容態はとりあえず安定しました。こちらでケガの詳細について説明いたします」
医師に促されて、別室に移動する。移動してしまえば類の姿が見えなくなる。
後ろ髪引かれる思いでその場を離れ、磐田さんと並んで椅子に座った。



医師の説明が始まった。
「まず救急隊員から聴取した事故後の状況から説明します」
医師は記録を確認しながら、簡潔に事実だけを並べていく。

恐ろしい事故が起きたのは午後10時40分頃。
すぐ救急車の要請があったが、問題は車体が変形し、彼らを容易には救出できない状況があったことだった。車体を切る金属カッターで救出路が作られ、宮本さんが救出されたのが午後11時15分。
続けて類が救出されたのが午後11時半。すでに事故から1時間近くが経過し、その間彼の意識が戻ることもなく、裂傷からの出血は続いた…。

「左側頭部の裂傷は縫合しました。頭蓋骨の陥没骨折は見られなかったのですが、広範囲に細かくヒビが入っているのが分かります。頭を強く打ち付けたことによる、脳自体のダメージはまだ予測ができません。…事故の状況からして、脳挫傷のうざしょうを起こしている可能性もあります」
医師は頭部のCT画像をあたし達に見せ、指先でケガの部位を示してくれる。
「今後、脳内で新たな出血が起きる可能性があります。気づかないうちに血腫けっしゅができることもありますから」
肋骨の骨折は3カ所だった。運よく複雑な折れ方をしなかったため、折れた骨が肺に刺さることもなく、骨折に関しては2カ月もすれば治る見込みだと説明された。


説明を終えた医師に、磐田さんがいくつか質問をし、医師も丁寧にこれに応えた。
磐田さんから目線を振られ、あたしも気力を振り絞って質問をした。
「彼の意識は戻りますか…? 以前のような生活ができるでしょうか?」
予想を裏切ってほしいという願いは、あっさりと手折たおられる。
「おそらく意識は戻ると思われますが…何らかの後遺症が出ることは避けられないでしょう。可能性だけの話で言えば、脳自体の損傷が激しい場合、このままその機能を喪失する状態へ移行するかもしれません。」
脳の機能喪失。…その意味するところは、植物状態か、あるいは、脳死か。
医師の言葉は、ズクンとあたしの心臓を突き刺した。

―類…っ!

「現時点では分からないことの方が多いのです。…いまは彼の回復を待ちましょう」
医師はそれ以上の言及を避けた。
あたしにはショックが大きすぎると思ったのだろう。
実際、あたしは震えていた。抑えようと思っても震えは一向に収まらなかった。


医師との面談が終わったときのことはあまりよく覚えていない。
磐田さんに促されてあたしは立ち上がり、医師に向かって頭を下げた…と思う。
類の姿が見える場所まで戻ると、ちょうど看護師が点滴を交換しているところだった。モニターに異常は示されていない。

…彼は眠っているだけだ。
事故のショックからまだ回復しきれていないだけだ。
明日になればきっとあの美しい瞳を開き、自分の身に起きたことにまず驚き、冷静に話をしてくれるはずだ。
それから、『大丈夫だよ』といつものように、あたしに微笑んでくれるはず……!

こみ上げる嗚咽を洩らすまいと口元を覆ったあたしに、磐田さんが優しく何事かを話してくれている。でも、あたしにはそれが聞こえない。
あたしには、目の前の類の姿しか見えない。
やがて磐田さんに肩を抱かれ、何度も促されてその場を離れると、重い足取りで待合室に戻った。


「…つくしちゃん!」
明瞭でない意識のどこかで、夢乃さんの声を感じ取る。
―深夜なのに来てくださったんだ。
そう思うのに声が出ない。口を開けば、こぼれるのは言葉にならない吐息ばかりで。
夢乃さんはあたしに駆け寄り、優しく抱きしめてくれる。
その柔らかさと温かさに、あたしの涙腺はすぐに崩壊した。
「大丈夫よ。類君はあなたを一人にはしない。…きっと乗り越えるわ」
あたしは何度も頷き、自分より背の低い夢乃さんの肩口に顔を押し付け、声を殺して泣いた。


「あの…。これ、事故の際に花沢さんが身に着けていた物です」
処置室から出てきた看護師の一人が、類の私物だと言って持ってきたものは3つ。
腕時計、画面の割れた携帯電話、…そして切れたチェーンとペアリング。
「……牧野、しっかりしろ」
ぐにゃりと揺らぐ視界の中で、美作さんのまっすぐな言葉が凛と響いて、あたしを力強く励ます。
「類の大事なもんだろ。…お前が持っててやれ」
美作さんはあたしの手首を掴んで、彼のリングをそっと掌に乗せてくれる。
あたしはそれをぎゅっと握りしめ、胸に引き寄せてただただ彼の回復を祈った。


結局、その夜は一睡もできずに、待合の廊下で夜を明かした。
類が目覚めたという報はもたらされなかった。
夜中のうちに宮本さんのオペが終わり、康江さんは宮本さんに付き添うためにこの場を離れた。
明け方になって、美作さんと西門さんは、急変があれば連絡するようにと言い置いて自宅へと戻っていった。
…彼らにはその双肩に負っている責務があるから。
だけど、あたしは、行かないでほしいと思ってしまった。
二人が傍にいてくれるだけで、類の力になってくれるような気がして…。


朝になると、携帯電話が幾度となく着信を告げて震えた。
悲惨な大事故の詳細が報じられ、負傷者として類の名が挙げられたようだった。
結局、事故による死傷者は6名。死者はダンプカーを運転していた男性、負傷者はダンプカーに追突された3台に乗っていた5名。
負傷者のうち、軽傷者が3名、重傷者が2名。
意識不明の重体、という一番危険な状態にあるのが彼だった。

ママからの電話で、あたしは世間の動きを知った。
「気をしっかり持つのよ、つくし! 類さんも頑張っているんだからね!」
ママはあたしを叱咤する。あたしは泣き声混じりに頷く。
「私たちもこれからそっちに向かうわ」

親友達からの電話には、心が折れてしまって、応答に出ることすらできなかった。
結局、彼の容態は何も好転していない。希望的観測は口にするだけ虚しかった。彼の今を告げるだけでも身を捩るような苦しみがあって、あたしはとても正気を保ってはいられないから。
彼女たちもそれを察してか、2回目の電話をかけてくることはなかった。



正午を過ぎてパパとママが病院に到着し、未明からずっと付き添ってくれていた夢乃さんと挨拶を交わした。両親が彼女と会うのは、こちらからご挨拶に伺った時以来で、今日で二度目だった。
双方のやり取りをどこか他人事ひとごとのように聞きながら、肩を落として座る執事の磐田さんをそっと見やる。
磐田さんは、類が生まれる以前より花沢家に仕えている古くからの使用人だ。
その言葉の端々から、彼がどれほど類を大事に思ってきたのかが分かる。
磐田さんからは、類のご両親があと1時間もすればここに到着することを聞いていた。大切な一人息子が生死を彷徨うほどの重傷を負ったことを、ご両親は、遠い異国の地でどのような思いで聞いただろう…。


ふと、足早にあたし達に近づいてくる影がある。病院のスタッフだ。
表情の険しい看護師のその様子から、あたしは不穏さを感じ取って青褪めた。
「花沢さんのご家族は到着なさいましたか?」
「まだです。ご両親はあと1時間ほどで到着いたします」
磐田さんが答える。看護師は告げた。
「…花沢さんの容態が、悪化しています。医師から説明がありますので、こちらに」
その場に痛いほどの緊張が走った。
磐田さんはあたしを振り返る。あたしは小さく頷く。
ふいに、夢乃さんが口を開いた。
「私も同席させていただいていいかしら。…もしものときは、うちの病院に受け入れます」
よろしくお願いいたします、と磐田さんが頭を下げた。


類の脳内に浮腫ふしゅが見られて脳圧が上がり、微細な出血も広範に見られるという説明がなされたとき、その病態が意味することをあたしはまったく理解できなかった。ただ分かるのは、説明する医師の表情が硬く、それが決していい結末に繋がらないということだけだ。
ここで、同席していた夢乃さんは決断をした。
美作家が経営する総合病院に所属する脳外科医にその場で電話をかけ、この担当医と直接話をさせた。目の前の医師は先方の申し出に驚きを隠さなかったが、すぐに搬送の手続きを行うことを約束し、通話を終えた。
それからまもなく、類は美作総合病院へと緊急搬送された。




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