FC2ブログ

2-4

Category第2章 解れゆくもの
 0
類のご両親との三度目の対面が、こんな形で実現するとは思ってもみなかった。
夢乃さんから連絡を受けて、花沢夫妻は空港から直接、美作総合病院に向かい、あたし達よりも先に到着していた。処置室の外の廊下に立つ暁さんの表情は険しく、項垂れてベンチに座り込んだ真悠子さんは面窶おもやつれして見えた。
夫妻に近づく一団の中にあたしの姿を認めた真悠子さんは、一番にあたしの元へ来て両手を握ってくれた。
あたしはすでに目を腫らしていたし、真悠子さんも真っ赤に潤んだ瞳であたしを見つめ返した。暁さんは夢乃さんと話をした後、あたしの両親と挨拶を交わしていた。


類の処置には恐ろしく時間がかかった。でも、あたしにはそう感じられただけで、実際はそんなに時間は経っていなかったのかもしれない。
類の診察をした脳外科医から説明があると看護師が呼びに来たとき、類のご両親はあたしにも同席するようにと仰ってくださった。あたしがその内容を理解できる、できないに関わらず、こうして彼の非常時に立ち会わせてくれることをあたしは深く感謝した。
「…泣かないのよ、つくし。本当につらいのは、類さんのご両親なんだからね」
ママがあたしの背を撫でて励まし、あたしはそれに頷いて類のご両親の後に続く。
医師の話は長く、その内容も難しかったが、適切な処置により脳の浮腫が悪化することは避けられそうだという。
それでも、決して展望は明るくない。



集中治療室内のベッドで、類はたくさんのチューブに繋がれ、痛々しく顔を腫らして静かに横たわっていた。規則正しく酸素マスクが曇るのと、正常なバイタル値を示すモニターで、彼の状態が安定していることが分かる。入室の際は、防護服とマスクと手袋を着用するように言われ、あたし達は指示通りにした。
ご両親は先に類との対面を果たした後、あたしのためにと静かに席を外してくれた。その配慮に感謝を述べ、一人、類の傍に立ち、掛け布団の上に置かれた彼の手をそっと握る。
手袋越しにでも類に触れることができたのは、昨日の朝、彼を玄関で見送ってから実に34時間後のことだった。
彼の手はひんやりと冷たく、何の反応も示さず、ただそこに在った。
「…類」
呟けば、また涙がこぼれた。


―類、お願い。

―もう一度、目を開けて。
―もう一度、あたしの名を呼んで。


―あたしを、一人にしないで…。


「…類の指輪は、あたしが持ってるよ」
あたしの熱が、生命力が、繋いだ手から伝わってくれればいいと思いながら、彼の左手を両手で包みこむ。
「ずっと祈ってる。類が良くなるように。…ずっと傍にいるよ」
それが、将来を誓い合ったあたしと類の、長く苦しい試練の始まりだった。



看護師さんに声を掛けられるまで、あたしは類のベッドサイドから離れられなかった。彼の元を離れがたく思いつつもその病室を出たとき、暁さんがあたしに優しく話しかけた。
「つくしさん、少し休んだ方がいい。別室を待機室として借りている。そこで横になりなさい」
暁さんの声は類とよく似ていて、あたしに深い安堵を与える。
「…いえ、わたしは大丈夫です」
ご両親の前では泣くまいと思っていたのに、ともすれば涙がこぼれそうになり、奥歯を強く噛む。昨日から一睡もしていなかったし、食事もほとんど喉を通らなかったけれど、不思議と疲れは感じなかった。

「類さんが目覚めたとき、傍にいてあげたいんです」
「…今は神経が高ぶっているから平気なように思うかもしれないが、ひどい顔色をしている。それでは早晩、あなたの方も倒れてしまうだろう」
暁さんがあたしを諭すように言う。
「…きっと類も、それを望まないと思う」


あたしはその言葉に胸を突かれた。急激に体から力が抜けていくような気がした。
背にふんわりと真悠子さんの手が触れる。
「食事を用意してあるの。一緒に食べましょう?」
「…つくし、花沢さんの仰るようにしなさい」
ほとんど発言しなかったパパが、あたしをまっすぐに見て言う。
パパの表情も今までになく悲しげに見えた。
「類君のことを思う気持ちはみんな同じだよ。みんなで支え合って、彼の回復を待とう」
「…パパ」
―そうだね。みんな、類のことが大好きだから。


気づけば、時刻は午後6時を回っていた。日の長いこの時期柄、外はまだ明るく、夜の訪れを感じさせない。
パパとママはもう少しここに滞在してから、一度千葉に帰るという。
いつの間にか、夢乃さんと磐田さんの姿は見えなくなっていた。
暁さんは搬送先の病院に入院したままの宮本さんを見舞ってから、類の受け持っていた仕事の采配と今後のマスコミ対策のため、花沢物産本社に戻るという。
あたしは真悠子さんに促されて別室に移動した。そこには花沢家の使用人である小野寺さんがすでに待機していて、食事の用意を整えてくれていた。
温かいスープを少量口にすると、体に染み渡るように美味しく思えて、途端に空腹と眠気を強く感じ始めた。類が大変なこんな時でもお腹はすくし、眠くもなるのだと思うと、無性に自分が薄情な人間に思えてつらかった。


食事を終えるより前に疲労感がひどくなり、瞼を開けていられなくなった。
体が鉛のように重い。
強い眠気を堪えきれずに箸を置くと、真悠子さんが静かに言った。
「…つくしさん、眠った方がいいわ」
真悠子さんは小野寺さんに目配せをし、着替えとアメニティグッズを手渡してくれる。いつ起き出してもいいように、普段着を用意してくれたのは真悠子さんの配慮だろうか…。
あたしは洗面所で準備を整えてからベッドに横たわった。

「…お願いします。類さんに何かあったら…絶対に…起こしてください」
本当は眠るのが怖い。
眠っているうちに彼に何かあったらと思うと。
心ではそう思っても、もう体が言うことを聞かなかった。そこがあたしの体力の限界だった。
真悠子さんはあたしを安心させるように手を握り、掛布をしてくれた。彼女が、大丈夫よ、と答えてくれるよりも前に、あたしの意識は墜落するように暗い闇へと落ちていった。



**********



病棟が静まり返る午後10時、集中治療室前のベンチに座り込む真悠子を見つけ、夢乃はそっと近づいた。
「真悠ちゃん」
「…夢乃さん、戻ってきてくれたの」
二人は高校時代からの付き合いだった。真悠子が花沢家に嫁ぐにあたり、夢乃の両親が彼女の後見に立ったことでも浅からぬ縁がある。
「…大変なことになったわね」
「えぇ…本当に」
絞り出すような真悠子の声が、夢乃の胸を抉る。

「ありがとう、夢乃さん。…あなたの判断のおかげで、類は一命を取り留めたと思うわ」
夢乃は静かに首を振る。
「…どの道、あの病院では警護もマスコミ対策もできなかったわ。ここならセキュリティを強化しているから、つくしちゃんのためにも良かったと思うの」
「…類は素敵な人を選んだわね。彼女、本当に類を大切に思ってくれているの…」
「えぇ。…彼女は?」
真悠子は別室の方角をそっと見やる。夢乃もその目線の先を追う。

「神経をすり減らして今にも倒れそうだったから、みんなで諭して休ませたの。…最後は気を失うみたいにして眠ったわ」
「昨日から一睡もしてなかったから…」
「今回の件、長丁場を覚悟しているの。私はこのまま日本に残るわ」
「…暁さんは?」
真悠子は一瞬、痛みに触れられたかのような表情をした。返事は聞かなくとも分かった。
「…宿命よね」
夢乃は小さくため息をついた。
「不思議ね。家族のために頑張っているはずなのに、結局は家族でない人達のために、より心血を注いでしまうのよ。きっと…康介さんも同じ状況ならそうすると思うわ」
美作康介。夢乃の夫であり、美作商事の社長である。
ここ十数年は、日本に帰国するのは年に数度。アジア圏を飛び回りながら仕事をしている。

「…会社の方に、ダンプカーの運転手のご家族と、勤務先の社長とが謝罪に訪れたらしいの。今日じゃなくても、私はとても会う気にはなれなくて…暁さんに任せたわ」
真悠子は静かに息を吐く。その吐息が震えている。
「…亡くなった運転手の死因はくも膜下出血だったそうね」
「えぇ」
検死の結果、運転手の脳の血管には大きな瘤が見つかった。彼の家族は彼が脳に大きな爆弾を抱えていたことは知らなかったという。
「誰に、どんなに謝られたって、時が戻るわけではないもの…」
真悠子の声は暗い。夢乃はそっと彼女の手を握る。
「信じましょう。類君を。…類君の生きたいと思う気持ちを」
重ねられた夢乃の手の上に、真悠子がもう一方の手も重ねる。
「…そうね。…私がしっかりしなくてはね」


―そうして、真悠子にとっての最初の長い夜が始まる。




ブログ村のランキングに参加しています ポチッとお願いします☆


拍手ありがとうございます! 暗い展開で申し訳ないです(^^;)
関連記事
スポンサーサイト



0 Comments

Post a comment