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Category第2章 解れゆくもの
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翌日、類には多岐にわたる精密検査が行われた。
肋骨の骨折はほとんど完治に近い状態だった。体を動かすと少し痛みがある程度らしい。長い間意識がなく、体に負荷をかけることが少なかったので、治癒が早まったのだろうとのことだった。
左腕に残った麻痺は、事故時に腕の神経を圧迫し損傷したことによるものだろうと診断された。明日からは腕のリハビリが始まることになった。
皆にとって一番重要だった記憶障害に関しては原因が探れず、残念ながら処置なしとされた。脳のMRI画像にはどこにも出血は見られず、頭蓋骨のヒビも治癒していた。


あたしは、類が退院するまでに二度、彼を見舞った。
学校が終わってからの見舞いになるので、類と会えるのはごくわずかな時間だった。面会時間は午後8時までだったけれど、あたしがその最後まで病院に残ることはなかった。
…類が、あたしと話をするのを拒んだから。
あたしの問いかけに対する彼のすげない返答、…あるいは無視は、高校時代の彼を彷彿とさせた。実際、過去の類はそうだったのだ。
見舞いに来ないように面と向かって言われることはなくても、彼の瞳は明らかにあたしの存在を疎んじ始めていた。


三度目の見舞いは、病室に入る手前で断られてしまった。
…誰にも会いたくない、と本人が言うのだという。
病院のエントランスまで見送りに来てくれた真悠子さんは、申し訳なさそうに何度も頭を下げた。
「…つらい思いをさせて、本当に、本当にごめんなさい。…でも、類が心を閉ざしているのは、つくしさんに対してだけじゃないの。私に対しても、康江に対してもそうなのよ。…あの子の心は、無機的だったあの頃に戻ってしまったみたいで…」
それでも類から離れていかないでほしい、と懇願され、あたしは真悠子さんの両手をぎゅっと握り返すことしかできなかった。

あたしから離れていくつもりはない。
彼から離れていってしまうことはあっても。

あたしには、どうしようもない虚無感だけがあった。
この苦しみは、いつまで続くだろうか。
類は、いつか記憶を取り戻してくれるだろうか。
あたしの心は、奥の方から少しずつひび割れて、音もなく砕けていくかのようだった。


入院していても病院でできることは左腕の治療だけになったため、意識が戻ってからしばらくして、類は退院した。あとは、定期的な通院や自宅でのリハビリを続けながら、彼の回復を待つより他なかった。
類が退院したことを聞いた美作さんが、花沢邸への見舞いに誘ってくれたのは、彼の退院から1週間が過ぎた頃だった。
入院時、三度目の見舞いを断られたことから、あたしは邸宅への訪問を躊躇し、一度も訪問していなかった。
類の様子は真悠子さんが電話やメールで逐一報告してくれていたから、彼の体調だけは把握していた。その心が、固く閉ざされたままであることも…。



8月18日土曜日の午後、あたし達3人は花沢邸に向かった。
行きの車中で、美作さんが提案をする。
「俺達が知りうる範囲で、あいつの過去をゆっくりインプットしてやろう」
「記憶がぽっかり空いたままじゃ、不安も強いだろうしな」
西門さんはすぐに同意する。
「…あたしとのことも、話すべきだと思う?」
類の意識を、6年前からゆっくり今に向かわせるためには、あたしとの関わりや道明寺とのこともすべて話した方がいいのだろう。でも、現時点ですでにあたしを疎んじる空気を纏っている彼に、そんなことを話したら、今度こそ完全に拒絶されるかもしれない。
あたしはそのことに強い懸念を感じていた。

―それに、静さんとの過去もある。
男女としての関係、…そして、その終わりと。
彼女が今や、彼の手の届かない存在になってしまったことを聞いたら、どれほどショックを受けるだろう。
愛する人との子供を産み、幸せに暮らしている、なんて…。
そのことを思うと、気持ちが沈み込んでいくようだった。


「もちろん話した方がいいと思うぞ」
西門さんは即答だった。
「司ん時もそうだったろ? あのとき記憶のない司がお前につらく当たったのは、お前に対して抱く感情が何なのか分からなくてイライラしてたからだろ? 類もそうなんじゃないかと思うぞ」
確かに道明寺のときはそうだった。
あたしのことだけを忘れてしまった彼は、それこそあたしにだけ酷い接し方をした。後に、道明寺が当時を振り返って、西門さんが今言ったようなことを説明してくれた。

だけど、……どうだろう。
類の反応は、道明寺のそれとはまた違うような気もする。
あたしに対しては、まったくの無関心である、というのが正しい言い方のように思えるのだ。

その印象のことと、三度目の見舞いを断られた話をすると、二人は難しい表情を浮かべた。
「…前にも言ったろ? やれるだけのことをやってみようって。好転するかもしれないだろ?」
美作さんは、そう言って優しくあたしを励ます。
「今日は俺達が高校を卒業するまでを話してみよう。…それだけでも事件はいろいろあったしな」



久しぶりの花沢邸を、こんな複雑な気持ちで訪問することになるとは思ってもみなかった。
真悠子さんは急な用事ができたために外出していて不在だった。執事の磐田さんが、丁重にあたし達を出迎えてくれる。
顔馴染みになっているメイドさん達は、あたしの顔を見ると、皆一様に深々と頭を下げてくれた。
―類と将来の約束を交わした婚約者。
あたしはそうであるはずなのに、まだそれを類本人にだけは伝えることができない。

その足掛かりを作るべく、あたし達は類の部屋へと向かった。
部屋に入る直前、あたしは深呼吸をしながら、チェーンに通した類の指輪を無意識に探って握りしめた。
「大丈夫だ。牧野。…俺達がいる」
「うん…。ありがとう」
あたしの緊張が収まるのを待ってから、西門さんがドアをノックしてくれた。


ノックをしても類の返答はなかった。
「類、…入るぞ」
西門さんはそれに構うことなく、声をかけてから部屋へと足を踏み入れる。
類はベッドの上ではなく、ノートパソコンの前に座っていた。文字ばかりが並んだ画面から察するに、何か勉強をしていたようだ。
あたし達を椅子ごと振り返った彼の顔には、およそ表情らしい表情がなかった。だけど、入院していた時と比べて、その頬に赤みと丸みが戻り、少し体重が増えた様子であることにほっと安堵する。
「…来たんだ」
「あぁ、今日はお前と少し昔話でもしようと思ってな」

類はまるで気のない素振りでパソコンをスリープ状態にすると、おもむろに立ち上がった。彼の目が最後に入室したあたしの姿を捉え、来客が3人であることを悟るとこう言った。
「…客間に行こう」
類の部屋はフローリングで、ベッドとテレビとノートパソコンを置いた机と椅子しかない。入室した早々、彼の部屋を追い出される形で、あたし達は客間である和室へと移動した。


その客間は昨年、あたしの両親と類のご両親が顔を合わせ、あたし達が婚約を取り交わした場所だった。
緊張と幸せな気持ちでいっぱいだったその日は遠く、思い出すだけで胸が詰まったようになり、あたしの歩みは自然と鈍った。
あのときは、まさか、こんな未来が待ち受けているなんて思いもしなかった…。
「…牧野?」
美作さんが歩みの遅れたあたしを気遣い、振り返る。
…あたしは黙って首を振った。




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拍手ありがとうございます! 暗い展開で申し訳ないです(^^;)
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