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Category第2章 解れゆくもの
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本当に大丈夫か、と何度も訊いてくれる菜々美さんに笑顔を返して、あたしは着替えを終え、荷物を持った。
「自分で言いにくいなら、今夜は帰るように花沢さんを説得してあげるわよ」
あたしはそれを固辞する。類は見知らぬ人間には強い警戒心を示す。菜々美さんに対して、彼がどんな風に接するのかを考えると心配だった。
今更かもしれないけれど、類のことを、菜々美さんには悪く思われたくなかった。
「ありがとうございます。…でも、もう一度、彼としっかり話し合ってみます」
「どうしても無理だったら、またうちにおいで? いつでも構わないから」
あたしは微笑む。その気持ちだけでも嬉しい。ひどく沈み込んでいた気分は、少なくとも作り笑顔を浮かべられるほどには回復している。

玄関を出ようとしたあたしに、菜々美さんが言う。
「つくしちゃんがどんな選択をしても、わたしはいつだって味方でいるし、応援する。…きっと羽純も同じ気持ちよ。あの子、つくしちゃんが大好きだからね」
「…菜々美さん」
―本当は帰りたくなかった。
まだ答えの出せない、曖昧な気持ちのままで類に会えば、自分はまた彼に流されてしまう気がした。
だけど、今は、類があたしを待っている。
「今日はありがとうございました」
「…また月曜にね。羽純も頑張って出てくると思うし」
「はい。制作、頑張りましょうね!」
階下までの見送りは断り、あたしは玄関先で菜々美さんと別れた。


類の車は、マンション入口の向かいの路肩に停まっていた。
運転席に座る彼の斜め後ろ姿を見つめ、足がすくんでしまう自分に気づく。
戻れば、現実が待っている。
あたしに決断を迫る現実が…。
どうしても動けないまま、その場に立ち尽くしていると、類の方があたしに気づいて車を降りてきた。玄関灯に照らされた類が、ゆっくり歩を進めて自分に近づいてくるのを、息をつめて見つめる。
怒っているだろうかと案じた彼の表情はむしろ穏やかで、先ほどのメールに込められた強硬な意志をまったく気取らせなかった。

類はあたしをそっと抱き寄せた。
「…帰ろ」
それには頷かないあたしの頭を優しく撫で、髪を梳き下ろす。
伸びた髪はあたしの肩先で揺れる。…あたしの心もゆらゆらと揺れていた。
「…ね?」
嗅ぎ慣れた類のフレグランスが鼻腔に広がり、あたしの思考をゆるく侵食していく。
…あぁ、絡め取られてしまう。
そう感じた。
「……うん」
小さく頷くと、あたしの足は呪縛から解けたように動き始め、類の手に導かれるままに車へと向かった。マンションに帰りつくまで、車中では終始無言だった。


「…何が嫌だった?」
寝支度を整えて、キッチンで水を飲んでいたあたしに、ソファに座ったままの類が問いかけてきた。あたしは口を開きかけ、躊躇して言い淀む。それを見て類は更に言葉を継ぎ、焦点を絞っていく。
「花沢に入れって言ったこと?」
…それだけじゃない。
あたしは勇気を出して答えた。
「心配かけてごめんなさい。でも、理由はそれだけじゃなくて、その…ベッドでのこともあって。……あたしね、昨日は……したくなかった」
カウンターの向こうに見える類は、身動みじろぎ一つしなかったと思う。

「…したくなかったのは類が嫌だからじゃない。…ただ昨日はいろんなことで疲れていて、気持ちの上で無理だったの…」
慎重に言葉を選びながら、あたしは類に自分の想いを伝える。
「あたしは、類が大事だよ。類の気持ちにいつでも応えてあげたい。…それでも、そうできないときがあることも、分かってほしいの。類とは…心で繋がっていたいから…」
「……分かった」
類が素直に承諾してくれたことに、あたしはホッと安堵の息をつく。
「花沢物産に入ってほしいって言った類の気持ちには、まだなんて応えていいのか分からない。これから、しっかり考えてみる。…返事には少し時間が欲しい」
これにも、分かった、と短く返答がある。


それでも、寝室を分けようというあたしの提案は頑なに断られた。
「一緒に寝よ」
「でも…」
「もう無理強いはしない。…約束するから」
時刻はすでに日を跨いで深夜になり、日頃の睡眠不足も相まって、体は睡眠を欲し始めていた。寝室については一貫して譲る気配のない類に小さく嘆息し、あたしは頷いた。

ベッドに入るとすぐ、類の腕があたしの体に回ったので、あたしは緊張から一瞬身を固くした。だけど、そんなふうに警戒する必要はなかった。後ろからそっと抱きしめる様子の彼には、やっぱり愛おしさが募る。
「あったかい…」
わずかに甘えたように彼は呟いた。…その声音に胸を突かれる。
「…おやすみなさい、類」
彼の手をぎゅっと握って、あたしは言う。
あたし達の右手の薬指には、揃いのリングが光っている。
…まだ大丈夫だ、と思えた。
「…おやすみ」
密やかな、密やかな類の声がして、うなじにそっと唇が押し当てられた。




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2 Comments

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2018/08/18 (Sat) 13:24 | REPLY |   
nainai

nainai  

u様

こんにちは。コメントありがとうございます。

男女間に限らず、人と人との関係は往々にしてfifty・fiftyではありません。劣勢な方は何かしら我慢する部分があり、相手に歩調を合わせながら妥協点を模索し、良好な関係を続けようとします。
第一章と第二章、各章における二人の関係は、実はいずれもfifty・fiftyではありませんでした。今回のご指摘、まさにドンピシャでした! そこに思い至ってくださったとは流石です(^^♪

第二章は最後までつくし視点でのみ、話が進んでいきます。別視点は第三章にて。先の展開もだいぶ見えてきたと思いますが、よろしくお付き合いくださいませ。

2018/08/18 (Sat) 16:03 | REPLY |   

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