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Category第2章 解れゆくもの
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それから再び類に会えない日が続き、暦は9月に変わった。
頼みの綱の二人は、出張で東京を離れたままだ。美作さんは8月下旬から上海に飛び、西門さんは支部での茶会や講演のために地方を転々としている。
類に逢いたい。逢って話がしたい…。
想いは募るばかりなのに、あたしは独りで花沢邸を訪ねる勇気がどうしても持てなかった。鮮烈に思い出すのは、まるで温度を感じさせない彼の瞳…。それが、あたしを怯ませる。

あとで美作さんから聞いた話では、類はやはり会社に戻ることに強い不安を感じているようだった。どんなふうに会社のことを学べばいいのか、いろいろ尋ねてきたらしい。美作さんと西門さんは、自分達が用いているあらゆるツールを類に伝授した。
それに、…静さんについては、すべてを明かしてしまったらしい。類が、それを知りたいと望んだからだそうだ。彼は淡々とした表情でそれを聞いていたという。

秘書の田村さんはあたしの提案を快く受け入れ、早速それを実行に移した。インターネット会議の様子を見せたり、ICレコーダーの記録を追わせたりすることは時間のかかる作業だけれど、類にとっての有益性もそれなりに見込めたらしい。
類の食欲が減退していたのはストレスもあっただろうけれど、食事のメニューを変えてみたらそれも奏功したようだと知らせてくれたのは康江さんだった。
あたしは、類を取り巻く環境が少しは改善されたことを喜びつつも、相変わらず自分だけが蚊帳の外にいるような疎外感をもって、その報告を受けた。


毎晩ベッドで眠りにつくとき、いつも隣にあった温もりが感じられないこの現実に、あたしは静かに打ちのめされていた。…マンションには、彼との思い出が多すぎる。
真悠子さんは、一定の期限を設けて婚約を維持・保留することを両親に提案してきた。類の記憶が戻らなければ年末までに、…あるいは婚約を知った類がそれを受諾しなければその時点で、婚約を解消することが両家の間で正式に決まった。
だから、あたしはそれまでに、類とちゃんと話をしなければいけない。
早く、この状況を打開したい。
そう思うのに、その取っ掛かりさえ作れない自分が歯痒い。



「…つくしさん、元気ないですね」
教室でのいつものランチタイム。
羽純ちゃんが話の途中で唐突にそう切り出した。
「…ん? そう?」
「だって、さっきから玉子焼きを箸でつついてばかりですよ?」
「…もうすぐ就活が始まるからね。…ちょっと考えこんじゃって」
「分かるわぁ。わたしも食事が喉を通らないもの」
菜々美さんが渋い顔をして見せる。

羽純ちゃんは笑いながら、菜々美さんをからかった。
「大丈夫ですよ。お弁当、完食してるでしょ? それに鞄にはお菓子も!」
「あは、バレてたか。…食べる?」
菜々美さんは、どうぞ、と言ってそのお菓子を分けてくれた。
二人が明るい掛け合いを演じてくれるのは、きっとあたしのためだ。
学校が始まっても、あたしはしばしば類のことを考えては手を止めてしまう。
付き合いが長い二人には、あたしのそうした変調はすぐに悟られた。

―会社が始まって、困っていることはないかな。
―類一人で、抱え込んでいることはないかな。

彼のことを思えば、胸は不穏に高鳴った。
類の苦しみは、いまでもあたしの苦しみと同じだった。それでも、どんなに望んでも、あたしはそれを彼と共有することができない。今のあたしは類の生活からは弾き出された存在で、彼からは顧みられることがない…。

「何はともあれ、全力を尽くしましょう! なんとか就職先をゲットしなきゃ!」
菜々美さんの気合の入った言葉に、あたしはくすっと笑みをこぼす。
彼女達があたしの傍にいてくれて本当に良かった。この苦しい数ヶ月、彼女達の笑顔にどれほど支えられてきたか、感謝してもしきれないほどだった。



次の講義が始まる時間が近づき、あたしは別室に移動する羽純ちゃんについて、レストルームに向かおうとした。廊下に出る直前、他のグループの子達とすれ違う。あたしは立ち止まり、進路を譲った。
その一瞬に、それはあたしの耳に届いた。

「……のくせに」

―えっ?

本当に密やかな声だった。
何か聞き違えたのかと、思わず彼女達を振り返ったあたしに、羽純ちゃんが問う。
「どうかしました?」
「…うぅん。何でもない」
あたしはすれ違ったグループの中に、館山さんの後ろ姿を見つけて眉を顰めた。
『…ライバル視されてるんですよ、つくしさん』
いつか、羽純ちゃんが教えてくれた言葉がにわかに甦る。

その言葉は、あたしの耳にはこう聴こえていた。
『コネのくせに』
それが聞き違いだったら、どんなに良かっただろうと思う。
でも、きっと、あれはあたしに対して投げられた言葉で、…敵意だと感じられた。
低く抑えられた声音は、それが館山さんから発されたものかどうかを判別することを難しくさせていた。
ドキドキと不穏に鳴る胸を押さえながら、あたしは羽純ちゃんの後を追う。
相談するには時期尚早だろうと、あたしはそのことを二人には言わずにおいた。



だけど、ある日、信じがたい事態が起きてしまった。
毎日大切に持ち歩いていた、A5サイズの製図用スケッチブックがなくなってしまったのだ。それは八千代先生からいただいたもので、デザインを基礎から教えてもらった際の先生の書き込みもそこにはある。
最後のページまで使い切っていたけれど、あたしはお守り代わりとしてそれを持ち歩いていた。でも普段は鞄から出すことはなかったし、菜々美さんと羽純ちゃん以外には見せたこともない。

…間違いない、と思う。
スケッチブックは盗まれたのだ。
誰が、何のために、そんなことを…。

あたしは、羽純ちゃんと菜々美さんにも探すのを手伝ってもらったけれど、結局見つからなかった。クラスメート達に尋ねても、誰も見ていないと言う。
「学校に届け出ておこう? ひょんなところから出てくるかもしれないし…」
菜々美さんの言葉に頷きつつも、あたしにはそれが有効な手段だとは思えなかった。
「今使っている方が無くならなくてよかったですよ。…しばらく身辺には気をつけましょう」
苦々し気な羽純ちゃんの声は、すでに盗まれたことを想定してのものだっただろう。


遺失物届を出してもスケッチブックは手元に戻らないまま、いよいよ就職活動の初日が目前に迫ってきた。
それがなくなってしまっても、あたしにはすべての頁のデザインが頭の中にあった。八千代先生の書き込みも暗記してしまっている。手離すことになったことはとても残念だけど、いまは惜しんでいる時間がない。
あたしは気持ちを切り替えて、試験に臨むことにした。
最初は、『fairy』と同じ商戦で競い合うアパレルメーカー『Eve And Eve』の一次試験だった。




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いつも拍手をありがとうございます! 頑張って書き進めています。
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2 Comments

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2018/07/23 (Mon) 13:14 | REPLY |   
nainai

nainai  

わ様

こんばんは。コメントありがとうございます。
私の住む地域も干上がりそうなほどの暑さです…(;^_^A

類は類なりに、つくしはつくしなりに精一杯、”今”を生きているんですね。
そういった意味では、非常に現実的な視点からお話を進めているつもりです。
さらに、つくしの方は今まで順調だった学校生活にも影が差してきます。
…試練の時が待っています。

平行線をたどったままの二人の道が交錯する日は近いです。
相変わらずのジレジレ展開ですが、どうぞよろしくお願いします<(_ _)>

2018/07/23 (Mon) 22:22 | REPLY |   

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