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2-19

Category第2章 解れゆくもの
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あたしはインターフォンの呼び出しに軽く応えて、まっすぐ玄関に向かった。
寝間着姿のまま、慌てて玄関の扉を開く。
「…こんな遅くに、どうしたの? 約束は明日よね?」
類とは明日の午後に会う約束をしていたが、予定を変更した覚えはなかった。
そのまま土間のスペースに招き入れたあたしに、彼はわずかに笑んで見せる。
「…顔が見たくなって」
「………っ」
思いがけない返答に、あたしは声もなく彼を凝視した。
画面越しには分からなかったけれど、改めて類の姿を見てみれば、髪もスーツもずいぶん雨に濡れてしまっていた。予報通り、外は雨になっているらしい。
「傘、持ってなかったの?」
「急に降られたから」
とにかく上がって、と促すと、彼は黙ってあたしについてきた。

秋の雨とはいえ、これだけ濡れてしまっては冷えが体に障るんじゃないかと思えた。シャワーを使うように勧めると、類は素直にそれに従った。
着替え一式とバスタオルをすぐに用意し、彼に渡してからあたしは脱衣所を出る。
…まるで、あたし達のかつての日常が戻ってきたかのようで。
その錯覚にひどく気持ちを乱されながら、あたしは考える。


―類は、どうして、今夜ここに来たの?


寝間着姿のままでいることには気が引けて、あたしは部屋着に着替え直した。
脱衣所から回収した彼のスーツをハンガーにかけ、濡れた部分をタオルでふき取りながら手入れをしていると、短いシャワーを終えた類がリビングに姿を見せた。
彼はまだ乾ききっていない髪を無造作に梳き下ろし、いつも着ていた部屋着に身を包んでいる。笑顔こそないが、あの日までの類と何ら変わることのないその姿に、あたしは胸を疼かせる。
ソファを勧め、何か飲み物は、と彼に訊いた。水を、と返され、常備しているミネラルウォーターのボトルを取り出すと、グラスに注いで彼に手渡した。


「…それ、何?」
ダイニングテーブルの上に広げていた縫製作業の道具を片付けていると、類が尋ねてくる。
「卒業制作なの。12月1日に卒業生でコンペをするんだけど、その1点目の仮縫いをしてて…」
「へぇ…」
類はあたしに近づき、仮縫い途中の布地をそっと手に取る。
「それがデザイン画?」
「…うん」
盗難や損壊の可能性を危惧して、卒業制作用のスケッチブックは学校には持っていかないようにしていた。嫌疑が晴れるまで、自分に対する周囲の風当たりは強いだろう。でも、昨日今日で起きたことのその内容を、まだ彼に話すつもりはなかった。

類はスケッチブックを手に取ると、パラパラと捲ってしばらくそれらを眺めた。
緊張していたあたしをよそに、彼は短く礼を言うと、内容については何も触れずにスケッチブックをあたしに返した。そうして再びソファに戻り、腰を下ろしてしまう。
彼が何か言ってくれるかと期待していたあたしは、肩透かしを食らった気分で、所在なくダイニングテーブルの近くに立ち尽くした。口の中がカラカラに乾いてしまい、マグに残っていた紅茶を少しだけ口に含む。


「…それで、あの、…類はどうやってここに来たの?」
どういうふうに、何から問えばいいのか分からないまま、あたしは最初の疑問からぶつけてみる。
「近くで会食があった。…ここへは歩いてきた」
―だから、雨に降られたんだ。
それに納得しつつも、胸は不穏に高鳴った。
「…迎えの車は?」
ここでは、わずかな沈黙が下りて。
「…明日の朝、ここに迎えに来るように言った」
「………っ」
先日の彼の部屋での一件が脳裏にフラッシュバックし、あたしは無意識のうちに身を固くする。あたしの緊張を悟ったのだろう。
それでも類は、自分の隣の座席をポンと叩いてあたしを呼んだ。
「ここに来てよ」


あたしには、きっと断ることができた。
連絡もなく訪ねてきた彼に、明日出直すようにと告げることができた。
これからでも迎えの車を呼び、自宅に帰るようにと促すことができた。
今の彼の言葉でさえも。
―だけど、あたしは、そうしなかった。
類の意図を察していたのに、それを拒みたくなくて、彼の言葉に素直に従った。


彼の左隣にそっと腰を下ろすと、あたしは事故後に軽い麻痺を残していた左腕に視線を注いだ。
「あの…腕の調子はもういいの?」
類は膝の上に伏せていた掌を反転させ、指を曲げ伸ばしして見せてくれる。
「ピアノを弾けと言われたら難しいけど、生活上の支障はない」
あたしは、良かった、と小さく呟いた。
「…手、繋いでいい?」
類からの申し出にあたしは驚きながらも頷き、差し出された彼の左手の上に右手を乗せる。彼の指はあたしの指を絡めとり、きゅっと握った。


「…やっぱり」
彼は感じ入ったように呟く。
「前に話したろ。夜になると沸き起こる不思議な感覚のこと」
「うん」
―帰らなければ。一刻も早く。
記憶のない彼を追い詰めた、事故以前の彼が抱き続けただろう焦燥感。
「あんたに触れたらそれが希薄になる。……あんたが、俺の帰る場所だった」
「…あたし…待ってたよ……ずっと…」
声が震える。彼を見上げたあたしの顔を、類がじっと見つめる。


「化粧してないとあどけない印象になるね」
類がクスッと笑う。
その笑みがごく自然だったから、あたしはつい涙ぐんでしまう。
童顔だね、とこれまでも何度も言われてきた。…その同じ台詞を彼が言う。
「俺は、あんたのこと、なんて呼んでた?」
「…下の名前だけで」
「俺もそうしていい?」
うん、と頷くと、堪えていた涙がポロッとこぼれ、あたしの手の甲を濡らした。
こうして今、類の微笑を見ていたら、時が戻ったかのような錯覚に陥る。

「…つくし」
類の指先が、うつむいて涙をこぼすあたしの顎のラインを撫で、つとあたしを上向かせる。そのまま柔らかく押し当てられた、唇の感触に惑う。
類はあたしの唇の端にそっと口づけると、また一つ質問をした。
「今日は、嫌がらないの?」
「あたしは、類が、嫌だったわけじゃないよ…」
自分に対する彼の気持ちを確かめないままに、ただ衝動的に体を求められるのが嫌だったのだ。

―でも、今は?
―あのときと、今と、何が違うの?


「あたしを、どう思ってるの?」
祈るような気持ちで、あのときと同じ問いを投げかける。
彼が答える前に言葉を継ぐ。
「…あたしのこと、愛してくれるの?」
ごく間近にあるビー玉のような彼の瞳をじっと見つめれば、彼はあたしから目線を逸らすことなく言った。
「そうできたらいい、と思う」
類の両腕があたしの背に回る。
その声音があまりに切なく響いて、あたしの心を揺らがせる。
「失った時間はもう取り戻せなくても、あんたと一緒に生きていけたらって…」

―類。

彼が瞳だけであたしに問う。
その瞳の奥には、寄る辺のない彼の寂しさが色濃く滲み出ていた。

―類、寂しくないよ。
―あたしが、ずっと傍にいるから。

答えの代わりにそっと目を閉じると、ほどなくして彼の唇が再びあたしに触れた。




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いつも拍手をありがとうございます! 次回は明日の更新です。
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4 Comments

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2018/08/03 (Fri) 23:19 | REPLY |   
nainai

nainai  

uz様

こんばんは。コメントありがとうございます。
uz様のご指摘の通りです。この夜の出来事は、第2章においては非常に大きな意味合いを持っていて、これからプロローグの破綻に向けて物語は突き進んでいくんですね。この時点では、二人の想いは重なっているかのように見えますが…。

今後の展開には心理描写が多くなってきます。自分の表現したいことが正しく、的確に伝えられるか、日々パソコンの前で唸っています。鋭意努力中ですので、今後の展開を予想しつつ、最後までお付き合い願えたらと思います<(_ _)>

2018/08/04 (Sat) 00:47 | REPLY |   

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2018/08/05 (Sun) 13:16 | REPLY |   
nainai

nainai  

h様

こんにちは。ご連絡ありがとうございます。
お手数をかけてしまっているようで、大変申し訳ございません…(;^_^A

送っていただいたパスで合っていますよ~。何故でしょうね…💦
半角で入力していただけていますでしょうか?
もしどうしても開けないときは、パスを変えてもいいのでまたお知らせくださいませ。

2018/08/05 (Sun) 14:58 | REPLY |   

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