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Category第2章 解れゆくもの
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リハーサルは、生徒達の間に多少の混雑や混乱を招きながらも、概ね予定通りに進んでいった。…ままならないのは自分の体調ばかりかと思えた。
3回目のランウェイが終了した時点で、あたしは再び不調を感じ始めていた。
―あと1回で、終わるのに。
控室に戻って4作品目に着替え、空いていた椅子に腰かけてしまうと、嘔気と胃の鈍痛とがあたしを苛み始めた。もう舞台袖に並ばなければいけないことは分かっているのに、悪戯に時間ばかりが過ぎていく…。

「つくしちゃん、どうしたの? もう並ばないと!」
バタバタという足音と菜々美さんの焦った声が、うつむいたままのあたしの耳に響いた。姿が見えないから探しに来てくれたのだろう。でも、あたしは顔を上げることもできなかった。
「ちょっと、気分が悪くて…」
「顔色が真っ青よ! 医務室に行く?」
あたしはゆるゆると首を振る。
「…今、何番ですか?」
「前のコースの最後の一人が、そろそろ出るわ」
―だとしたら、自分の順番までは15分位だ…。
「…行きます。手を貸してくれませんか?」
「いいわよ」
菜々美さんに引っ張り上げてもらって、あたしは控室を出る。
廊下に出て周囲の温度が下がるのを感じると、少しだけ気分も落ち着いてくる。


「菜々美さんは行ってください。…もう順番ですよね」
発表は出席番号順だから、菜々美さんの出番はあたしよりも早い。
おそらく、あと数分もないだろう。
菜々美さんは焦れたように素早く視線を前方に投げた後、あたしを振り返って申し訳なさそうに言った。
「ごめん、先に行く。歩ける?」
「はい。また、後で」
彼女の支えがないと立っていられないのなら、そもそも舞台に上がるべきではないのだ。菜々美さんが走って行ってしまうと、あたしは壁に凭れてまた浅く呼吸をし、不快感をなんとかやり過ごそうとした。
それでも鈍痛は強まっていくばかりで、そのままズルズルとしゃがみ込んでしまう。

4回目のランウェイは諦めようと思ったその時、思いがけない人から声が掛かった。
「…牧野さん? どうかした?」
わずかに顔を上げると、ランウェイを終えた梶山君があたしを見下ろしていた。
―梶山君…っ。
あの騒動以来、梶山君はあたしや羽純ちゃん達とは一切関わりを持とうとしてこなかった。その彼がこうして話しかけてきてくれたことに驚きが隠せない。
「もう出番だろ? 具合悪いの?」
「うん…。列に並ぼうと思って、ここまできたんだけど…」
梶山君は一瞬黙り込んだ後、あたしに問う。
「医務室に行くのと、列に並ぶのとどっちがいい? 俺が連れて行くよ」


結局、あたしは列に並ぶことを選んだ。生徒達が右往左往する廊下を、彼と腕を組んで歩く姿は奇異の目で見られもしたが、梶山君はそれに構うことなく、あたしを連れて歩いてくれる。
「…牧野さん、本当にごめん」
「え…?」
あともう少しで舞台袖というところで、梶山君がポツリと洩らす。
「俺のこと許してくれたのに、避けるような態度をとって…」
「…あぁ、うん」
音楽が聴こえる。もう菜々美さんはランウェイに出ただろう。
「でも、今日は、こうして手助けしてくれたから…」
「こんなことで、許してもらおうとは思ってないから」
「…うん」

―大丈夫だよ、羽純ちゃん。
―彼にはちゃんと罪の意識がある。それを償おうとする気持ちがある。

「作品見たよ。…やっぱり、牧野さんはスゴイなって思った」
「ありがと。…もう、ここでいいよ」
あたしは彼の腕からそっと手を離す。彼と話しているうちに、なんとか気分を持ち直すことができた。
自分にとっては、最後の発表会になってしまうから。
だから、“今”を、精いっぱい頑張り抜きたい。
「頑張って」
「ありがとう、梶山君」
あたしは彼にもう一度感謝を告げる。梶山君は微笑を返した。
そうして、なんとか4回目のランウェイを終えることができたのだった。



リハーサルが終了し、ようやく昼食の時間となったとき、あたしは先ほどのやり取りを羽純ちゃんと菜々美さんに伝えた。
「そうですか。梶山君が…」
そう呟いたきり、箸を止めてしまった彼女に、あたしはゆるく微笑む。
「“情けは人の為ならず”。…つくしちゃんのためにあるような格言ね」
菜々美さんの言葉に、羽純ちゃんも小さく笑みを見せて、言葉を継ぐ。
「“巡り巡っておのため”。…言い得て妙ですね。本当に」
あたしは照れてうつむきながら、持参したお握りを口にする。
「気分はもういいの?」
「はい。なんとか」
嘔気と胃の鈍痛には波があることが分かってきた。今は良くても、いずれ不調の波が押し寄せるだろう。
早く病院に行くべきなのは重々承知していた。それでも、…まだ決心がつかない。
午後からは、講師からの個別指導が控えている。




リハーサルを終え、講師から自分の作品についての総評をもらい終えると、気分的に楽になったのか、体の不調は鳴りを潜めていった。作品のコンセプト、その表現方法には概ね高評価をもらえた。いくつかの手直しの必要を指摘され、あたしはそれらをきちんとメモに書き留めた。
個別指導後の全体指導は思ったよりも長引き、類との約束の時間が迫るにつれ、あたしは焦燥を強めながら講義が終わるのを待った。
やっとすべてが終了して携帯電話を確認すると、類からメールが届いていた。
『体調はどう? 出席できる?』
メールには、予定通り出席する旨を返信した。学校から類の待つ本社へは、タクシーで直接向かう。着いたのは約束の時刻を20分ほど過ぎた頃だった。類はタクシーから下車したあたしをリムジンに招き入れると、すぐに車を発進させた。



「…疲れた顔してる」
類はそう言うと、あたしの頬をそっと撫でた。
「明日は、あんたが何を言っても病院に連れて行くから」
「うん…」
「リハーサルはどうだったの?」
ふだん学校のことは訊ねてこない彼から飛び出した質問に、あたしは小さく目を見開いた。
「総評は良かった。あとはいくつかの手直しだけ…」
「そう」
類の手はあたしの顔の輪郭の半分をなぞると、そのまま下に滑り降りていった。
あたしは思い切って彼に言った。
「あのね、類。…12月1日のコンペを見に来てくれないかな」
色素の薄い美しい瞳を、あたしはじっと見つめる。
「…あたしの最後の発表会だから、できたら、類にも見届けてほしいの。一般入場も認められているから…」
彼は少し考え込んだ後で小さく頷いた。
「…分かった。見に行くよ」



類に連れていかれたサロンのような場所で、事前に届けてもらっていたドレスに着替える。二人の女性スタッフが、あたしのメイクを直し、ヘアセットをしてくれる。彼の同伴者として相応しいように、夜の装いへとあたしを仕立て上げていく。
その艶やかな手つきを、何とはなしにぼぅっと見つめていた。最後にスタッフの一人が首筋に薄く香水をつけてくれようとしたが、それはやんわりと断った。午後5時半を過ぎる頃、ようやくあたしの準備が整った。
「…類、お待たせ」
類はソファのひじ掛けに頬杖をついて目を閉じ、供された珈琲には手を付けることなく、あたしを待っていた。彼はあたしの声にわずかに反応すると、その目線を上から下にさっと走らせた。

「…この服に合うボレロか、ショールを出して」
「畏まりました」
女性スタッフは恭しく礼をすると、すぐにドレスに合わせた風合いの淡いベージュのボレロを何点か持参し、あたしに羽織らせる。促されるままに袖を通しながら、あたしが戸惑いの目線を彼に投げると、類はごくわずかに笑んだ。
「肩を冷やすといけないから」
―体を気遣ってくれてるんだ…。
そう思うと、胸の奥にほんのりと温かいものを感じ、あたしも微笑を返した。
「どれがいい? 自分で決めていいよ」
その言葉に従い、2点目に羽織ったボレロを選んだ。
「ありがとう。すごく肌触りがいいし、あったかい」
類は、そう言って彼を見上げたあたしの腰を片手で引き寄せ、耳元でそっと囁いた。
「…よく、似合ってる」


サロンを出て、また少しの間リムジンで移動する。ほどなく目的地に着き、ホテルのエントランス前で列をなす車の最後尾について、あたし達は降り立つ瞬間を静かに待った。
ホテルマンの誘導に従い、類と腕を組んだままホテルの3階に上がると、会場内へはすでに多くの招待客が到着していて、其処此処でさざめいていた。
―本当に、規模の大きなパーティーなんだ。
会場は広かった。どこを見渡しても、自分の見知った顔はない。
同伴者の女性達は皆それぞれに美しく装い、談笑の場に華やぎを添えている。
あたしは、急に自分が場違いな人間に思えてきて気持ちを竦ませた。
―来たばかりなのに、もう帰りたいと思うなんて…。
だけど、それが正直な気持ちだった。

『急に出席をお願いすることになって申し訳ないわ。類には挨拶すべき方々を予め伝えてあるから、つくしさんも簡単にご挨拶していただけるかしら』
真悠子さんとの電話の内容を思い出す。
あたしは、自分に課せられた役割をしっかり全うしなくちゃいけないのに。
そっと隣の類を見上げると、あたしの目線に気づいて彼もあたしを見た。
あたしの不安を察してか、その目元が優しく和んだ。
だが、次の瞬間――。
「花沢様!」
少し離れた場所から掛けられた声に、類の表情は即座に余所行よそゆきのものへと変化し、あたしの知らない顔を見せた。



『こちらの方は?』
今日何度問われたか分からないこの質問に対する、類の答えはごくシンプルだった。
『私の婚約者です』
あたしの左手の薬指には婚約指輪が輝いている。
事故以前の類が贈ってくれた、美しいダイヤモンドリングが。
類の返答を受けた相手はまず驚き、傍らのあたしを食い入るように見つめるので、そのタイミングであたしも挨拶をする。ひたすら、その繰り返しだった。

途中で場内が薄暗くなり、パーティーの主催者側から挨拶がある段になると、あたしはわずかに緊張を解いてため息をついた。少なくともこの開式セレモニーの間は、見知らぬ人達と会話をしなくて済む。
乾杯のためのシャンパンが振舞われていく。あたしは勧められるままにグラスを受け取りはしたものの、乾杯のパフォーマンスをしただけでそれには口をつけなかった。

―あ…。
再び、鳩尾あたりに感じる軽い不快感。
今日幾度となく感じた予兆に、あたしは内心で焦りを強くする。
―また、不調の波が来たんだろうか。




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いつも拍手をありがとうございます! 
やっとリハが終了し、パーティーの夜を迎えます。
昨日はボタン操作の誤りで2-35が一時的にUPされてしまいました。
すみませんでした💦
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