FC2ブログ

2-11

Category第2章 解れゆくもの
 0
客間に入るとすぐ、類は壁に背をもたれかけ、立てた片膝に顎を乗せるようにして座り込んだ。あたし達はそれぞれで座卓につき、素早く互いの顔を窺いながら、誰が口火を切るのかを探り合った。
「…で?」
用件を問う類の声音は冷たく、彼の静かな苛立ちを感じ取り、あたしは密やかに身を竦ませた。
「その後、体調はどうだ?」
結局、美作さんの方が口を開く。
「改善はしてる。…手、動くようになってきたし」
類は麻痺を残した左手を前に出し、ゆるゆると指を動かして見せてくれる。
まだ、ぎこちないその動き…。
だけど、確実な復調の兆しに、あたしはそっと安堵の息を吐く。

「記憶については、どうだ? 誰かに何か聞いてるか?」
類は首を振る。
「…変化ない。…家の者から大学生活のことを聞いたのと、田村から会社のことを聞いてる程度」
田村さんとは、インターン時代から類を補佐してくれている花沢物産の秘書だ。
美作さんと西門さんがさっと目配せし合う。
「あのな、俺達で、お前の欠けた記憶を補完してやろうと思うんだ。今日は高校を卒業するまでの話をするつもりで来た」
美作さんに次いで、西門さんがそう話し出すと、類はじっと彼を見据えた。

「…それって今、必要?」
「は?」
刹那せつな、西門さんがあたしに意識を振った気がした。
「必要だと思うぜ? 自分がどんな6年を過ごしてきたのか、知りたくないのかよ」
西門さんの口調がきつくなる。
その場にピリッと走った緊張に、あたしは息を潜めて成り行きを見守った。
「…俺の交友範囲って、大して変わってないんだろ」
確かに、それは誤りではない。…けれど。
「9月3日から会社に戻ることになった。…正直、いまはそっちだけで手を焼いてる」
類は憮然とした表情でため息を吐いた。

あたしは驚いた。
勤務に戻るまでに、もう2週間と少ししかない。
それまでの短期間で、記憶が抜け落ちた部分に、彼が数年かけて学んだことをインプットし直さなければならないの?
『会社にタヌキがいる』
『キツネもいるし、オオカミもいる』
いつか彼が会社の人を揶揄やゆして言った言葉が甦る。
類が後継者と目されているからといって、周囲が皆、従順であったり、友好的であったりするとは限らない。…むしろ、その足元を掬ってやろうと、隙をつけ狙う者の方が多いかもしれないのだ。


―類は、今の自分の現状をどんなふうに捉え、どんなふうに感じているんだろう。
あたしは彼の心情を思いやる。
…苦しくないわけがない。
…不安でないはずがない。
だけど真悠子さんからは、彼が心を閉ざしたままだと伝え聞いている。
類が抱えている苦悩を、ただ、ありのままに吐露してほしいのに。
ー美作さんや、西門さんになら、その苦しい心の内を打ち明けられる?
ーでも、“部外者”のあたしがここにいたら、それができないのかもしれないね…。


「…無理させない方が、いいんじゃないかな」
思わず上げてしまった声に、皆の視線がさっと集まる。
「あっ、その、…花沢類が今、困っていることを、優先して考えてあげたらいいのかな…って」
あたしを見つめる類の瞳の色が濃くなる。
「でもよ…」
言い募る美作さんの言葉に被せて、あたしは早口にまくし立てた。
「会社のことだったら、あたしじゃ役に立てないし、二人が相談に乗ってあげて? あたし、帰るから。…花沢類も、二人にじっくり話を聞いてもらうといいよ。ね?」
一気に言い切ると、あたしは彼らの返事を待たずに立ち上がり、そのまま部屋を出た。そうあってほしいと望んだ通りに、誰もあたしを追ってはこなかった。


足早に無人の廊下を歩く。
曲がり角で、客間に飲み物を運んできたメイドの小野寺さんと出くわした。
彼女は驚いた様子で立ち止まり、丁寧に一礼をしてからあたしに問いかける。
「つくし様、もうお帰りですか?」
「えぇ。さようなら、小野寺さん。…また来ます」

―どうなんだろう。あたしに、次はあるのかな…。

自虐的な思考に陥りながら玄関まで辿り着いたところで、康江さんが小走りに駆け寄ってきた。
「お待ちくださいませ。奥様はもうすぐ帰宅なさいます。つくし様とお話をされたがっておいでです」
「…真悠子さんが?」
「どうぞ、こちらへいらしてください」
招かれるままに康江さんに通されたのは、屋敷の奥の方に位置する、あたしが初めて入る部屋だった。
「ここは…」
「旦那様より貸与されております、わたくしの部屋でございます」


康江さんの部屋も和室だった。几帳面な彼女の性格を表すように、室内は美しく整頓されていた。
彼女はあたしに円卓の座布団を勧めると、自身は向かい側の畳の上に直接座し、おもむろに両指をついてあたしに深く頭を下げた。
「類様のことで、つくし様に多くの心労をかけておりますこと、深くお詫び申し上げます」
あたしは、康江さんの改まった謝罪に面食らった。
「…あの、そんなことはなさらないでください。…康江さんにそうされると、あたし、どうしていいか…」
伏せた康江さんの体は、微動だにしない。
「先日も主人を見舞ってくださったそうで…。お心遣いに感謝いたします」


康江さんのご主人の宮本さんは、あの夜、類と共に事故に遭い、右腕と右脚の複雑骨折という重傷を負った。今も搬送先の病院に入院したままリハビリを続けていて、あたしは月に2~3回の頻度で彼を見舞った。
あたしは高校の頃から宮本さんを知っている。丁寧な応対と朗らかな笑顔の彼が大好きだった。
事故後しばらくして、初めて病室を訪れたとき、宮本さんはあたしの顔を見るなり、今の康江さんと同じようにベッドの上で深く頭を下げた。

申し訳ございません、と何度も何度も謝る彼は、一気に何歳も老け込んで見えた。
あたしはベッドサイドに近づき、小刻みに震え続ける宮本さんの手にそっと触れた。どうか気に病まないでほしい、不運な事故だったのだと、あたしは拙い言葉ながらも宮本さんを励まし続けた。
彼の悔恨は、あまりに深かった。
滲み出た涙に、彼がどれほど類を大切に想ってくれているのかが分かった。



「主人の退院の目途が立ちました。あと1週間ほどで戻って参ります」
康江さんはようやく顔を上げ、あたしを見つめる。
「…宮本さんは、いつか職務に戻られるでしょうか」
あたしがそう訊くと、康江さんはゆるゆると首を振った。
「年齢のこともありますし、おそらくはこのまま職を辞することになると思います。退院後もリハビリは続きますし、…運転すること自体がもう難しいかもしれませんから」
康江さんは寂しそうな微笑を浮かべると、それ以上の言及は避けた。




ブログ村のランキングに参加しています ポチッとお願いします☆


拍手をありがとうございます♪ いつも励みにしています。
関連記事
スポンサーサイト



0 Comments

Post a comment