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Category第2章 解れゆくもの
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起床予定の時刻に目を覚ましたとき、胃の不快感はごく軽いものになっていた。
あたしは小さく安堵の息をつき、寝入っている類の腕の中からそっと抜け出す。
素早く着替えて、あたしはキッチンに立った。胃痛はない代わりに、食欲も感じない。それでも今日はコンペのリハーサルで長丁場が予想されるし、夕方からはパーティーに同伴しなければならない。体を休めている時間はなかった。

昨晩、嘔気が治まる頃には午前1時半近くになっていた。
幸い、リビングでのやり取りは進に気づかれなかったようだった。
翌朝すぐにでも検査した方がいいという類を制して、あたしは少しだけ猶予が欲しいと彼に言い募った。
もし本当に妊娠していたら、今日一日を平穏にやり過ごす自信がない。
事実を受け止めるのなら、それに見合う心構えをしてからにしたい、と。

いずれにしても、あたしは週明けには『fairy』に内定辞退を申し出るつもりだった。
あたしは、類が望むように生きていくことを誓ったから。
もう迷わない。
一度決心したことは最後まで貫き通してみせる。
ただ、八千代先生が何と仰るのか、それが気がかりなだけだ。
先生は残念がってくださるだろうか。もしかしたら、考え直すようにと仰るだろうか。…あれほど、気にかけていただいたのに。
先生に報告する瞬間を思い浮かべるだけで、あたしは胸が塞いでしまうほどに苦しかった。


いつもの時刻に類を起こす。
普段はなかなか起きない彼も、今日は覚醒するのが早かった。
「……気分は?」
「うん…大丈夫」
類は寝そべったまま、ベッドサイドに座ったあたしの腰に腕を回し、そのままぎゅっと抱きつくようにする。
「無理はしないで。…不調ならパーティーも出なくていいから」
「…分かった。ありがとう」
サラサラとした類の髪をそっと撫で梳く。その手を取られて柔らかく手の甲に口づけられた。彼の目線に促されて身をかがめると、そっと触れるだけのキスをされる。
本当に、優しいキスだった。
やっと自分達の間にあった溝が埋まり、二人の関係を構築し直していける気がした。…これで、よかったんだと思えた。


先に出社する類を見送った後で、まだ眠っている進の様子を窺いに行った。
軽く声をかけると、進はパッと目を開けた。
「…おはよう。あたし、もう出ないといけないの。朝ご飯準備したから、食べて帰ってね。玄関はオートロックだから、そのまま出てくれたらいいから」
「おはよう。…類さんは?」
「類は先に出たの。進にもよろしくって言ってた」
―本当は、彼は何も言わなかった。
あたしは小さな嘘をつく。敏い弟に、彼を通してあたしを見る両親に、何も問題がないことをアピールするために…。



コンペが行われるのは学校の多目的ホールだ。開催まではまだ2週間あり、場内もランウェイ用の通路もまだほとんど装飾されていない。歩くべき道筋がテープでライン取りしてあるだけで、学生達はそのテープに沿ってウォーキング練習をする。
とはいえ自分達はモデルではないから、重要なのはウォーキングフォームではなく、プログラム通りに生徒が作品を発表できるかどうかだった。つまり混雑なく、順番を違えず、4作品を順に身に纏ってランウェイを歩き、時間通りにコンペを終了させられるか、今日はその事前確認だった。

「つくしさん、素敵ですね。よく似合ってます」
「羽純ちゃんも、ドレスいい仕上がりになったね」
互いの着替えを手伝いながら、あたし達は作品の出来を誉め合った。
「…つくしちゃん、ちょっと痩せた?」
羽純ちゃんの髪をセットしながら、菜々美さんは言う。
「前に袖通ししたときより、全体的に線が細くなってない?」
―さすが、菜々美さん。
あたしは苦笑を返しただけだった。
「…今日、顔色も良くないですよね。大丈夫ですか?」
羽純ちゃんがあたしの顔をじっと見つめる。
あたしは、追及を逃れるようにそっと目線を逸らした。
「緊張してるのかな…。昨日よく眠れなかったから…」
「つくしさんでも緊張するんですね。…あ、菜々美さん、ここにこれ挿してください」
あたしが困ったふうなのを察してくれたのだろう。
羽純ちゃんは意識を他に向けさせ、それ以上の話をしなかった。



卒業制作のテーマは、『新しい自分』だ。
あたしは、それを白と黒だけで表現してみることにした。白と黒の構成比率を4つ別々にし、白のみ、白:黒=3:1、白:黒=1:3、黒のみでデザインを考えた。白が多いほどフェミニン女性らしさを、黒が多いほどマニッシュ男性らしさを意識した。
あたしの体型はもともとふくよかさには欠けるため、中性的なイメージをつけやすいと考えたのだ。したがって、黒の混じる方はパンツ型、白の混じる方はワンピース型とした。公開する順は、黒一色から白一色へと変遷する流れにしている。


朝食はおかゆとリンゴを少しずつ摂った。昼食はお握りだけ準備した。
胃の奥には鈍い痛みは感じるものの、昨晩感じたような嘔気はない。
自分が妊娠しているのかどうかは分からない。
…ただ月のものは1週間以上遅れていた。
避妊については、彼に避妊具の使用をお願いしていた。実際、きちんとそれを使用してくれたと思う。それでも望まぬ妊娠を避けたいのなら、自分でもピルを服用するなどの工夫ができたはずだった。


準備期間を含めれば、この3年間はデザイナーになることだけを追い求めた日々だった。かけがえのない親友を得たこと、課題の多さに苦しんだこと、自分の表現したいものが評価されたこと…。
挙げても、挙げても、言葉には尽くせないほどの思い出がここにはあって、おそらく、あたしの中に得難い財産として残っていくだろう。
でも、もう振り返ることはしない。手離すと決めたことに、追い縋ることはしない。
その意志を貫くことが、目には見えぬ類への想いを彼に証明することにも繋がると思えた。

『fairy』の内定を辞退することは、二人には事後報告にするつもりでいる。
事前に話してしまえば、あたしの事情を知る菜々美さんはともかく、羽純ちゃんはその理由をあたしに問い質すだろう。もしかすると考え直すように切々と諭し始めるかもしれない。
芯に情熱を秘める彼女にそうされてしまうと、あたしの決心は少なからず揺らぐだろう。でも、もう迷いたくはなかった。

「発表順に並んでください」
控室に講師の声が響き、あたし達は皆、意識をそちらに向けた。
いよいよ、リハーサルが始まる。




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いつも拍手をありがとうございます! 
彼女の決意とは夢を諦めることでした。その選択やいかに…。
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4 Comments

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2018/08/27 (Mon) 14:51 | REPLY |   

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2018/08/27 (Mon) 16:30 | REPLY |   
nainai

nainai  

わ様

こんばんは~。返信が遅くなりました。
コメントありがとうございます。

前話である2-30は、つくしが夢を諦める決心を類に告げるシーンだったのですが、自分でも感情移入しすぎて、“う~ん…つらい…”と思いながら書きました。つくしはつくしなりに、なんとか信頼関係を築き直したいと思っているんですね。
どうして類がここまで頑ななのかはいずれ明らかにしていきます。
第2章もいよいよ終盤です。この時点でつくしはまだ別れを意識していませんが、心の内には秘めている想いがあります。二人がどんな夜を迎えることになるのか、展開を予想しつつ、お付き合いくださいませ。

2018/08/27 (Mon) 22:21 | REPLY |   
nainai

nainai  

ま様

こんばんは。返信が遅くなりました。
コメントありがとうございます。

つくしは夢を諦める決心をしました。そうすることで、自分がどれほど類を大切に思っているかを伝えたかったんですね。もともと彼女の夢は、類の理解と支えがあってこそ存在し得る夢でした。その大前提を失った今、つくしには類を選ぶか、夢を選ぶか、どちらかの選択肢しかなくなってしまいました。歯がゆい。…まさにピッタリの言葉です。

第2章もいよいよ終盤です。薄氷を踏むような危うさで続いてきた二人の関係が、どんな形でエンドを迎えるのか。
更新頑張ります。よろしくお付き合いくださいませ。

2018/08/27 (Mon) 22:46 | REPLY |   

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