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Category第2章 解れゆくもの
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事故が起きたのは6月26日、火曜日の夜のことだった。
美作総合病院に転院してから類の容態は安定していたため、3日目には集中治療室から出ることができた。懸念されていた脳浮腫の悪化や出血は起きていないようだった。顔の腫れや内出血も徐々に治まり、彼が快方に向かっているのは素人目にも明らかだった。
だけど最初の1週間が過ぎ、…10日が過ぎても、類はまだ目覚めない。

あたしは一度纏まった荷物を取りに戻った以外はマンションに帰らず、類の病室と待機室とを行き来しながら、真悠子さんと一緒に、あるいは交代で付き添いを続けた。
毎日夜になると、会社帰りの暁さんが病室に顔を見せた。
暁さんは中座してきた交渉の場に戻るために、じきイタリアに発つという。その話を切り出したときの暁さんの表情は本当に辛そうで、それが彼にとっても苦渋の選択だということが痛いほどに伝わってきた。

企業のトップに立つ者の宿命なのよ、と二人きりになったとき、真悠子さんがあたしにそっと告げた。それはいつかは類が負うべきもので、いつかはあたしが覚悟しなければならない宿命でもあった。
もし、あたしが真悠子さんと同じ立場であったら、彼女のように強く在ることができるだろうか。
あたしは自問する。
―答えは、…否だ。
きっと、あたしは、そんなに強くない。



類の元へは多くの見舞客が訪れた。

パパとママは1日おきに姿を見せてくれた。進は週末に来てくれた。
最初、類の姿を見た進はひどいショックを受け、しばらく口がきけない様子だった。涙は見せなかったけれど、見開いた瞳いっぱいに悲しみを浮かべて、じっと彼を見つめていた。

西門さんと美作さんは、不定期に、時間の許す限りで病室に顔を出してくれた。
あるとき、美作さんは、あたしにネックレス用の新しいチェーンをくれた。事故の際に、切れてしまった類のチェーンのことを覚えていてくれたらしい。あたしは彼の気遣いに感謝して細い鎖に類の指輪を通し、入浴時以外は肌身離さずそれを着けた。

八千代先生が見舞いに訪れ、あたしを気遣ってくださったときは堪えきれなくて涙がこぼれた。先生は、類の動かない左手にそっと触れ、労わるように撫で、静かに泣いておられた。幼少時から彼を知っている先生にとっては、類は実の孫である美作さん達と同等の存在だと仰ってくださった。


先に社会人となった看護師の優紀、今春からドイツに留学していた桜子、昨年末に渡米していた滋さんが揃って見舞いに訪れた日、あたしは朝からめまいと頭痛を感じてベッドに伏し、点滴を受けていた。
診察した医師は心労による症状だと言い、あたし自身もそうだろうと思った。真悠子さんと交代で休んではいたけれど、寝が浅かったり、食事が喉を通らなかったりして、あたしは急激に体重を落としていた。
彼女達は類を先に見舞った後、待機室にいたあたしも見舞ってくれ、代わる代わる抱きしめてくれた。滋さんがあまりに泣くので、見かねた桜子がそれを窘め、最後には怒り出す一幕もあった。
多忙な中、時間を割いてくれた優紀と、見舞いのためだけに帰国してくれた二人に重ねて感謝を述べ、あたしは彼女達を見送った。



道明寺が、元使用人頭のタマさんを伴って見舞いに訪れたのは、桜子達が帰ったすぐ後のことだった。あたしは点滴が終わり、ようやくベッドから抜け出したタイミングだった。
彼との最後の別れはテレビ電話だったので、道明寺と直接顔を合わせて話をするのは、実に数年ぶりのことだった。あれほど苦しかった彼への想いも何もかもが昇華され、いまは懐かしさしか感じない自分に気付く。
道明寺は真悠子さんに挨拶をした後、彼女から事故の詳細と類の現状を聞いた。静かに眠る類を沈痛な面持ちで凝視し、最後にベッドサイドにへたり込んだままのあたしを労った。

「お前、ちゃんと食ってるか? なんだよ、その顔色は」
道明寺は口調こそ乱暴だったけれど、言葉には彼なりの優しさが溢れていて、あたしの涙腺を刺激する。もう一生分の涙を流したと思えるくらい、あたしはしばしば涙をこぼした。
「類が頑張ってるんだから、あたしも頑張らなきゃって思うんだけどね…。強くはいられなくて…」
「…類は大丈夫だ。お前を置いてどこかに行くような奴じゃない。…あいつを信じろ」
「うん…。そうだね。ありがとう」
タマさんは多くを語らず、ただあたしの手を力強く握ってくれた。
「つくし…気をしっかり持つんだよ」
「はい、先輩…」
彼らは1時間ほど病室に滞在した。道明寺はこの直後、アメリカに発つという。
ここを去る彼の背を見送るとき、その姿が暁さんと重なって見え、あたしはそっと目線を外した。



学校はすでに2週間近く休んでいた。菜々美さんからは、休んでいる間の講義の内容や課題のことをメールで知らせてもらっていた。
7月8日、日曜の夕方になって、真悠子さんに尋ねられた。
「つくしさん。…学校はどうするの?」
あたしは即答した。
「類さんが目覚めるまで、このまま休むつもりです。もうすぐ夏季休暇ですし…」
真悠子さんは少しだけ目を伏せ、逡巡する様子を見せた後、意を決したように顔を上げてあたしに告げた。
「…つらいだろうけれど、つくしさんは日常の生活に戻った方がいいと思うの」
「えっ」
驚きのあまり、あたしは持っていたタオルを落としかけて、それを掴み直して真悠子さんを見上げた。
「あの…」
「…類は、懸命にあなたの夢を応援していたわね。あなたがあなたらしくいられる道を…」

真悠子さんの口調はあたしを責めるものではなかった。
「類がいつ目覚めるのか、正直、誰にも分からないわ。この状態が3ヶ月続けば…」
彼は自発呼吸ができ、脳波も確認できる。しかし意識だけが目覚めない状態が長期に続くのなら、遅延性意識障害、…いわゆる植物状態として認識される。
その状態だとて、回復の見込みがないわけではない。だけど、それまでにどれほどの時間を要するのかは、ケースバイケースだ。

「…真悠子さん…わたしは…」
あたしは苦しいのか、悲しいのか分からなくなって、心をひどく乱す。
「類に何かあれば、すぐにこちらに来てもらえるように配慮するわ。…だから、あなたは自分の生活に戻って。あなたが全うすべきことに専念して? これは夫の暁も同じ意思です」
数日前イタリアに発った暁さんとの、最後の会話をあたしは思い出す。
「…類が目覚めて、あなたが自分のために費やした時間を知ったとき、…あの子ならそれを喜ぶより、残念がるような気がするの。あなたを、…あなたの夢を尊重しているから」

―そうだろうか、本当に。
―類は、あたしに傍にいてほしいと思わないだろうか。
―夢を追いかけるあたしを、望んでくれるだろうか。

真悠子さんは、向かい合ったあたしの両肩にそっと手を置き、にっこりと微笑む。その微笑は、類があたしに向けてくれた笑顔に似て、あたしの心を力強く励ます。

―類。ごめんね。

あたしはぎゅっと目を閉じ、深呼吸を一つした後で真悠子さんを見た。
彼女の笑顔に応えて、あたしは大きく頷いた。




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