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2-15

Category第2章 解れゆくもの
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9月29日土曜日の午後、あたしは一人で花沢邸の前に立っていた。
残念ながら、美作さんとも西門さんとも都合が合わなかった。
朝から出社していた類が邸宅に帰ってきていることは、康江さんからの連絡で知っていた。緊張のあまりインターフォンを押すことを躊躇っていると、あたしに気づいた庭師さんが近づいて声をかけてくれる。
「つくし様、いらっしゃいませ」
「あ、蓑井みのいさん、こんにちは」
「どうぞ、こちらからお入りください」
蓑井さんは内側から解錠をし、そのままあたしを敷地内に招き入れてくれた。

玄関へと続く石畳を蓑井さんと並んで歩く。
「宮本は日常生活に戻れたようですよ。つくし様が何度も見舞いに来てくださったと、本人から聞きました。私からもお礼申し上げます」
「職を辞されたと伺いました。…残念です」
「非がなかったとはいえ、あれだけの事故を経験しちゃあねぇ…」
蓑井さんは宮本さんの事情に明るい。同じ時期に邸に雇われたのだと以前聞いたことがあった。
「類さんの様子は、どうですか?」
「出社されるときの表情はいつも固いですかねぇ…」
そうですか、と応えるあたしの声は暗い。

あたしを出迎えてくれたのは、執事の磐田さんをはじめとした馴染みの面々だった。
磐田さんが恭しく礼をする。挨拶を交わした後、彼はこう告げた。
「奥様はさきほど本社に呼び出されまして、不在でございます」
真悠子さんも花沢物産の幹部の一人だ。最近では前と同じように会社の業務を精力的にこなしていると聞く。
類と過去の話をするとき、真悠子さんにも同席してもらおうかとも思っていた。その当てが外れ、なんとなく心細い気持ちで、あたしは康江さんに伴われて類の部屋へと向かった。



「類様、牧野様がいらっしゃいました」
康江さんが声をかけると、中からそれに応える低い声があった。
「どうぞ。…すぐ冷たい飲み物をお持ちしますね」
「はい。ありがとうございます」
9月末とはいえ、まだまだ残暑は厳しい。最寄り駅から歩いて邸にやってきたあたしは、空調の整った邸内に通されてもまだ汗が引かなかった。
「あの、お邪魔します…」
部屋に入ると、類は前見たときと同じように机について、パソコンの画面を見つめていた。眺めているのは動画のようで、なんとなく会議記録なのだろうと察した。
類は画面を止めると、無言で立ち上がって移動し、そのままベッドサイドに腰かけた。

「…好きなとこに座れば?」
部屋の入り口で立ち竦んでいると、類の方から声が掛けられる。
類から入室の促しがあったことに、あたしはわずかにホッとし、表情を緩めた。前回来た時にはなかった小さなローテーブルの下に敷かれたラグの上に腰を下ろす。
「…で? 一人で何の用?」
類はまっすぐにあたしを見つめた。心の奥まで見透かすような視線は相変わらずだ。
「あの、話したいことがあって…」
「それって、俺の過去の話?」
あたしが頷くよりも前に、類は言葉を継いだ。
「…あんたが、俺の恋人だって話?」

―えっ?

あたしは言葉の先を封じられる形で、目を見開いたまま彼を見つめ返した。驚きのあまり声を出せないでいると、それを焦れったく感じたのか、先に類が口を開く。
「手帳に、これが挟んであったのを見つけた」
類は写真を一枚、あたしに手渡してくれる。
「…これ…」
それは昨年11月、滋さんの結婚式の日に優紀が撮ってくれた一枚だった。
最近は携帯電話で写真を撮ることが多くなったけれど、よく撮れていたからと特別にプリントアウトしてもらったものだ。同じ一枚が、あたしの手帳にも挟んである。

類の表情はとても柔らかく、彼の右手はあたしの腰を引き寄せている。
彼に寄り添って立つあたしも嬉しそうに微笑み、左手の薬指に光る婚約指輪を掲げて見せている。
―あの日は、二人の婚約を親友達に報告した日でもあった…。

「それって、そういうことだろ?」
確信的な類の問いかけに、あたしは覚悟を決めた。
「信じて、もらえないかもしれないけど、あたしと類は…婚約してたの」
類は目を伏せる。
「話してよ。あんたが知ってる俺の6年間を。…どんなに時間がかかってもいいから」



あたしは、類に、どこまで覚えているのかを最初に確認した。
類の記憶は高校3年の6月初旬頃まで。…つまり、道明寺に赤札を貼られて、あたしと青池和也君が全校生徒の虐めの対象にされたこと、男子生徒に暴行されそうになったあたしを助けたことまではかろうじて覚えていたけれど、静さんが帰国した頃のことは覚えていないという。
「静さんのこと、…今も、…好きなんだよね?」
「…そうだね」
―やっぱり、そうなんだ。
キリキリと胸が痛むのを感じた。

二人の関係の始まりと、その終わりを話すことにはひどく気後れがした。それでも彼がそう望んでいるのだから、と気を奮い立たせてあたしは口を開く。
途中、康江さんが飲み物を運んできてくれたことで話はいったん中断されたけれど、それ以外には話を途切れさせることなく、あたしは自分が知っていることをただ話し続けた。
高校でのこと、大学でのこと、交友関係のこと、会社のこと…。

静さんのことも順を追って説明した。
藤堂の家名を捨て、弁護士になりたいという積年の夢を叶えたこと。
フランスで挙げられた結婚式に呼ばれ、皆で参列したこと。
類が事故に遭う直前、彼女が双子を出産した報告を受け、二人で出産祝いを選んで送ったこと。

道明寺とのことも包み隠さず話した。
3年間、道明寺と付き合ってきたこと。別れざるを得ない事情が生じたこと。
道明寺と別れ、類との関係性が深まるくだりを話すときは自然と声が震えた。
昨年の春、花沢家の所有する逗子の別荘で類にプロポーズされたこと。
昨年の夏、軽井沢の別荘で初めて結ばれたこと。
そして正式に婚約を交わして、今年の春から事故の日までマンションで同棲していたこと…。

類はほとんど相槌も打たず、かといって質問を挟むこともなく、じっと片膝を抱き込んであたしの話に聞き入っていた。
そこまでを説明し終える頃には、夏の日はすっかり傾き、類の部屋の中も陰りを深くしていた。



あたしは喉がカラカラになり、すっかり温んでしまった飲み物を手に取る。
氷で薄まったアイスティーで喉を潤した。
「ごめんね…。話纏めるの上手くないから、前後して分かりにくかったかもしれないけど…」
類は小さく首を振る。
「…いや、十分」
その声はひどく沈んでいて、決して過去の事実を喜んで受け入れているふうではなかった。…無理もないと思う。
彼にとっては、17歳の自分に、自分の知らない6年間が上書きされて、23歳の自分が存在しているようなものなのだから。


場に満ちた沈黙は重い。
夕闇が部屋を侵食していくのを、なんとなく心細い気持ちで眺めていると、ふいに類が声を発した。
「…あんたが、すぐこのことを話さなかったのは、なんで?」
あたしは、一番聞かれたくなかったことを言い当てられて怯んでしまう。
類は、やっぱり類だ。
いつも物事の本質を見抜いている。
「…怖かったの。類に、あたしのことを拒絶されるのが…」
あたしは先ほどの話で、道明寺が記憶を失ったことも話していた。記憶を失くした道明寺から手酷く拒絶された過去は、あたしにいまも深いトラウマを残していた。


「類が記憶を失っていることはすぐ分かったの。…本当のことを話して、“信じたくない”、“あたしなんか要らない”って否定されるのが怖かった…」
実際には、彼があたしに拒絶の言葉を吐いたことはなかった。
疎んじる態度は見せもしたけれど。
「…どうして、今日は話そうと思ったの?」
類の口調が少しだけ柔らかくなった気がした。
「本当は先月会ったときに話すつもりだった。…だけど話をしようとしたとき、類は仕事のことですごくストレスを感じているみたいだったから、時期尚早だと判断したの。…過去の話にも、…特に静さんの話には、きっと大きなショックを受けるだろうと思って。でも、あたし達のこと、どうしても話したくて、それで今日…」

類はあたしが話している途中で、おもむろに立ち上がった。
あたしは驚いて口をつぐむ。
夕闇はますます濃くなっていたから、あたしは類が部屋の明かりをつけるためにそうしたのだと思った。

でも、そうじゃなかった。

類は、ラグに座り込んだあたしの前に屈みこむと、物言わぬままあたしの腕を引っぱり上げた。彼の腕力は強く、あたしは勢い余って彼の胸に飛び込むような形になってしまう。
嗅ぎ慣れた彼のフレグランスに眩暈を覚える間もなく、抱きとめられたあたしの体は反転させられ、そのままぐらりと視界が揺らいだ。

―えっ? なに?

ドサッという音がして、背部に軽い衝撃を受ける。
気づけば、あたしは類のベッドの上に押し倒されていた。
彼があたしの下肢を跨ぐようにして両膝をつくと、わずかにベッドが軋んだ。

―類…っ!?




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