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Category第2章 解れゆくもの
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診察室から出るとすぐ、真悠子さんの顔も見ずに一礼をして、あとは振り返らずにその場を走り去った。
真悠子さんは、あたしを追わなかった。
あたしが一人で泣きたいのを察してくれたんだと思う。

屋上までの3階分の階段を一気に駆け上がっていく。
辿り着く頃には、さすがに足がふらついて息が切れ切れになっていた。
そこに誰もいないのを見て取ると、白いフェンスに縋りつくようにしてしゃがみ込み、あたしは限界まで堪えていた嗚咽を洩らした。
固いコンクリートの床に、パタパタとあたしの涙が降り注ぐ。
建物の陰になったそこは、あたしに逃げ場所を与えてくれる。


―類。
―あたしを、忘れてしまったの。


まるで他人を見るような目つきだった。
確かに、彼は高校の頃、同じ温度の瞳であたしを見た。
今まで築いてきた信頼も、共有した思い出も、育んできた愛情も…。
何もかもが、あの事故の夜に、彼の中から跡形もなく消えてしまったのだろうか。

―嘘。
―そんなの、嫌だよ。

またゆっくりと時間をかけて築き直せばいい、と思う気持ちもある。
だけど、彼があたしを愛するようになってくれたのは、過去の様々な出来事があったからこそだ。
あたし達は今、まったくのスタートラインまで戻ってしまった。
これから経験する何をもって、彼はあたしを再び認め、愛してくれるだろう。
そんな自信なんて、最初からないのに…!


「…る、ぃっ…っ」
あたしはネックレスに通した類のリングを握りしめて、小さく叫ぶ。…何度も。
彼が目覚めてくれさえすれば、とずっと思っていた。
瀕死の重傷を負った彼が死を遠ざけて生き延び、再びあたし達の元に戻ってきてくれたらそれだけで、と。
願いは通じた。彼は戻ってきた。
記憶の喪失が生還のための代償だというのなら、あまりに大きすぎる代償だけれど、あたしはそれを受け入れるべきなんだろう。

―だけど、彼に求められないなら、あたしはどうしたらいい?



泣いて、泣いて、泣き疲れても、まだ泣けてきて。
あたしは声が嗄れるまで、そこから一歩も動くことができずに肩を震わせ続けた。




そのうち誰かが屋上に上がってくる気配がして、あたしは声を抑えようとした。
しゃくり上げながら必死に体裁を取り繕おうとしていると、背後から声がかかった。
「牧野…」
その優しい声音が誰のものかは、すぐに分かった。
「話は聞いたぜ。……つらいよな」
もう一人の声の主が誰なのかも。
「泣くなよ。…時間が解決してくれるかもしれないだろ?」
美作さんの声が、フェンスに縋るあたしのすぐ後ろで聞こえた。
「司だって、お前を思い出しただろう? …類が、思い出さないはずがねぇよ」
対する西門さんの声は、少し遠いところから聞こえる。


「…類の…目がね…」
絞り出すようにして発した声はひどく掠れて、自分の声じゃないみたいだった。
「…あたしを…見てなかった…」
彼の瞳はあたしを映してはいたが、その存在をそこに認めてはくれなかった。
自分の存在だけを忘れられてしまうのと、大勢の中の一人として顧みられないのと、どちらがより苦しいことなんだろう、と思う。
…そうじゃない。相手に愛してはもらえないなら、どちらでも同じことだ。
「…あたしのこと…要らないんだって思うと………つらくて…」


―あたしには、類しかいないのに。


「類が要らないんなら、俺がもらってやるよ」
「…えっ?」
「…はぁ!?」
あたしとほぼ同時に、西門さんが素っ頓狂な声を発したので、聞き間違いではないのだとあたしは驚く。
涙と汗でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、両手でそれらを拭って振り返ると、西の稜線に近づいて朱くなった陽光が泣き腫らした目に沁みて痛かった。

美作さんは優美な微笑を浮かべて、あたしのすぐ傍にかがみこんでいた。
その綺麗な瞳は、とても真摯にあたしに語りかけてくる。
「…あの、…冗談、だよね?」
驚きの余り、涙を一瞬忘れたあたしに、ニッコリと笑んで彼は言う。
「なんで? マジだけど」
「おまっ…このタイミングでっ…」
西門さんが呆れたような声を上げ、途中で口をつぐみ、大きなため息を吐いたのが聞こえた。


「俺を選ぶと、なかなかいい条件が揃ってるぞ? お前のことを気に入っているばーさんや、お袋や、双子がもれなくついてくる」
美作さんは人差し指の次にすぐ中指を立て、次の条件を示そうとする。
「それに、お前のやりたい仕事にも皆の理解がある。美作は服飾系にも注力している。きっとお前の求める職場がうちにはある」
そして、三つ目の条件が一番大事とばかりに、彼は大きく笑う。
「それに、何より俺はお前に対して深い理解がある。知っての通り、俺も過去の多い男だ。…だからお前のことも丸ごと引き受けてやれる」
…あたしはポカンと口を開けたまま、言葉が出せない。
「牧野となら楽しい家庭を築けると思うぜ? …うちの家族も、密やかにそれを狙ってるしな」



「…ありがとう」
穏やかな時間があたし達の間に流れ、あたしは自然と笑みをこぼしていた。
そうしながらも、目尻の涙は頬を伝っていく。
「…美作さんにそんなふうに言ってもらえるなんて、正直思ってもみなかった…」
「俺だって、本当は一生言うつもりはなかったんだ」
「…だったら、秘めときゃいいのに」
西門さんが小さな声で、鋭く突っ込みを入れる。
美作さんは、西門さんには視線を振らず苦笑するにとどめた。

「…類のことはまだいろいろな可能性があるだろ? 早い時期に記憶が戻るかもしれない。記憶がなくてもお前を必要とするかもしれない。…残念ながら、すべてがリセットされるかもしれない」
美作さんはあたしに右手を差し伸べる。
そっと手を差し出すと、力強く引っ張りあげ、彼はあたしを立ち上がらせてくれる。
「今後のことは誰にも分からない。だったら、やれるだけのことをやるしかねぇよな? 骨は拾ってやるから存分にやれよ」
「美作さん…」
「振り返ったら俺がいるってことを、忘れないでいてくれたらいいさ」


友情の延長線上にも、愛は存在するのかもしれない。
…だけど。
あたしは、これからもずっと類しか愛せないだろう。
そう思う。
それでも告げるつもりのなかった想いを吐露してまで、あたしを励ましてくれた彼に、今のあたしが言えることは一つだ。

「…心に留めておくね。美作さんの気持ち。…本当にありがとう」
精一杯の気持ちを込めてそう告げると、美作さんは満足そうに笑み、ぎゅっと手を握ってくれた。
その笑顔に、大きな安堵と…罪悪感とを抱きながら、彼らに促されてあたしは階下へと戻る決心をした。
類に、告げなければならない事実がある。
それは、あたしが直面しなければいけない現実でもあった。




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いつもご訪問ありがとうございます。 
あきら、頑張るの回でした。個人的に好きなエピソードです。
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4 Comments

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2018/07/13 (Fri) 08:14 | REPLY |   
nainai

nainai  

ミキ様

こんばんは。
コメントありがとうございます(*´ω`*)

司の記憶障害という実例があるため、あきらも、総二郎も、つくしをフォローすることがいかに大切かを知っています。あきらはつくしの心情をよく理解しているので、自分の想いが成就する見込みがないのは分かっているのですが、これからの彼女の行動を一心に支えることの意思表示のためにあぁいう行動に出た…と。
こういうシーンには、総二郎よりあきらが向いているなぁということで大抜擢でした♪♪

これから、それぞれがどんな行動に出てくるのか、読み進めていっていただければと思います。

2018/07/13 (Fri) 19:45 | REPLY |   

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2018/07/13 (Fri) 19:58 | REPLY |   
nainai

nainai  

uz様

こんばんは。
コメントありがとうございます(*´ω`*)

シリアス展開が続いていきます。これからひと山もふた山も越えねばならない試練が…(+_+)
どうにもご心労をかけてしまっているようで申し訳なく思いつつも、2章は波乱のまま書き終わってしまいました…💦(まだ手直しがいろいろ必要ですが…)
負のスパイラルに陥りつつも、続きを追ってくださっているようでとても嬉しく思います。

今は心を込めて3章を書き進めています。ハッピーエンドにします!と言い切れないのは、『幸せ』の在り方を模索中だから、とご解釈いただければ…。

夏のイベントを楽しんでいただけているようで嬉しいです! 私の出番ももう少し残っています。
どんなお話を進呈したか、読んでいただければ幸いです。

2018/07/13 (Fri) 20:35 | REPLY |   

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