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Category第2章 解れゆくもの
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7月9日、何事もなかったように学校に姿を見せたあたしに、菜々美さんと羽純ちゃんは最初どう接していいか分からなかったという。学校には長期欠席の事由を、身内の入院のためと届け出ていた。
昼休みになり、3人で昼食をとりながら、あたしは今日までのことを簡単に話した。花沢物産の社運に関わることでもあり、彼の病状については口外しない約束になっている。
「それで、…花沢さんは大丈夫なんですか?」
羽純ちゃんはあたしの説明では要領を得なかったのか、改めてその質問を投げかけてくる。あたしは頷く他なかった。

菜々美さんが言いにくそうに話を切り出す。
「本当にひどい事故だったみたいね。…知ってる? 事故の画像がネットにあげられてるみたいなの」
「…え?」
「さすがにケガした人の画像はないけど、車がぐちゃぐちゃになってる画像とか、警察や救急車が到着したときの画像とか。…それに、亡くなった運転手の家族や勤務先とかが掲示板サイトに載って、攻撃対象になってるみたい。…花沢さん、ちまたでも人気があったしね?」

あたしは菜々美さんに感謝し、このことをすぐに真悠子さんに報告した。彼女はその内容に驚き、本社のサイバー部に頼んで実態を調べさせると請け負ってくれた。
亡くなった運転手の家族や勤務先の社長が、暁さんの元に謝罪に訪れたことは、暁さん本人から伝え聞いていた。
家族は、運転手には高血圧の持病以外は何もないと思っていたという。勤務先の勤務実態は法外なものではなく、労働基準内で比較的正しく管理されていたそうだ。
つまり、運転手が突然死することは誰にも予測できず、その責を負うべきは本人だけだったということだ。

―正直、相手側に思うところがないわけではない。
だけど、それは事故の加害者側と被害者側との間で持ち得ればいい感情であって、そのいずれでもない他者が介入していい問題ではないと思う。
まして、報復としての関係者への攻撃など…。過ぎた私憤はまかり通らないはずだ。



あたしの中にある様々な事情や感情とは無関係に、いつものように講義は進められていく。その間にも類に何かあれば、と焦る気持ちは募り募っていく。
携帯電話がいつ着信を告げるかと不安で、数分おきにそれを確認してしまう。
講義の内容を頭に叩き込む作業には骨が折れた。
だけど、あたしはここで考えを改める。
つらくても、苦しくても、あたしは前を向くべきだ、と。

あたしが日常を取り戻すことを、類のご両親は望んでくれた。
眠ったままの類本人の気持ちは誰にも分からない。
でも、真悠子さんが仰ったように、目覚めたときに類がどう思うのかは、自分の立場と彼を置き替えてみればすんなりと理解できた。
もしも事故に遭ったのが自分だったとして、あたしは類に自分の負った仕事を投げ出してまで、四六時中、意識のない自分の傍にいてほしいと望んだだろうか。
―答えは、否だ。
あたしの立場と彼の立場が同等ではなくても、相手に望むものはきっと同じであるはずだと思う。



これまで土日に入れていたアルバイトは、同じく身内の入院という理由で辞めさせてもらった。急なシフト変更を頼まざるを得なかったバイト先の同僚には、本当に申し訳なかった。
気持ちばかりの菓子折りを用意し、あたしはバイト先に休んだことの謝罪とこれまでの感謝を伝えに行った。
フロアリーダーも同僚も、あたしの痩せようにひどく驚いたようだった。そして、あたしが辞めることを残念がってくれたことが、とても心苦しかった。



類の付き添いをしながら、真悠子さんとあたしは本当にたくさんの話をした。
真悠子さんは、事ある毎にあたしと類のエピソードを聞きたがった。
自分は、そんなに多くの思い出を類と共有していないから、と寂しいことを言う。
高校生の頃の話、大学生の頃の話、一緒に暮らし始めてからの話…。
類が何を好み、どんなことを喜ぶのか。逆に何を嫌い、どんなことに怒るのか。
ほんの些細なことでも、真悠子さんは詳しく知りたがった。

逆にあたしは、類が幼かった頃、言葉を失ってしまった時期のことを彼女から聞くことができた。今の花沢夫妻を見ていると、その原因が家庭にあるとは思えない気がした。
だけど、真悠子さんはこう言った。「類の失語症の原因は私にあったと思うの」と。
当時の真悠子さんは29歳、類は4歳だった。
「類の出産後は、会社に戻って暁さんのサポートをしていたの。その頃の彼は副社長という立場で、他派閥との後継争いを勝ち抜くためには、より大きな実績が必要だった。妻である私は一般家庭の出で後ろ盾もないし、周囲の目も冷たかったから、つい仕事で実績を上げることに躍起になってしまって…」

さらに真悠子さんは、暁さんが課したという類への英才教育を、必要以上に厳しく管理してしまったという。
「暁さんのように、類を完璧に育てあげなければ、と思った。…今思えば、その頃の自分は類に対して冷徹だった。あの子が、できない、やめたい、と泣く度に、慰めるのではなく叱責するばかりで、逃げ場を与えてやらなかった。…それで、あるとき、類は限界を超えてしまったの」
繰り返される嘔吐。喜怒哀楽などの感情の欠落。
心療内科医に、環境を変えた療養が必要だと言われたときの衝撃は忘れ難いという。
「母親として失格だと思ったわ…。自分の理想を、願望を、類に押し付けるばかりで…」

―それで類は、葉山の別荘に療養に行っていたんだ。
あたしは、昨春、彼と一緒に行った逗子の海岸での会話を思い出す。
でも、その頃を振り返る類は心穏やかで、決してご両親を憎んでいるような悪感情を覗かせなかった。あたしがそのことを話してやると、真悠子さんは涙をこらえるようにして俯いた。
「…それは、きっとあなたのおかげよ。つくしさん」
あたしを通じて、類と再び話ができるようになってきたという。
「だから少し意外だったの。…類は、相手の女性には家庭に入ってもらいたい、と望むんじゃないかと常々思っていたから。私がこんなだったから…。あんなふうに、夢に奔走するあなたを心から応援できる人になったことを思うと…感慨深くて…」



学校が終わると、あたしはまっすぐに病院に帰った。
「…ただいま、類」
真悠子さんと入れ替わりに、類の病室にあたしは入った。ベッドサイドの椅子に座り、彼の左手に触れ、今日あった出来事を詳細に話していく。
久しぶりに学校に行ったこと。未提出の課題が山ほどあって驚いたこと。親友達のこと…。
「類はどんな夢を見ているの? 昔のことかな?」
もちろん彼の返答はない。

眠る彼は事故以前の美しさを取り戻し、その表情はごく穏やかで、そこには何の痛苦も浮かんではいない。
あたしはベッドに突っ伏して、自分の額に彼の左手を押し当てた。
「…戻ってきて、類」
その手はあたしの熱で温められて、徐々に同じ体温になる。
「…あたし、寂しくて、心がちぎれそうだよ…」

―ぴくっ。

「…えっ?」
額に触れた彼の左手指がわずかに動いたような気がして、あたしは慌てて身を起こした。鋭く叫んでしまう。
「類っ」
そうして改めて彼の動きを注視したが、手指も瞼も動く様子はない。
「…思い過ごし、なの?」
―あたしの願望が、そう感じさせただけなの?
急激にたかぶった感情と、反動で現れる大きな失意とで、ドクドクと胸が波打っている。あたしはそっと彼の左手を握り直す。
だけどそれ以降も、彼からは何の動きも感じ取ることはできなかった。

そうして事態は一向に転じることなく、季節は盛夏へと移り変わっていった。




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