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2-12

Category第2章 解れゆくもの
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真悠子さんが邸宅に戻ってきたのは、それから30分後のことだった。
彼女の帰りを待つ間、あたしは康江さんから類の様子を詳細に聞き出していた。
左腕の治療に際しては、隔日で専門医の往診を受けているという。
腕のリハビリには意欲的に取り組むものの、それ以外の時間は自室に籠って過ごしていること。もともと食は細い方だったけれど、この数日、それがとみに顕著になってきたこと。夜、眠れないようで、医師に睡眠薬を処方してもらっていること…。
あたしは、類の現状をひどく切ない気持ちで聞いた。
一緒に暮らしていたとき、彼が好んで食べたメニューを思い出し、康江さんに伝えた。彼女はそれらを丁寧にメモに取り、シェフに伝えてみると言ってくれた。

帰宅した真悠子さんは自ら、康江さんの部屋まであたしを迎えに来てくれた。
「お待たせして申し訳なかったわ。マンションまで送るから出ましょうか」
康江さんに見送られて、あたしは花沢邸を後にした。


「類さんから聞きました。9月に仕事に復帰することになったと…」
リムジンの後部席に真悠子さんと並んで座り、車が発進して間もなく、あたしは彼女にそれを切り出した。
「記憶がまだ戻っていないのに、仕事に復帰して大丈夫なのでしょうか」
真悠子さんは困ったように微笑む。
「…本来なら、そうするべきではないことは分かっているの。…でも、会社の事情がそれを許さなくて…」
彼女は、対外的に明かされている類の容態について説明する。曰く、記憶を失っていることは伏せられ、自宅療養は骨折によるリハビリのためだとされていた。

「会社の派閥について類から聞いたことがあるかしら? 類を後継に推す派閥と、別の幹部を推す派閥とがあって、類がこれ以上職務から離れるようなら、今後にひどく影響しそうなの…」
先々のことを思えばこその選択なのだと、真悠子さんは言う。
事情は分かる。でも…。
「類さんは、そのことをプレッシャーに感じている様子でした。…きっと、美作さんや西門さんには、その胸の内を明かしたんじゃないかと思いますが…」
「…二人はまだ客間にいらしたみたいだけど、つくしさんは…同席されなかったの?」
真悠子さんの声のトーンが低くなる。あたしは曖昧に笑む。
「えぇ…。本当は今日、彼らと過去の話をするつもりでここに来ました。…でも類さんが、いまは仕事のことで手一杯だと言ったので、それは先延ばしにしたんです」
そうだったの…と、応えた真悠子さんの表情は暗かった。


「相談したいことがあるんですが、いいですか?」
真悠子さんが頷くのを確認して、あたしは話題を変える。
「一つは、就職活動のことです」
9月になれば就職活動が本格的になってくる。
あたしに迷っている時間はあまりなかった。
類が会社に復帰する日は、あたしの専門学校の夏季休暇明けと同じ日だった。

「以前、真悠子さんから、花沢物産に就職しないかとお誘いいただいていたんですが、やっぱり元々の希望であった『fairy』に応募してみようと思うんです」
真悠子さんは一瞬、物言いたげな表情をしたが、結局は黙ったままだった。
「もちろん八千代先生に口利きをしていただくつもりはありませんので、就職試験で落とされる可能性は十分にあります。何社か別のところも受けてみるつもりです。…自分に才能があるのかどうかは分かりませんが、デザイナーの世界で自分の力を試してみたいんです」


専門学校での評価はいままでずっと好成績だった。デザイン性、技術性ともに評価は高く、校内で開催されたコンペティションで最優秀作に選ばれたこともある。
類の事故以後、あたしは常に抑圧された精神状態だった。そのストレスを解き放つかのように、スケッチブックには様々な案が次から次にと浮かんだ。
子供の頃もそうだった。
あたしは抑圧されればされるほど、紙面に現実逃避してしまう傾向がある。

12月初旬には、卒業制作の発表の場となる大きなコンペティションがある。
テーマは10月には発表されるが、概ねテーマに沿ってトータルコーディネートで数点を作成することになる。自ら、もしくは代理人がそれらを着用してランウェイを歩き、投票式で優秀作を決める、というのが毎年のならいだった。
11月はその準備だけで手一杯になるだろう。卒業制作で忙しくなる前に、就職先を決めておく必要があった。


「現状で、花沢うちに入ってほしいと思うのはこちらの我儘なのでしょうね…」
真悠子さんの静かな声に、あたしは気持ちが重く沈んでいくのが分かった。
あたしでも、役に立てるものならそうしたい。
それでも、類はまだあたしを思い出してはくれないし、そもそも過去に触れるだけの心の余裕もない。…今後もどうなるのか分からない。

類との婚約は正式には解消されていないけれど、彼に記憶がない以上、このまま維持していくことも難しいだろう。それはあたしの両親も常々感じていることのようで、3日前に実家で過ごしたときもずっとそのことを言っていた。
『もし婚約を解消されることになっても、悲観しないのよ。…あんたが、悪いんじゃないんだからね』
ママこそが悲観に暮れた顔をしながら、そう言ってあたしを励ましてくれたのがひどく心に残った。パパや進は、それこそ何をどう言っていいのか、まるで分からないみたいだった。


「一つは、と仰ったわね。他にもあるのかしら」
真悠子さんの冷静な問いかけにハッとして、あたしは慌てて次の話題に触れた。
「…はい。それはマンションのことです」
あたしは続ける。
「マンションは真悠子さん名義のものだと伺いました。…わたしがこのまま住み続けていいものなのか、一度相談したくて…」
あぁ、と真悠子さんは小さく応えると、そのまま沈黙してしまう。
「両親が申していました。今の状況が長く続くようなら、…その、…婚約自体をどうするのか、両家で協議するべきではないのかと」

パパとママがそう言ってくれたのは、たぶんあたしのためだ。二人は、あたしがこれ以上傷ついて、立ち直れなくなることをずっと心配している。
類の記憶の回復を信じて、待ち続けて、…最終的にその期待を裏切られたら?
そうなってしまうくらいなら、先んじて事態を収拾しておいた方が、まだ傷が浅く済むのではないかと思っている様子だった。
「ご両親にもご心労をおかけしているわね…。本当に申し訳ないことだわ。…今夜、ご両親にはこちらからご連絡させていただきます。その回答には少し時間をくださいな」
その言葉に頷くと、車がマンションの界隈まで戻ってきていることが分かった。
車に乗っている時間は、あと数分くらいだろう。


「類さんの仕事のことで、わたしから提案があるのですが…」
あたしは、先ほど類の部屋で見たパソコンの書類のことを思い出していた。
音もなくシンと静まり返った部屋で、物憂げな表情のままそれらをつまらなそうに一瞥していた、彼…。
外界からは隔絶されたようなあの部屋で、一日のほとんどを彼一人で過ごしているのだと思うと、胸が詰まる思いだった。
「えぇ、何かしら」
「会社のことを学ぶための資料は、書面が主なのでしょうか?」
「えぇ。それとプレゼンテーションのPCデータと。…類がこれまで担当してきた事業と、今後担当する予定の業務資料を読んでもらっているわ。毎日、田村に邸にきてもらって、類が分からないところを説明させています」
「会社の人や社外の人のことは、どのように覚えてもらっているのでしょうか」
「社内の者は、顔写真と名前の資料を準備しています。取引先の方々については、別資料を」
なるほど、とあたしは思う。

「ICレコーダーで録音された会議記録などはないでしょうか」
「レコーダー?」
「はい。類さんは大変優れた音感の持ち主です。音声記録から、その人の顔と声とを一致させながら覚えてもらってもいいのではないかと思いまして…」
あたしの発言に、真悠子さんは虚をかれたような表情になる。
変なことを言ってしまったかな、と不安になりつつも、あたしは言葉を継ぐ。
「なんて言ったらいいのか…。類さんは目で見て覚えるより、耳で聞いて覚えるタイプのような気がしまして…」
真悠子さんはふんわりと笑んだ。

その笑顔が類の微笑に似て、あたしの胸を鈍く疼かせる。
「…貴重な意見をありがとう。さっそく田村にも相談してみるわね」
いえ、と応えたところで、車がゆっくりと停車した。
あたしは送ってもらったことに感謝を告げ、リムジンを滑り降りた。
…待つ者のない部屋に戻るのは、いつだって寂しいことだった。




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